第三章 影縫い
39. 黒一色
鳶口を支えに立ったロクは、猿が辻にいる三人へ力無く歩み進む。
比較的軽症なのは錦で、八坂と一緒に上七軒の容態を調べていた。
昏睡状態にある上七軒は、月輪に縫われたようなものである。影の残量を考えると、影縫いに復帰出来るかは半々だろう。
八坂は頭痛が酷いと訴えたものの、ロクに
足がふらついているので、気分が悪いのは本当だろうが。
「上七軒には私が付き添う。救急車がいるわね」
「いつ襲撃されるか分からん、二人じゃ不安だな」
ロクの台詞に、錦が思いっ切り眉を
彼女は決着が付いたかと勘違いしており、詠月を逃がしたという報告に肩を落とす。
「いくら探知しても黒一色だ。どこに敵がいるか分からんし、詠月なら出没し放題だろう」
「ええっ……でも、逃げたんだよね?」
「奴のダメージも大きかったか、或いは――」
まだ他にも目的があるのか。
詠月の月輪や影に関する知識は、どうやらロクより豊富らしい。
それを認めた上で、対抗策を練り直す必要があった。
「八坂には俺も同行しよう」
護衛役を買って出たのは鷹峯だ。
ある程度回復したようで、近づく足運びはしっかりしている。
「お前の薙刀は、病院じゃ目立ち過ぎるだろ」
「これだけ暗いと隠形も楽だ。遠巻きに見張ればよかろう」
「病院まで暗いとは……いや、そうか。この領域は、相当な広さだろうな」
鷹峯に遅れて立った夷川も、猿が辻へとやって来た。
慣れない独鈷杵を駆使したせいで、八坂と同じくらい憔悴しているのが見て取れる。だが、休息はせずに詠月を追うと主張した。
上七軒、八坂、鷹峯が病院へ。吉田の怪我も酷かったので、今頃は救急車の中だろう。
ロクは詠月を追うより先に、月輪について調べたかった。
錦は当然のように、ロクと行動することを選ぶ。
彼の指針を聞き、夷川は訝しく問い質した。
「今さらどうやって調べる気だ? 史料なんて何も残っておらんだろう」
「月輪自体はそうだな。陽鏡の処理も難しい……が、引っ掛かったのはそれだ」
猿が辻の壁際には、虫や小獣の死骸が
部下を突入させ、蛾を舞わせ、最後は詠月自身の影を浴びせた結果、陽鏡は発動した。
とすると、場所が不可解だ。
陽鏡本体に影を与えたのではなく、猿が辻こそが集約点だったように思える。
「鬼門、こいつに詳しい人間が要る。発動方法があるなら、停止方法もあるはず」
「一番詳しいのは先代の錦だが、亡くなったのでは」
「独鈷杵と羂索を合成したのは一乗寺だろ? 彼女なら陰陽道にも歴史にも――」
「私が訪ねた時には、殺されていたよ」
北山のアトリエにいた一乗寺は、縦に両断されて死んでいた。
夷川が発見した時には、ほぼ影となって散り、床には遺体の形の黒染みが残っていたそうだ。
夷川の縫い具は再合成したわけではなく、独鈷杵を羂索で操っていただけだとか。
先代錦と一乗寺は、ロクに上から物が言える数少ない影縫いだった。
その二人が亡くなった今、知識で頼れる者が彼には思いつかない。
「行動するしかあるまい。お主の力なら、敵を撃退して回れるだろうに」
「闇雲に動いても、詠月を追い詰めるには――」
スポットライトが、四方から彼らを照らす。
陽鏡の光を思い返せば、児戯にも等しい玩具のようなライトだ。
それよりも、包囲されるまで気づけなかったことに、ロクたちは歯噛みした。
影の支配下に於いて、彼らの五感は一般人とそう変わらない。
『この一角を囲ませてもらった。抵抗しないでほしい』
拡声器から流れる阿東の声を聞き、鷹峯と夷川が縫い具を構える。
『こちらは
やはりこいつらが元凶か――そう罵る夷川を手で制し、ロクは阿東の意図を尋ねた。
ライトの逆光を浴びて、人影が猿が辻へ歩み来る。
両手を挙げ、攻撃の意志が無いことをアピールする阿東は、ロクのすぐ近くで立ち止まった。
「駆り出したのは、ほとんどが局外の者だ。体面上、銃を向けざるを得ん。許してくれ」
「なぜ局が影弾を持ってる?」
「それを含めて、支部で説明したい。一緒に来てくれないか?」
夷川は独鈷杵の爪を阿東の首元へ向ける。
信用出来ない――言葉より雄弁に、敵意の篭った縫い具はそう語っていた。
「京都支部は
「おい、烏丸! こんな男の口車に乗るのか?」
「阿東は少なくとも、影縫いの敵じゃない」
「その保証がどこに――」
阿東はいきなりしゃがみ、両手を地に突く。
頭を擦り付ける土下座に、夷川も言い争うのを止めて、無防備な局長の後頭部を見下ろした。
「頼む、君たちの力が必要なんだ。助けてくれ」
「虫のいい話だな。対影縫い用の部隊を作ろうとしていたのは、お前たちだろう」
「対
「今さら詭弁を弄しても遅い」
詰め寄る夷川を遮って、ロクが口を挟む。
話してもいいのかと彼に許可を求められ、阿東は少し
「阿東の娘は影縫いだ」
「それは……確かな話か?」
「ああ。俺が縫いに行ったからな」
身内や知り合いが影落ちした者が、しばしば局員にスカウトされる。影の存在を理解させるのに、これほど適した人間はいまい。
阿東の場合は、少し事情が違う。
彼の娘は、学生の頃に影へ落ちた。
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