41. 西ノ京へ

 京都府には宇治本部に加えて、局の支部が南北二つ存在する。

 南支部は西ノ京、地下鉄二条駅に隣接して設けられた。

 二条城の南西に位置し、御所からも近い。


 阿東はロクたちと一緒に車両の後部へ乗り、短い道中、今夜に至るまでの顛末を語る。

 影弾の開発は自衛隊の特殊活動班、通称では特班と呼ばれる新設部隊が主体であり、局はそれをサポートする立場だった。


 影縫いに頼ずに影へ対処する――これが上層部の方針と定められて以来、黒鋼や縫い具を分析し、現代兵器に転用しようと試行錯誤が繰り返される。

 結果は芳しくなく、影弾こそ一定の効力を発揮したものの、縫い具の再現には失敗した。

 黒鋼を砕いてまぶすくらいでは、熊手やナイフを造るのが精々だったとか。


 奈良で熊手を回収した阿東は、それが対影武器の開発で生まれた二級品だと気づく。

 自衛隊側に詠月の協力者がいるのでは、と疑った時には、既に遅かった。

 局からの問い合わせに、特班は異状無しとしか返答しない。


 滋賀、栗東市に作られた特班施設は、かなり早い段階から詠月によって浸蝕されていたと考えられる。

 二日前には全隊員が影に落とされたらしく、これがそのまま今夜の襲撃要員となった。


「特班施設は隠匿用と称して、シェルター並の深さに作られてる。防壁も厚いし、影縫いでも探知しにくい」

「私は感づいたがな」


 甲賀を拠点にしている夷川でも、施設そのものには影圧を感じられなかった。

 彼が不審に思ったのは、施設へ黒鋼が搬入されるのを偶然目撃したからだ。

 だからと言って、潜入調査は影縫いの本分から外れた行為だろう。夷川も中の様子は知らない。

 現在、通常の公安警察が初めて施設へ立ち入ったところ、建物内は既にもぬけの殻だった。


「詠月はどうやってその特班へ潜入した?」


 ロクの質問に、阿東は怯んだ様子を見せる。

 特班の存在よりも、余程これが核心を突いたらしい。


「詠月は局からの出向者だ。影を纏った人員を、特班は欲しがったからな」

「何のために?」

「……新装備で実際に縫えるか、確認したかった」


 馬鹿者が、と、夷川の怒声が車内に響く。

 実験体というのは言い得て妙で、特班は影弾や新造縫い具の的に詠月を利用した。

 詠月自身が快諾したから許可したと、阿東は言い訳する。

 しかし今から考えれば、その時点で詠月は特班を取り込むつもりだったのだろう。


 施設から脱走したとの通報を受け、局は詠月の行方を追った。

 局員や影縫いを殺しながら尻尾を掴ませなかった理由も、これで分かる。

 脱走は虚偽、詠月の隠れ家は手下に守られた特班施設だ。

 一連の経緯を知って、ロクが阿東を諭した。


「影に落ちた人間は、漏れなく縫うべきだ。これは掟であり、俺の経験則でもある」

「それでは、影縫いが減る一方だろう。現に詠月が関与したかは不明だが、ここ最近は減少の一途だ」

「足りなくなれば、縫い具が宿主を探すさ。無理に影縫いを仕立てた結果が、あんたの娘だろ」


 不安定な影縫いは、何かのきっかけで闇に染まる。そこを詠月に突かれたのだと、ロクは指摘した。

 選択は間違っていなかったと言い返す阿東も、語尾は弱くかすれる。


 話を聞いた錦も自分を思い返したのか、うつむいて黙考にふけっていた。

 夷川は縫い具を局が管理することを嫌っており、ロクの意見に百パーセントは賛同出来ないと言う。

 影縫いは九十九人いて真価を発揮する、それが彼の考えだ。

 掟については文句が無く、力量の不足した影落ちは全て縫うのが鉄則だと、こちらはロクと同意見だった。


「もちろん、影縫いに害を成す詠月も縫う。烏丸もそうだろう?」

「世に害成す、だな。詠月は強すぎる、全員で当たるしかないだろう」

「話は承知した。西ノ京に着いたら、私は南を偵察してくる」


 単独で動きたいという夷川を、ロクも止めはしない。

 彼も御所では二つの縫い具を駆使したせいで、動きに疲れが見える。車に乗ったのは、休憩代わりでもあるのだろう。


 輸送車は地下鉄二条駅への昇降口を少し過ぎ、地下坑のメンテナンス入り口前で停まった。

 無骨な鉄扉を、管理作業員がくぐることは無い。ここは偽装された局支部へのゲートだ。


 皆が降りるのを待って、山岸は輸送車を府警へ返しに行く。

 扉横の電子ロックへ阿東が向かった時、ロクが鳶口を抜いた。

 立ち去りかけた夷川も、振り向き様に羂索を通りの反対側へ伸ばす。

 未だ敵影を見つけられない錦が、ロクへ叫んだ。


「どこ!」

「上だ!」


 ビル壁を蹴って跳ぶ影が、羂索を躱してロクの頭上から舞い降りる。

 振り翳された刃を、鳶口が打ち払った。

 一瞬、姿を現した戦闘服の男は、大きくバックジャンプしてロクの蹴りを空振らせる。

 着地した男の足を縛ろうとした影紐は、またも寸前で目標を捕らえ損なった。


 二階建てのビルへ一跳びで登り、影は瞬く間に遠くへ消える。

 二本放った錦の矢は、どちらも空へ吸い込まれた。


「新米だろうに、よく縫い具を使いこなしている」

「あれは何? 変わった形だったけど」

「北斗だな。縫い具の力で体が軽くなる」


 四枚刃が風車のように付いた縫い具で、その中心にある輪を握って扱うのが北斗だ。刃は鳥の羽根を模しており、熟練者ならブーメラン式に投げて攻撃してきただろう。

 北斗の消えた先を睨む夷川へ、ロクはもう一度確認した。


「あんな奴が、街にはゴロゴロ徘徊しているはずだ。一人であしらえるか?」

「自分を過信しているわけではないが、円町が気になる。爺さんを拾ったら、また連絡しよう」


 夷川を影縫いとして鍛えたのが、円町だと聞く。師弟とあらば、そちらと組むのが自然な判断か。

 共闘を嫌うのが影縫いの常だが、夷川も詠月は一筋縄で行かないことを理解しているようだ。


 ただ黙って狩られる彼らではない。京中の影縫いが、詠月を縫おうと集まるであろう。

 夷川は南へ走り、ロクは改めて阿東へ向く。


「拳銃は仕舞え。もう通常弾が当たる相手じゃない」

「みたいだな。私は情報提供に徹するしかないか」


 開いた鉄扉を抜けて、三人は地下への階段を下っていった。

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