37. 合流
崩落した賀茂大橋へ駆け付けた吉田は、岸辺から川へ銃撃を加える者たちを発見する。
相手がロクだというのは予想通りで、まず敵を奇襲しようと考えた。
だが彼は影となって高速移動することは出来ないし、鷹峯のような華麗な技も習得していない。
こっそり接近して敵の背後を突くなどという真似は、到底不可能だった。
であれば、やれることをやるまで。
左手に持つ扇を全開して、彼は銀林たちへ突っ込んだ。
真っ先に気づいた銀林が、部下へ迎撃を叫ぶ。
銃弾が扇を叩いても、詠月に斬られた肩が痛んでも、彼は左手を前に掲げ続けた。
間近まで迫った吉田へ向けて、踏み出た銀林が太刀を斬り下ろす。
刃は扇の影を割って縫い具の本体にまで達し、黒鋼に二センチほど食い込んだ。
凄まじい剣圧ではあったが、扇は確かに太刀を止める。片手でこれを成功させたのは、吉田の意地かもしれない。
「おおらっ!」
開いた肩の傷口から血を噴きつつ、彼は右手を前へ突き込んだ。
右の甲に嵌めた下鴨の爪が、銀林の脇腹をえぐる。
「貴様、二つ持ち――」
扇と爪を両手に構え、吉田はロクばりのスピンで舞う。
二つの縫い具が敵の胸を裂き、銃を弾き、腕を切り飛ばした。
体勢を立て直した銀林が、横薙ぎで吉田を狙う。
扇を爪で裏から支え、彼は何とかその苛烈な一撃を受け切った。
縫い具を二つ同時に使うのは、あまり賢いやり方ではない。
要求される影の量は倍増するため、最悪の場合は影縫いですら昏倒するだろう。
それ以前に、無理な戦闘は影を一瞬で消費してしまう。ガス欠だ。
鍛練を積んでいるとは言い難い吉田では、この二撃目を防いだ時点で扇の影が八割程度に縮まった。
彼の消耗具合を見て、銀林はニヤリと口角を上げる。
「強さを求めるなら、安直な手段は取らんことだな」
「うるせえ!」
大太刀を上段に構えた銀林は、素早く吉田へ打ち下ろした。
扇が止めるのも構わず、右上に振り戻して袈裟切りに。また一割ほど、扇は小さくなる。
銀林は太刀を引き、渾身の突きを繰り出した。
その剣先は、吉田の扇に触れることなく静止する。
「代わろう」
振り返った銀林の踵近く、河原の丸石の間に鳶口が刺さる。
全身を濡らしたロクが、彼を後ろから縫っていた。
吉田の扇が大太刀を打ち上げ、空いた腹を爪が狙う。
鳶口もまた、吉田が傷を負わせた横腹を目掛けて振り回された。
腹に食い込む爪とくちばし。どちらも手応えは十分にあり、銀林の身体が黒に染まる。
ゴツい人型の影は粉微塵に爆発し、
「ざまあみろ」
「まだだっ」
川へ向けて走る人影を、ロクが追う。
今一度、その影を鳶口が縫い
ばしゃんと水面へ飛び込む音に、ロクは苦々しく舌打ちする。
「逃げるのは本当に一級品だな」
「どうやって……?」
「散り影だよ。ほとんど分身に近い」
異常な影量が成せる技だが、いくら銀林でもかなりの痛手を負ったことだろう。
倒し切れなかったことに苛立ちながらも、ロクはへたり込んだ吉田へ向き直った。
「その爪は?」
「下鴨は
「分かった」
御所へ走り出した背へ、吉田が声を張り上げる。
「頼む、あのクソ野郎を止めてくれ!」
俺じゃ無理なんだ――そう続けた呟きは、猛スピードで駆けていったロクには届かなかった。
◇
詠月は御苑の壁を抜けると、その先の林を真っ直ぐに南へ下った。
ロクが駆け付けた時には、林の切れ目は黒影で覆われ、花弁と矢が進攻を押し止めようと乱れ撃たれる。
影がそこで止まっているのは、皆の攻撃が有効だから――と考えたのは、ロクの早計に過ぎた。
影の手前で花びらは押し返され、矢も軌道を曲げられて反転する。
蛇も同様で、上七軒も狂ったように蛇刀を地に突き立てていたが、生まれた小蛇は詠月とは反対方向へ這っていった。
御所の北東、猿が辻には大量の蛾や鼠の死骸が転がり、異様な光景を作る。
錦らがいるのはその前で、詠月の領域はすぐ近くだ。
御所へは入れないという意志が、近接を厭わない布陣に表れていた。
辻へロクが登場すると、錦がぱっと咲いたような笑顔を見せる。
場違いな表情は瞬時に消え、彼女が現状を説明した。
「凄い勢いで、南へ影が流れる。清涼殿が吸ってるんだって、鷹峯さんが」
その鷹峯は詠月の西側におり、領域に出たり入ったりを繰り返しているようだ。
詠月を倒すというより、邪魔をするため。
領域を縛る
「夷川か」
「独鈷杵を打ち込んだら、やっと詠月の動きが止まったんだ」
鷹峯の後ろで、夷川が跪いて羂索を握る。羂索からは影紐が伸び、その先は独鈷杵へ続く。
どうやら二つの縫い具の一体化に成功したらしく、領域端の地面に打たれた独鈷杵が詠月を縫い留めていた。
鷹峯が守っていたのは、これだ。
ロクへ向いた夷川が、顎で領域を指し示す。
何を求めたジェスチャーかは、考えるまでもない。
「俺が影を削る。奴が弱るまで矢は射るな」
「一人で行くの? 詠月は影の中を自由に移動出来るらしくて――」
「真似すればいいんだよ」
消耗が激しい二人にも、ロクは攻撃を中断するように指示を出した。
「八坂と上七軒も休んでおけ」
「そんな、蛇の仇を討たないと! アイツ、ボクの蛇をメチャクチャにしやがったんだ!」
「それは陽鏡の仕業だな。詠月を倒してから、鏡をどうするかは考えよう」
上七軒の肩に、八坂が手を添える。自分が宥めておくからと、彼女はロクにウインクで伝えた。
濡れたコートは、まだ乾かない。せめて髪や手を拭きたい彼だったが、そんな悠長な時間は無さそうだ。
流水でなければ、何割も力が減じたりしないだろう。
黒影へダッシュしたロクは、ほぼ全力が出せそうだと安堵する。
水を吸って重かったコートが、軽やかに裾を広げた。
影を増した墨流しの模様は、奇妙な渦を巻いて動き始める。
領域が円形なのは、ロクにとっても都合がよい。
右回りの黒眼が、瞬時のうちに描かれた。並んだ鳶口が、影の中へと倒れ込む。
夷川の影紐も断ち切られたが、それは致し方ないこと。
何れにせよ、独鈷杵は詠月の影から外れてしまう。鳶口の群れに削られて、領域は一回りその面積を縮めた。
独鈷杵を引き戻した夷川が、すかさずより内側へ打ち込み直す。
「行け、烏丸っ!」
鬱憤を溜めた鷹峯が、ロクの反撃に声を高ぶらせた。
黒鳥は空から舞い立つ。
大きなジャンプで跳んだロクは、鳶口を前に構え、領域の中心へ急降下した。
池に石を放り込んだように、影の飛沫が輪を作って噴き上がる。
詠月とロク、二人の影は、お互いを浸蝕して混ざり合った。
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