29. 号砲
吉田の背後で旋風が、実体を成す。集まった風は痩身の影法師へ凝縮し、手にする薙刀を前へ投げた。
吉田に命中する寸前、薙刀は一度消える。
狙うは意に決めし標的のみ。鷹峯が得意とする貫通技で、シンプルに“通し”と名が付いた。
扇を越えてから再出現した鋭い影が、円弧に飛んで敵を縫う。
四人を仕留めた影は薙刀の姿に戻り、地面へ落下して斜めに刺さった。
鷹峯の縫い具は元々、刃渡り二十センチしかないミニチュアサイズの小太刀だ。
それでは中距離の敵にも対抗しにくいため、先々代が長柄を付けて薙刀に改造したらしい。
影落ちが飛び道具を持っていようとも、一度に複数を相手にしようとも、独りで縫い果たすのが影縫いの
落ちた薙刀を回収した彼は、一息付く吉田へ冷めた視線を送った。
「無様な戦い方だ。美しくない」
「そうは言うけど、相手が多すぎんだよ」
「隠形を練習すべきだ。不意を突いてこその影縫いだろう」
「烏丸みたいにはいかねえよ」
「まあ、奴の真似は諦めろ」
無頼を気取る鷹峯が、実はロクに憧れていることを吉田は勘付いていた。
御所への召集でも最初は嫌がりながら、烏丸ロクの名前を出した途端、引き受けたくらいだ。
渋々という風を装ってはいたが。
闇への同化能力において、ロクに匹敵する者はまずいない。
そんな彼を手本にしたせいで、鷹峯とロクの戦法はよく似ていた。
「せめて屋内で戦え。紫宸殿の中なら、銃撃も避けやすいだろうに」
「それがよう、清涼殿に近づくほど頭痛がしてさ」
「ん、陽鏡のせいか」
「多分、裏鬼門に埋まってるんだと思う。南西の部屋だ」
先に掘り起こせるなら話は早いと、吉田は既に清涼殿へ入ろうとしている。
探知能力の低い彼でも、頭痛を頼りに埋没場所は推測できた。
ともすれば影を吸い込まれそうになる波動は、船酔いに似た気持ち悪さを引き起こす。
その大元が南西隅に位置する空き部屋だと分かった時点で、吉田は接近を諦めて引き返した。
彼の知識には無かったが、この平安遷都から在る部屋の名を鬼の間と言う。
「次が来る前に、態勢を立て直す。陽鏡の近くまで退くぞ」
「げえっ、鷹峯は味わってないからそう言えるんだ」
「頭痛で影縫いが死ぬか。我慢するしかなかろう。心身を滅却し、影の道を極めるのみ」
「道ってなんだよ……」
塀周りを見張りながら二人の会話を聞いていた下鴨も、露骨に不服そうな顔を向けた。
文句が口をつく仲間を無視して、鷹峯は紫宸殿へと走り出す。
幸い敵の侵入は小休止しており、移動するなら今であろう。
他の方角から攻めて来た連中も撃退したとすると、おおよそ敵勢を半減させたと思われた。
紫宸殿の正面口、木製の段を駆け上がった彼らは、建物の中から南へ振り返った。
静まった御所の庭に、大量の影落ちが横たわる。
清涼殿とは北西の角で接続しており、その廊下で敵を迎え討つと鷹峰は決めた。
傷が
「……不快だな」
「ほら見ろ、俺の言った通りじゃん」
「これもまた修行、耐えろ。しかし、以前にここへ来たときは、陽鏡の気配など無かったんだがな」
「力が強くなってんじゃねえか?」
とすれば、次の疑問はなぜ、だ。
ロクでも陽鏡が在る正確な位置を探知出来なかったのは、よっぽど深くに埋めたとも考えられる。
それがここに来て活性化したなら、引き金となる物があるはずだった。
嫌な推理に行き当たり、吉田が二人へ質問する。
「なあ、影が吸い込まれるような気がするよな?」
「そうそう、それで怪我が痛むんだ。治りもめちゃくちゃ遅い」
影弾による傷が簡単に回復してたまるか、と鷹峰は返したものの、彼も吉田の懸念に思い当たった。
縫った影は、粉と散って天地へ還る。
では、先程まで縫い倒した大量の影は、どうなったのか。
「縫った影の行き先か」
「それよ。俺たちが倒した影は、陽鏡が吸ってるんじゃ?」
「有り得るが、縫わない訳には――」
午後十時、巳の刻。上弦の月が、東の山際から昇る。
月光に導かれるように、奇怪な鳥の声が夜のしじまを破った。
鏑矢は号砲、鹿苑寺による開戦の合図だ。
ここに至ってやっと、本戦が始まるのだと皆は予感した。
矢の襲来を受けて、ロクたちは一斉に反応する。
一本目の矢は清涼殿の手前で三つに割れ、その一つが下鴨の立つ場所へ飛んだ。
音に合わせて展開済みだった吉田の扇が、影弾とは比較にならない威力を受け止める。
「がぁっ!」
「雲へ入るぞ!」
衝撃で倒れそうになった吉田の腕を、鷹峯が掴んだ。
八坂の雲は御所の中央に到達し、清涼殿まで後少しというところ。
三人は安地を求めて、渡り廊下を飛び出す。
「花よ舞え!」
黒雲の中からでも、八坂の澄んだ声はよく通った。
防壁の密度を上げるべく、彼女は今一度大きく花瓶を振るい、影の暗幕が濃さを増す。
中へ駆け込んだ吉田たちを、錦が手を上げて迎えた。
「こっち!」
「さすがだけど、中は真っ暗で見えねえな」
ぼやく吉田のセリフに被せて、また鹿苑寺の怪音が響く。
今度の矢は割れるのが遅く、三本ともが雲へ命中した。
影縫いには揺り篭のようにすら安心できた暗闇が、激しく波打って震える。
黒い花びらが夜空へと噴き上げ、瞬時、半月が姿を見せた。
薄れた闇は八坂によってすかさず補充されはしたが、矢の威力に彼女の表情から余裕が消える。
「聞いてたより強いじゃない。連射されたら保たないわよ」
「強弓の鹿苑寺が、これ以上は速く射れないはずだ」
北側で敵を掃討していたロクも、一旦皆のいる雲の中心へ帰ってきた。
彼を援護していた上七軒に調子を尋ね、「絶好調!」の返事に頷く。
ここに七人が再結集し、御所での攻防は仕切り直しとなった。
「でもさ、矢に銃撃まで合わせられたら――」
台詞を言い切るまでに、八坂の懸念は実現化する。
再び矢が直撃し、花は散った。
いつの間にか攻め来た影落ちたちが、薄くなった雲へ弾を撃ち込む。
吉田の扇からはみ出た錦を、ロクが胸元へ引き寄せた。
彼の背中が、錦へ当たるはずの弾を引き受ける。
「ロク!」
「コート越しなら、少しくらい平気だ」
弾は止めたと軽く言う彼を、鷹峰がまじまじと見つめた。
そんな芸当は、いくら修練を積もうがロクにしか不可能だ。
「狙撃してくるヤツは、錦が片付けろ」
「でも、影の数が膨れ上がってる!」
「蛾が集まって来たんだ」
「それじゃ狙えない」
「虫ごと全部縫え」
鷹峯へ向いたロクは、矢の曲げ方を教えてやってくれと頼む。
八坂と吉田は防御に集中、残る二人は錦の護衛に割り振る。
「上七軒はあまり前に出過ぎるなよ」
「分かってるって。任せといて」
ロク自身の務めは、口に出さずとも皆理解していた。
最も迷惑な遠距離砲は、彼が黙らせる。
ロクの身体が光を吸い込み、八坂の雲へと暗く滲んでいく。
「すぐ戻る」
一言残して、彼は雲の庇護から走り出た。
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