28. 攻防

 しょんぼりと口数の少なかった上七軒が、喜色満面で跳ねる。


「やった! 北は烏丸もいるし、ボクだけで足りるよ」

「食べ過ぎて、またお腹壊さないでねえ」

「まだまだ全然平気!」


 影で腹痛なんて起こるのか――彼とはよく知る仲らしい八坂に、錦が尋ねた。


「何だって過ぎれば毒よ。上七軒は食欲が強すぎて、二度ほど寝込んだって聞いたわ」

「寝込む……熱が出るとか?」

「真っ黒になるみたい。影縫いだって、絶対落ちないわけじゃないの」


 影の摂取過多、摂取不足のどちらも彼らを苦しめる原因になる。

 月輪と陽鏡はその両方を起こせる神具であり、影縫いたちには天敵と成り得た。


 上七軒の縫い具は自らの影をちぎって減らし、また縫い終われば増大させる。

 空腹と満腹を何度も短時間で繰り返すのと等しく、これが食欲異常を引き起こしたのでは、と八坂は言う。


 自分は弓で良かったと思う錦を余所にして、少年は一心不乱に地を蛇刀でつついた。

 艶の無い漆黒であることを除けば、湧き出る子蛇は現実の蛇にそっくりだ。

 十匹、二十匹と獲物へ向かって這い進み、それらと行き交う同数の蛇が上七軒に帰ってきて刀へ消えた。

 縫い蛇の無限連鎖は、彼が飽くまで続く。或いは、腹が苦しくなるほど満たされるまでは。


 彼が言ったように、北は任せて大丈夫だろう。錦は花雲の東縁まで進み、腕の先を外へ出した。

 上七軒は雲の中から蛇を放ったが、それは自身の影圧が強いから出来ること。

 彼女の矢は八坂の雲に負けて、急ブレーキが掛かる。


 猿が辻から入った彼女たちは、荒れたプールを越えて少しずつ南下した。御所の雰囲気にはそぐわない近代建造物は、このプールくらいのものだ。

 騒ぎを聞き付けた皇居警察の警官たちを、鷹峯が極軽く縫って黙らせた。

 記憶障害くらいは残るとしても、純粋な一般人なら明朝にはケロッと復活するだろう。


 現在は御所中央の参内殿さんだいでんが目の前にあり、ここを抜ければ清涼殿に行き着く。

 下鴨、吉田の二人は、敵に先回りされないよう雲から出て南へ向かった。

 鷹峯はやはり単独行動が性に合うと、一人で走り回っているらしい。

 御所には宮内庁の職員もいれば、府警本部も程近い。駆けつけた人間を寝かせて回るのも、彼らの仕事だ。


 南北を仲間が担うなら、錦は東を担当しようと考えた。

 東塀は建物に隠れて、目では見えない。敵の気配を射るべく、傍らで観察してきたロクを真似て、彼女は影の触手を伸ばす。

 春日大社で練習した時、弓使いには探知が重要だと彼は説いた。先代は得意だったし、彼女にも素質がある、とも。


 今夜の襲撃は、練習の続きとしては容易な課題である。

 何せ敵の数が多く、近い。

 東に建つ御花おはな御殿の裏にいる三人に触手が届いたのを感じ、錦は影矢を三連射した。

 御殿の壁をすり抜けて、矢が見えない敵を狙う。

 動く目標を追尾した矢は、緩く曲がって影を縫った。


「いけるっ」


 敵影が静止し、薄れていくのが分かる。

 ベテランに囲まれ物怖じしそうになった彼女も、やり通せる自信が芽生え出していた。





 清涼殿に隣接する紫宸殿ししんでん、南庭。


 吉田の扇で弾を防ぎ、彼の後ろを定位置にして、下鴨が縫うチャンスを窺う。

 かなりの数の敵が、大きく御所を迂回して、南方向から侵入を試みたようだ。

 次から次へとなだれ込む男たちを、吉田が影のシールドで強引に押し返す。

 接近乱闘に持ち込んで射撃を躊躇わせ、その隙を下鴨が突いた。


「もっと扇をデカく出来ねえのか!」

「無理言うな、こんだけありゃ十分だろ!」


 直径三メートルに及ぶ影の扇は、吉田の作れる限界サイズだ。

 しかしながら、半円という形が下鴨には気に入らない。

 弾を防ぎつつも、時には横に扇を薙いで迫る男たちを払う。

 難しい役回りを器用にこなす吉田であったが、足元の防御が薄いことに敵も気づき始めた。


 銃弾が吉田のジーンズを撃ち抜き、裾に新たな穴を開ける。

 ふくらはぎの肉をいくらか削られた彼が、片膝を突くのを見て、下鴨も急いで頭を低くする。

 自動小銃は彼らの想定外であり、テンポの早い攻勢に若干手こずっていた。


 庭に転がされた影落ちはもう二十を数えるというのに、六人の増援が南の塀から降り立つ。

 元いた五人も後退して距離を取り、左右に展開した敵が一斉に銃口を向けた。


「ヤバいかも……」


 吉田の言葉に触発されたのか、下鴨が扇の前に飛び出す。

 烏丸がやれるなら自分でも、とスピード勝負を仕掛けたなら愚の骨頂だ。

 それでも常人よりは速いし、ダッシュを支える筋肉も鍛えた。敵へ肉迫する瞬発力は、下鴨が誇る最大のアピールポイントである。

 一息で正面の敵へ詰め寄った彼は、手に持つ銃身を爪でかち上げた。


 撃たれた弾は、下鴨の頭上へ飛び去る。

 男の腹に黒爪を突き立て、その胴に痛めた左腕を回した。

 敵は右に四人、左に六人、数を減らせば吉田が何とかしてくれよう。


「おおぅっ!」


 抱えた男を盾にして、下鴨は左へと押し進む。

 彼の意図を察した吉田は、下鴨の背を守るために前へ駆けた。

 四人分の銃弾を受けて、扇の影が激しく揺らめく。


 問題は、下鴨が力で押し切ろうとする左の六人だ。

 次の男を二段重ねに刺したまではよかったが、足を鈍らせて速度は落ちた。


 射角を確保しようと広がった敵たちは、だが、銃を構えたまま立ち呆ける。

 彼らが崩れ落ちるのと同じくして、暗い風が下鴨の隣を吹き抜けた。

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