第二章 京都

22. 吉田

 警戒すべきは陽鏡、としても、詠月がどう出るかは未知数だ。

 先に敵対する影縫いを減らそうとするのも、十分に考えられる。


 散発的な戦闘を仕掛けてくるのか、直接御所へ突っ込んでくるのか。

 もちろん、ロクの予想が丸っきり外れる可能性だってある。


 だが、京市街を目指せば、一つ明白なメリットが得られよう。

 街には普段から多数の影縫いが活動しており、新たに集まる者も増えるはずだ。月輪の情報が行き渡れば、影縫い全員が集結することも有り得た。


 ロクのように詠月の行動を先読みしなくても、道に迷った影縫いは京の街へ立ち返る。

 そこが彼らの原点であり、近代化した今も本拠地なのは変わらない。


 太陽と人の目に晒される日中は、ロクも大人しく道路脇を歩いて進む。

 ロングコートが暑苦しいことこの上ないが、汗ばむ錦より余程涼やかな顔だ。

 伏見稲荷を過ぎ鳥羽街道を越えた頃、ロクはコーヒーショップの前で立ち止まった。


「そこで休憩しよう」

「ロクでも休憩するんだ」

「お前用だ。ついでに何か食っとけ」


 春日山から一日近く食事を取っていないため、実のところ錦は空腹を我慢していた。

 修業不足となじられるのが嫌で平静を装っていたものの、ロクの言葉に笑顔が戻る。

 案外にボリュームのある軽食が出るチェーン店で、店の隅に座った彼女は五段重ねのパンケーキとサラダを注文した。

 ロクはアイスコーヒーだけを頼み、ウインドウ越しに外を見遣る。


「錦の家はどこだ?」

「醍醐のアパートだよ」

「市街から遠いな。御所の近くでホテルに泊まろう。疲れたらそこで休め」

「ロクも泊まるの?」

「部屋は取るつもりだ。休めるかは、詠月次第だな」


 観光客なら昼は出掛け、夜はホテルで寝るだろう。

 しかし、昼夜の活動時間は逆転させるよう、彼はきつく忠告した。


「日が暮れたら、いつまた鹿苑寺の矢が飛んでくるかもしれん。寝てる間にやられたくないだろ」

「あの矢か……。防ぐ方法はある?」

「撃ち落とせってのは、お前にはまだ無理か。ああいうのがさばける影縫いも京都にはいる。例えば八坂やさかなら――」


 途中で話を切られ、錦もパンケーキを口に含んだまま固まる。

 彼が立ち上がり、コートの内側へ手を入れたのを見て、彼女も自分のリュックを引き寄せた。

 ランチ時が近付き、それなりに混み合い出した店内がロクの圧でかげる。

 談笑する声がわずかにトーンを落とし、不穏な空気に辺りを見回す敏感な客もいた。


「あっ」


 新たに店へ入って来た男は、錦にも容易にそうと分かるくらいに暗い・・

 椅子の背もたれで手元を隠しつつ、彼女は弓をリュックから取り出す。


 濃いカーキ色のジャケットには、肩にゴツいエンブレムが付いている。どこぞの空軍装を真似たフライトジャケットと言うやつだ。

 やや茶色く染めた短髪で、下は穴が空いたジーンズ。チャラい兄ちゃんといった風貌でも、影の強さに錦の緊張は高まった。


 ロクはコートの中に手を入れたまま、男が近づくに任せる。

 身の危険を感じた錦が弓を向けようとした時、見た印象通りの軽い挨拶が掛けられた。


「よう! えらく可愛い子を連れてるなあ。宗旨変えしたのか?」

「用件は?」

「またこれだ、邪険にするなよ。今回はヤバいんだろ?」

「お前の手は借りん」


 知り合いなら紹介してくれと、錦が目で訴える。

 彼女にも苦手なタイプらしく、男の腹を狙う弓はそのままだ。


「こいつは吉田よしだ。一応、影縫いだ」

「吉田って呼ぶなよ。ケンって呼んでくれ」


 ウインクを飛ばされた錦は、おぞましさに身を震わせた。

 こんな軽薄な男が本当に影縫いなのか――ロクヘ向けた彼女の顔には、ありありとそう書かれている。


「情報通で耳が早いが、手も早い。女にだらし無い男だから注意しろ」

「なんつー紹介すんだよ。他人の彼女には手を出さねえよ」

「色恋にかかずらうのが、おかしいと言ってるんだ」


 弓を握る錦の手に、一層力が入った。

 以前、ロクと吉田は、同じ影落ちを縫おうとして鉢合わせたことがある。

 吉田は身を呈して、鳶口から対象を庇った。あろうことか、相手が美人だからというふざけた理由でだ。


「仲間になるかもしれないのに。烏丸はせっかち過ぎるんだ」

「縫って一般社会へ還せばいいだろ。影縫いになれるとは限らん」

「掟ってやつか。妙に堅いよな、そういうとこ。で、早くこの子の紹介もしてくれよ」


 思いっ切り低くした声で、「錦です」と彼女は名乗った。

 代替わりしたのだとロクに説明された吉田は、両手を広げオーバーアクションで驚いてみせる。


「いやあ、こんな可愛い子になったのか」

「白々しい。どうせ知ってたんだろ」

「そう言うなよ。湿っぽくなるのは苦手なんだ」

「早く用件を言え」


 多少なりとも真面目な顔付きを作り、吉田はロクたちの行き先を尋ねた。

 市街の中心地、御所へ向かうと知って、彼は協力を申し出る。

 既に北野と連絡を取ったらしく、局が壊滅したことを吉田も聞き及んでいた。


 社会は光と影の微妙なバランスの上に築かれている。

 詠月を放置すれば全てが倒壊しかねないと、影縫いなら誰しもが危惧して当たり前だ。

 飄々ひょうひょうと一般人のフリをして生きる吉田は、ロクとは水と油のように反りが合わない。

 それでも未曾有の災厄を予感して、彼も詠月を追うつもりだった。


「俺は先に行って、他の連中にも話を通しておく。街は異常なことになってる、気をつけろよ」

「異常とは?」

「すぐに分かるさ。日暮れ前に、御苑で落ち合おう」


 最後は錦へ親指を立ててニカッと笑い、吉田は店を出て行った。

 見るからに彼を嫌っていたロクが、なぜ再会する約束をしたのかと錦が首を捻る。


「あんな男でも、実力はある。鹿苑寺の矢にも対抗できるだろう」

「へえ、意外だな……」

「さあ俺たちも出るぞ」

「ちょっ、まだ途中だって。行かないで!」


 パンケーキの残りを無理やり口へ押し込んだ錦は、さっさと外へ向かったロクを走って追いかけた。

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