23. 影の街
九条を過ぎ京都駅が見える地点まで来ると、ロクがまず吉田の言った異常を察知する。
真昼の影は日没後よりずっと薄く、歩きながらでは彼とて遠方まで警戒し続けるのは難しい。
ましてロクより感覚の鈍い錦は、脳天気に自分の財布を開けて所持金を確かめていた。
駅の八条口を前にして西方向へ駆け出したロクを、一体何事かと彼女も追う。
高架沿いに百メートルほど走り、今度は急停止した彼に、錦の頭がぶつかりそうになった。
「もうっ、何よ!」
「こんだけ近くに寄れば、お前にだって見えるだろ」
ロクが掲げた指の先へ目を向けたものの、彼女には何を示そうとしたのかが分からない。
パーキングの標識、走り行く新幹線、どれも違うと言われてようやく不動産屋の屋根に乗る黒影を見つけた。
「何の影だろ。人じゃないよね?」
「鳥だ。影落ちした鳩だよ」
「鳥の影なんて、初めて見たかも。縫う?」
「そうしたいが、俺じゃ目立ち過ぎるな」
昼間でも接近すれば鳶口で縫えるだろうが、二階建てのビルの上では高過ぎる。
影になって舞うと注意を引く上に、昼はかなりの力を消耗してしまう。
途中で鳩が逃げると、そこまでした努力も水の泡になろう。
「じゃあ、私がやる。射るから隠して」
行き交う車から見えないように、ロクが錦の手元を隠すように立つ。
リュックを下ろし、弓を握って三秒の集中。
影矢が放たれると同時に、錦は止めていた息を吐く。
鳩が留まっていた屋根の
しかし、当たる寸前で鳩が飛び立つ。
的を外したかに見えた矢は上方に軌道を曲げ、鳩の腹部を貫いた。
「やった」
「上達してきたな」
落下した鳩に、もう影は無い。
ガッツポーズを取ろうとした彼女は、鳩に跳びついた野良猫を見て「あっ」と小さく呟いた。
「早く弓を仕舞え」
「……あの鳩、私が殺したってことだよね」
「結果はそうかもな」
格好の御馳走をくわえた猫は、ビル陰へ引っ込む。
周囲に外敵がいなければ、数瞬後に鳩は目が覚め、また飛んで行ったかもしれない。
今回は運が悪かった、そう言われても、錦はどこか不愉快そうだ。
「ヘリと同じことだ。縫った後まで責任を負うことはない」
「でも」
「俺たちは自然の摂理なんだよ。雷や台風が、自分を省みたりはしないだろ?」
「んー」
駅前に戻っても難しい面持ちだった彼女だが、地下通路で駅の北側へ抜けた頃、そわそわと周囲を見回し始めた。
西へ広がるショッピングモールの入り口で、錦は買い物があると言い出す。
「すぐ戻るから」
「待て、地下街にも影がいる。別行動は避け――」
「いやもう、すぐだって!」
一番手前にあったドラッグストアへ飛び込んだ彼女は、確かに五分も経たずに出て来た。
まあこれなら、とロクが近寄ろうとしたところ、錦が叫んで押し止める。
次に二軒隣のランジェリーショップへ、さらに向かいの服屋へと彼女は忙しく走った。
どうやら着替えの服が欲しかったらしい。
紙袋二つを提げて戻って来た時には、結局二十分が過ぎていた。
「そろそろ影だらけなんだ、もう少し急げないのか」
「超特急だったでしょ! 好みなんて度外視で選んだんだから」
また二人でしばらく地下通路を北へ歩くと、京都タワーの入り口が左手に現れる。
ここまで来てやっと、錦はロクが何を警告していたか理解した。
「なんか……影が多くない?」
「北へ行くほど増える。どういう仕掛けかと思ったが、鳩で分かったよ」
「動物の影ってこと?」
「動き方からして、大半はそうだろう。撹乱目的だな」
大量の囮を生む“散り影”は優秀な技だが、陽光下では使いにくい。いくらも経たない内に、光が溶かしてしまうからだ。
その点、ちゃんと宿主を用意してやれば、誰かが縫うまで囮は影を帯びていてくれる。
他者を影に落とせる詠月ならではのやり方だった。
地下北端の階段を上がると、東本願寺の近くに出る。
ここでロクは、本気の探索を試みた。
歩道の端に寄り、地面に片手を突いて影の触手を伸ばす。
「どう?」
「凄まじい数の影だ。これじゃ縫って回るのも一苦労するぞ」
詠月一派が街へ入れば、影縫いたちが探知出来ると考えていた。
だが数百と影を撒かれた今、
それでもやるしかあるまい、とロクは自分と同じ名が付いた通りへ顔を上げた。
「皆の連携は、吉田に手配させるか。急ごう」
「うん」
街を行く観光客たちは増殖する影など気にもせず、スマホを片手に散策を楽しむ。ロクたちの活動を、彼らが知る必要は無い。
詠月が引き起こしたことではあるが、月輪は影縫いが決着を付けるべき過去からの宿題だった。
せめてもと、近場にいた影を縫いながら、二人は烏丸通りを北へ歩いた。
五条、四条、
京都御苑の南端だ。
都が造成された際、内裏は街の中心部、つまりもっと西に位置した。
烏丸通に接するここは内裏の予備地、
鎌倉時代に内裏が焼失すると、御所はこの御苑内の一角へ移された。
ロクたちは丸太町通を東進し、御苑に面して建つシティホテル、ル・パレにチェックインした。
高級ホテルの宿泊代を心配した錦は、ロクが二人分の料金を前払いしたのに胸を撫で下ろす。
部屋の位置だけ確かめ、一階へとんぼ返りしたロクは、御苑に到着したと吉田へ電話を入れた。
その後フロントで市街地図を購入し、ロビーで眺める彼の元へ、半時間ほどして錦が合流する。
彼女はシャワーを軽く浴び、白シャツとチノパンに着替えていた。
ホテルまでの道中、影を縫うのに寄り道を繰り返したので、もう日没が近い。
時刻は午後六時を回ったところ、日が暮れるまで後一時間。
ロクは地図を彼女に与え、御苑南中央の入り口、堺町御門へ向かった。
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