21. 伝説
ビル内で倒れる社員に、矢にやられた局員。それに深草を合わせて、五十人もの人数を各地の病院へ送る必要がある。
早朝の伏見区に、大量の救急車がサイレンを鳴らした。
新聞社の捜索は府の公安に引き継ぐこととなり、阿東には山のような報告業務がのしかかるだろう。
北野は山ノ内の回復を待ってから、詠月を追うそうだ。
死者はゼロ、それだけ見れば宇治よりマシとは言え、局長の顔に刻まれた
北へ向かうと言うロクヘ、阿東は当てがあるのかと尋ねる。
「明日香からずっと、詠月たちは北上している。時間を掛けて俺たちを誘導してるんだと思う」
「北ってのは京都市街か?」
「おそらく。影縫いには、因縁深い土地だからな」
目的は不明でも、詠月が金や財宝を求めるとは考えにくい。
局や影縫いを敵に回してでも成したいことは何か。奴の持つ月輪がヒントだと、ロクは思う。
阿東の危惧したように、縫い具が人の精神に影響を与えるとすれば、月輪ならどんな影縫いを生むだろう――。
考え込む阿東に背を向け、ロクは街路を歩き出した。
その後ろをトコトコと錦が追う。
「ねえ、京都市街って言っても広いよ。どこを目指すの?」
「月の片割れは太陽だ」
「んん?」
影縫いは縫い具の名で呼ばれ、縫い具は全て土地に因んだ名前で呼ばれる。
錦、烏丸、北野、夷川――。
識別用に使われるコードネームの類いではあるが、適当に割り振られたものでもない。
千年の昔、都を影から守るために結界が張られた。
元来、呪術を適用しやすいように造成した街であり、最初から計画されたものだったようだ。
黒鋼を集めて九十九の神具を作り、街のあちこちに埋めて邪を払う。
結界が有効だったのかは、呪術士か歴史家が決めればいいこと。
戦乱や寺社の改築、街の再整備を経て神具は一つ、また一つと掘り返されていく。
神具を作ったのはたった一人の男であり、少なくともその者は本物だった。
九十九の神具――縫い具はこうして生まれ、今もって影を縫い続けている。
歴史を振り返るロクへ、錦は口を尖らせた。
「さすがにその辺りのことは知ってるよ。神具を埋めた場所の上に、寺を建造したりもしたんでしょ」
「鹿苑寺が正にそうだな。二次大戦後に焼失した時、基底を掘り返して発見したものだ」
「縫い具として使い出したのは極最近だってわけだね。んで、それが何なの?」
「神具の上に造ったのは、寺社だけじゃない。月輪の対になる神具を知ってるか?」
首を傾げた錦へ、ロクの説明が続いた。
神具を作った男は、元は吉野の山中で捕らえられた
咎人と言っても、特に道に外れた行いがあったわけではない。
本人が曰く、鬼に家族を殺され、夜な夜な仇を求めて山野を
皆が恐れたのは、その姿形のせいだ。
黒い
この面妖な男こそ鬼ではないかと感じた人々は、男の全身を陽金の鎖で縛り、牢へ幽閉した。
影付き、と忌まれた男は、後の影縫いの先鞭かもしれない。
捕われては鬼を狩れないと嘆いたものの、奈良から京へ都が移った際にも旧都に捨て置かれた。
そんな彼が牢から出され、京へ連れてこられたのは、勢力を増す鬼たちに万策尽きたからである。
当時は闇が支配する都の周辺に、刃も矢も弾く黒い鬼の群れが出没するようになった。
鬼を討てる武器を用意出来るなら、解放してやろうという約束に男は乗る。
鎖に繋がれたまま鍛冶場へ赴いた彼は、用意された黒鋼で縫い具を産み出していった。
ある種の天才であったのは間違いなく、様々な異形の武器に人々は瞠目したと言う。
黒い炎で鋼を焼き入れ、その身を削って影を宿す。
十の武器が完成すると、次は二十に男への要求は増え、二十の次は三十と約束は違え続けられた。
果ての無い要求に、男は何を思ったのか。
“衆生を照らす
陽と並び立つ月を作る、その言葉と共に鍛冶場へ篭った男は、十日後、姿を消した。
文字通り服だけが床に投げ出され、中身は煙のように消えていたそうだ。
大量に在った黒鋼も見当たらず、影炎を漂わせる神具が後に残された。これが月輪だ。
「究極の縫い具って感じだね」
「詠月が持っているのはその破片だろう。作られたままの形では残っていない」
「破片であの力って……」
都の呪術士は月輪を結界の要と考え、朱雀門の基部に埋めた。
現在の
月輪を憎む鬼が取り憑いたため、二つの門は荒れ果てたと言うが、逆ではないだろうか。
月輪は影縫いをも黒く落としてしまう代物だ。
人が扱うには過ぎた影だったのだと、ロクには思える。
彼と同じくその危険性を認識した先人は、結界を解除して月輪を砕き、遠く各地へ埋め封じた。
簡単に破壊できるような月輪ではなく、この封印に参加した呪術士の大半が命を落とす。
この時から、失われた結界の代わりに影縫いが誕生した。
男は九十九の縫い具を作ったと言われるが、目録が作られたのはもっと後の話だ。
平安から武士の世へ、そして近代へと時代が移り変わる過程で、京は何度も焼かれ、倒壊し、整備し直されてきた。
その度に街が掘り返された結果、縫い具は全て地表へ戻る。最終的なその数も、九十九と定められた。
この中に、封じられた月輪は含まれていない。
伝説と数を揃えるという体裁のために、羂索と独鈷杵は二つの縫い具としてバラされた。
「九十八でもいいのにね。でさ、月輪ってどこに封じられてたの?」
「さあな。蝦夷より北だとか、海へ投じたとか、実際は分からん。それより問題は月輪の相方だ。陽は闇を生み、月輪が払う。覚えてるか?」
「うん、奈良支部で言ってたね。逆さまじゃないかなって思ったんだけど」
「意味はともかく太陽を象徴する神具、それが
神器と呼ぶのが一般的か。儀礼で登場する三種の神器、その一つ
神鏡とは本来、陽鏡を指すものだった。
陽鏡は、陽金で作られた拳大の円盤である。白銀に輝く鏡面は美しく、ロクのような影縫いは触れるのも嫌う。
影を吸い、集め、吐き出す。
そう、見た目は正反対でも、持つ力は月輪にそっくりだと聞く。
白と黒、陰と陽。
二つの神具は、お互いを補完し合う存在だ。
「伝承がいくらかでも本当なら、月輪は明らかに陽鏡を意識して作られたものだろう」
「どっちもとんでもない危険物っぽい」
「月は陽を以て初めて、その本領を発揮する。詠月は縫い具を集めてるが、奪われて最も厄介なのは――」
「陽鏡、なのね。どこにあるの?」
複数の影縫いが常に巡邏する京の要、御所。
そこに陽鏡が埋められていると、ロクは告げた。
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