18. 宇治へ
地味なセダンの後部席に落ち着いてすぐ、ロクは錦の話し相手をさせられる。
運転するのは、明日香で影落ちを回収に来たのと同じ若い男だった。名を
現場任務に、そして影縫いに憧れる彼は落ち着きに欠け、後席の会話にもしきりに口を挟もうとする。
ただでさえ機嫌の悪いロクは、たまらず二人に黙るよう命じた。
「もうすぐ木津川だろ。渡り終わるまで静かにしてくれ」
「あっ、ひょっとして、乗り物嫌いの理由はそれ?」
「お前も一人前になったら分かる。川は気分が悪くなるんだよ」
弱点、と言っても構わないだろう、ロクは流水を苦手としている。
流水は影を引っ張り、吸い散らしてしまう。
前もって構えて当たれば済む話だが、乗車中はふいに河川を横切ることもままある。
その度に身を揺らされるようで、ちょうど乗り物酔いに似た気持ち悪さを感じた。
錦は車中で影を引っ込めるため平然としており、楽しそうにお喋りを続ける。
「烏丸ロクにも苦手なものはあるんだ。意外」
「ボクも初めて聞きました。詠月にも放水で攻撃したらどうでしょう。効くかもしれませんよね」
「それいいね! 消防署に頼めばいいのかな」
ロクは目を閉じ、盛り上がる二人の声を極力耳に入れないようにした。
なんて奴らだ――と心中で唸りつつも、二人が話すのは全く荒唐無稽なアイデアでもない。
流水に誘い込めば、詠月の影を弱めることは可能だろう。
ただ、かつて逃走経路に宇治川を選んだ男だ。
ちょっとやそっとでは効果が薄いだろうし、対するロクら影縫いも力が減じる。
錦はピンと来ないようだが、影が深まるほど苦手なものは増える。
現存する陽金は欠片すら希少で、目にすることはほぼ無いのが幸いだが。
車が橋に差し掛かり、影が真横に流れる。
ロクの臓腑が抗議のむかつきを訴え、
その後、質問を再開した錦へ、ロクが面倒臭がりながらも一つずつ答えてやる。
春日山での経緯に始まり、阿東から聞いた詠月との因縁や、月輪の能力。
山岸にも初耳の情報が多く、いくつか問い返された。極秘事項だろうが、ロクが黙っておく義理も無い。
宇治市内に入ったところで、まずは病院へ行くようにロクが指示する。
未明の市道を快調に飛ばし、午前四時四十分、府立病院へと着いた。
彼が見たかったのは、倒された二人の影縫いだ。
脳死判定後も、ロクが見るまでは生命維持用の機器を止めないように頼んであった。
山岸のお蔭で面会許可は即座に通り、
次は阿東のいる本部へ乗り込もうと発車した時、山岸の端末に連絡が入る。
交信を終えた彼は、このまま北上して伏見へ行くと告げた。
「ヘリの所属が分かりました。近畿日報の報道用ヘリです」
「新聞社とは、また妙な隠れ
「正式な依頼で大阪の空港から飛んでいます。今から本社の捜索に入るので、同行してください」
ロクにも来いと言うのは捜査協力ではなく、戦闘になるのを危惧したせいだ。
他にも間に合いそうな影縫いたちへ、声を掛けたらしい。
地方紙として最大部数を競う近畿日報は、京都府伏見区に本社を構える。
宇治からは一足伸ばせば着く距離であり、程なくしてロクたちも阿東の元に到着した。
局員は本社近くの児童公園を集結場所に選び、外フェンスを停めた車が囲う。
その中で唯一の大型バンが指揮車であり、後部ハッチから顔を出した阿東がロクを手招いた。
山岸を外に残し、ロクと錦がバンの中へと入る。
モニターと通信機が並ぶ内部には、阿東の他に二人の局員が機器に張り付いていた。
「今は礼状待ちだ。我々が捜索するから、何かあったらサポートしてくれ」
「危なっかしいな。俺が先行した方がよくないか」
「これは
阿東が自分の所属を明言するのは、初めてのことだろう。
影縫いに頼らず容疑者を追い詰める――実に真っ当な常人らしい意地だ。
彼らが今まで対処してきた影落ちなら、積み重ねてきたノウハウも活きる。
多数で包囲し、いざとなれば発砲も許可されていた。
弾丸を
索敵を怠らなければ、そんな影縫いの接近は把握出来よう。
自分でも念を押そうと、ロクは周囲に影を伸ばす。
悪寒に襲われた阿東が露骨に嫌な顔をしたが、彼の目的を知っているので止めはしない。
半径二キロ圏に不自然な影は――一つ。
「南から大きいのが近づいてる。影縫いか?」
ロクの探知結果を受けて、阿東が局員へ確認を求める。
「深草、山ノ内、北野の三人を車で移送中です」
「だそうだ。他に影はいたか?」
首を横に振るロクを見て、阿東は満足そうに頷いた。
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