16. 月輪

 ロクが銀林の相手をしていた頃、阿東は宇治の局本部へ戻ったらしい。

 古代遺構研究所の本体は奈良市の北、宇治神社に隣接する朝日山あさひやまに在る。

 奈良市内を連続放火しようとした詠月一派は、同時に宇治も襲撃した。

 詠月の主目標が宇治の遺物安置所だったのは、本人がいたという報告からして一目瞭然だ。


「裏倉、いや奈良全体が囮だったんだよ。まんまとやられた」

「いくら奈良に人を集めたからといって、本部の警戒はトップレベルだろ?」

「局員の被害は二十二名。詳細は連絡待ちだが、まだ増えそうだ。影縫いも二人やられた」

「誰がいた?」

堀川ほりかわかつらだ」


 ロクに言わせれば、中堅の影縫いといった二人である。錦よりは上の実力だろうが、ロクや夷川には遠く及ばない。

 影縫いは、影を求めて気ままに彷徨さまようもの。

 濃い影が出現すれば、自然とそこへ皆が集う。誘蛾灯へ群がる昆虫と同じだ。

 二人でも局の要請で警護を引き受けたなら、上首尾と言えよう。


「相手に影縫いクラスは何人いた?」

「映像には五人、但し影を使ったのは一人だけ。詠月と断定する材料が無いので、Aと呼称している」

「呼び方はどうでもいい。一人で二十人以上を相手にしたのか」


 監視カメラが捉えた映像では、近づいた局員を一瞬で影に落として無力化したそうだ。

 影縫い二人も似たようなもので、戦闘と言える攻防は無かったと言う。


「月輪を使いこなしているなら、厄介な相手だな」

「ねえ、月輪ってどんな縫い具なの?」


 勉強不足の自覚はあるのだろう、やや恥ずかしそうに錦が尋ねる。

 しかしロクや局にしても、伝承以上の情報は知らない。


 衆生を照らす陽はまた、昏暗こんあんの闇を生むべし。

 闇を払うは月輪のせき

 暗影は月を以って払い給え。


「うーん、難しいなあ」

「月輪が司るのは、影そのものだと言われてる。影を吸い、集め、吐き出す」

「吐いちゃうの?」

「ああ。形状は単なる細い腕輪で、武器にはならない。噴き出す影で相手を落とす。縫いもしない変種だ」


 襲撃直後の報告を最後に、本部からの連絡は途絶える。

 阿東は部下と共に宇治へ急行し、今は彼からの指示をジリジリと待機しているところだった。


「安置所は銀行と同レベルの金庫になっている。侵入に成功しても、開けるのは難しいはずだ」

「月輪をナメない方がいいと思う」

「そうは言っても、物理鍵と生体認証の三重ロックだぞ」


 いくらロクでも宇治は遠く、阿東からの通信を待つしかない。

 春日山での戦闘を話すと、支部長は一旦部屋から退出した。


「本部ってのは、何があるの?」

「行ったことがないのか?」

「阿東さんに招かれた時は、単なる事務所みたいだったけど」

「そりゃ本棟の一階だな。二階に捜査室があって、地下が研究施設だ。詠月が襲ったのは、地下で連結してる別棟だよ」


 影縫いたちは、この別棟の遺物安置所を宝物庫と通称している。

 持ち主を無くした縫い具の行き先で、裏倉の縫い具も昨日の昼に運び入れたそうだ。


 慌ただしい声の応酬が部屋の外から伝わり、ロクたちは会話を止めてドアを見る。

 すぐに頬を紅潮させた伊関が再登場し、悪い知らせだと前置きした。


「安置所の遺物を、一つ残らず奪われた」

「言わんこっちゃねえ。何個盗られた。十は在ったよな?」

「この数年で亡くなった影縫いは多い。金庫に収容していたのは、全部で二十七だ」


 より安全な場所へと、阿東は各所の縫い具を安置所に集積する。

 これが裏目に出た――と言うより、詠月に踊らされた、が正しいか。

 さて何から責めようかと、ロクは支部長の顔をめつけた。


 まだまだ隠していることがあるだろうと、ロクは冷やかに言い放つ。

 局はいつから詠月を知っているのか。縫い具を奪う理由は?


「それは局長に聞いてほしい。緊急回線で繋がっている」


 伊関は自分の端末をロクへ手渡した。

 ガラケーの形状をした、専用回線を使う局の装備である。


『全く以って、酷い有様だよ。降格を喰らいかねん』

「泣き言はいい。詠月との因縁、話してもらおうか」

『ヤツはこの五年、鳴りを潜めていた。信じてくれとしか言えないが、仲間がこれ程いたとは思いもよらなかった』


 局の記録に初めて詠月の名が記されたのは、十二年も前のことだった。

 最初は藤原ふじわら詠月と名乗ったらしい。名前以外の記憶を喪失した影落ちを、局は影縫いに先んじて保護する。

 通例ならそこで影縫いの誰かを呼び、縫い締めて終わる話だ。

 だが局は、類い稀な影を纏う詠月を手駒に加えた。

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