15. 古代遺構研究所奈良分室

 現場を離れて走り出した彼を、錦が懸命に追う。


「負傷者は放っておくの?」

「もう俺たちの仕事じゃない。連中の目が覚めるのも、ずっと先だろう」


 松原は徹底的にやり込められていたので、治療は難航しそうだ。

 工作員たちを縫った錦の矢も、昨夜より威力が増していた。こちらもしばらくは昏睡が続くと思われる。


 ロクに本気で走られると、錦はすぐに口を利けなくなった。

 それどころが徐々に二人の距離は開き、先にロクだけが山を抜ける。

 舗装道になって加速した彼は、奈良公園から東大寺の裏手へと進み、ドライブウェイの入り口近くへ向かった。


 正倉院正倉にも近いこの場所に、二階建ての小さなビルがある。

 人の丈を超す塀に囲まれた“古代遺構研究所奈良分室”――研究施設とは名ばかりで、実体は局の奈良指揮所だ。


 どうせ正門に回っても入れてはくれないだろうと、ロクは側面の塀へ直進する。

 コンクリの壁にぶつかる寸前、アスファルトを蹴って浮き上がった彼は、一息で塀を跳び越えた。

 植え込みも無い殺風景な前庭を斜めに横切り、ビルの正面ポーチに足を乗せたところで、警備員たちが駆け付ける。


「止まれ! ここは部外者以外、立入禁止だ」

「阿東を呼べ。それとも、そのスタンガンが効くか試すか?」


 只の警備員が持つにしては、暴漢鎮圧用の高電圧銃が物々しい。相手がロクでなければ、十分な脅しになっただろう。

 集まって来たのは三名、他の二人は警棒を握り、今にも組み付きそうな構えだ。


 軽く縫って気絶させようかと、ロクがコートの前を開いた時、電極ピンが発射された。

 ピンを難無く避けて鳶口の柄に手を掛けた彼を、慌てた声が必死に制する。

 正面ドアから走り出てきたのは、ロクも会ったことのある男だった。


「縫わんでくれ! そうでなくても人員が足りんのだ。お前らも武器を仕舞え」


 阿東に比べると背も低く、無駄に肉付きもいい。

 商店の主人が似合いそうな彼が奈良分室長、伊関だった。ロクとは裏倉を検品した際に顔を合わせている。


「殴り込みに来たんじゃない。情報を寄越せ」

「相変わらず強引な。局長からの連絡を待てんのかね」

「待てないね。その阿東は中か? 詠月を押さえたいなら、さっさと俺たちを使えよ」


 銀林を逃がしてしまったロクは、次の指針が定まらないことで余計にイラついていた。

 詠月の仲間は予想を遥かに超えて多く、ヘリまで持ち出す周到さである。

 長く調査を続けてきた局が、奈良を襲撃されるまで何も知らなかったとは思えない。

 ロクの関知しない裏で、阿東はどう動いていたのか。


 詠月だけならともかく、新人縫い手たちと一戦を交え、その強さが異常だと彼も気づく。

 縫い具さえ持てば影縫いになれるというものではないし、ましてやロクと対等に戦うのは至難の業だ。

 彼は一つの推論を導き出す。


「詠月の仲間は強すぎる。詠月が影を分け与えたんだろうが、どれだけの影を持てばそんなことが出来るんだ」

「確証は無かったんだよ」

「馬鹿みたいな量の影を扱うには、それ相応の絡繰からくりが要るよな?」


 箝口令でも敷かれているのか、伊関の口からは答えが返ってこない。

 代わってロクが結論を告げてやる。

 そんなことが可能なのは、詠月が特殊な影縫いだからだと。


「ヤツは朱雀すざく門、月輪がちりんの持ち主だ」

「……我々もそう思う」


 見るからに肩を落とした支部長は、はあっ、と盛大に息を吐いた。


「中で話そう。どうせ君の協力は不可欠だからね」

「あー、もう一人いても構わないか?」

「ん?」


 正面ゲートへ顔を向けたロクを真似て、伊関も暗闇へ目を遣った。

 白い制服が、門の向こうで上下に跳ねる。両手を目一杯振り回し、錦が存在をアピールしていた。

 あれでも影縫いだと説明された支部長は、警備員へ命じて彼女を迎えに行かせる。

 小走りでやって来た錦は、これ見よがしに頬を膨らませた。


「置いてきぼりにしないでよ。見失うかと思った」

「ついて来いとは言ってない」

「えぇ、ひどい」


 二人の影縫いは伊関に先導されて、一階奥の小会議室へ進む。

 安っぽいパイプ椅子に腰を据えてすぐ、支部長は「完敗だ」と嘆いてみせた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る