13. 散り影

 高度を上げたはずのヘリが舞い戻り、先よりも低空で尻を振る。

 異変の原因は、遠く上方から飛んで来た黒い矢だった。

 昼に何度も観察していなければロクをしても見落としかねない錦の影矢が、ヘリの風防を射抜く。


 間髪置かずに次射が到来し、開け放たれた側面のドアから中へと吸い込まれた。

 山の斜面を駆け上がった錦には、たとえ薄い影であってもヘリは格好の的だったはず。

 パイロットが一般人であれば、眩暈めまいに苦しみながらも飛行を続けられたであろう。

 だが残念ながら、明らかに機体は制御不能に陥っていた。


 銀林はさっさとロクから離れて、退避に移る。

 前進か後退か一瞬迷ったロクも、落下するヘリの挙動を見て銀林を追うのは諦めた。

 いくら影縫いでも、大質量で圧されるような事故に巻き込まれては危うい。


「運のいい奴め……」


 ぐるぐると回るテールがブナの幹に激突し、付け根で折れて彼の目の前に転がる。

 これが決定打となり、ヘリの命運は尽きた。

 斜めに傾いだ本体が、地に墜ちる。

 至近で発生した衝撃が、ロクの苛立ちに合わせるかのようにその頬に伝わった。


 金ダライを何十ダースとぶちまければ、ここまでの喧騒が起きようか。

 メインローターは土をえぐり、アルミ鋼材が金切り声を上げて軋んだ。

 赤いボディは踏み潰された玩具のようにへしゃげ、噴き出した白煙が視界を奪う。


 墜落機を迂回して戦闘の再開を図ったロクであったが、轟音が薄れると同時に、弱々しいうめきが耳へ届いた。

 ヘリに乗っていた工作員たちは、辛うじてまだ息がある。


「松原がやられたようだ。退かせてもらう」

「させるか」


 立ち込める煙が邪魔で、銀林の声はすれど姿は見えない。もっとも影の気配さえあれば、立ち位置の特定は簡単だ。

 ヘリの横を通り過ぎ、銀林へ己の影を伸ばし始めたロクは、その先に赤い輝点を見た。


 赤点は煙の中を近づき、ロクの後方に落ちる。

 シューと噴く特徴的な音から、それが発炎筒だと知り、彼は銀林の意図に歯噛みした。

 投げられた発炎筒は、ちょうどヘリのボディ下まで転がってしまう。

 予想に違わず、炎はすぐに機体を舐め広がった。


「クソがっ」


 銀林の影が急速度で拡散する。淡く、広く、まだら模様に。

 高度な隠形、散り影という技である。


 自身の影を大量にちぎり捨ててデコイに利用するこの技を、以前、詠月も使った。

 やれと言われればロクにも可能だが、詠月も銀林も囮の数が尋常ではない。

 一つ一つ潰していては時間を浪費する上に、今は喫緊きっきんの問題があった。


 ヘリへ取って返した彼は、曲がった操縦席のドア枠に向かって鳶口を構える。

 銀林の大太刀なら、ドアを叩き斬れよう。鳶口は影を一点に集中させる縫い具であり、機体を切り刻む真似は出来ない。


 ロクの顔を火があぶる。

 影縫いはそう簡単に焼かれたりしない、と言えども、爆発までされては只で済むまい。


 ドアハンドルの真横へ、鳶口が振られた。

 深く突き刺さったくちばしが、ロック機構を破壊する。機体は手前に傾いていたため、自重でドアが落ち開いた。


 次にパイロットを留めるシートベルトへ鳶口を引っ掛け、ちぎる。

 転がり出た男をヘリから運び出し、すぐに戻って後席の二人も同様に炎から救出した。


 間一髪で機体が派手に爆発し、飛来した金属片を鳶口で打ち払う。

 複雑骨折に酷い火傷と、満身創痍の工作員だが死にはしていない。

 大事故でも生命を繋げるくらいには、黒い影に落ちていたということだ。それが墜落の原因なのだから、皮肉なものだが。


「人助けとは、殊勝なことだな。まさかそのために、詠月を逃がしたのか?」


 硬い口調で、闇から現れた夷川が問い掛けてきた。

 松原とは激戦になったのか、足取りがやや重い。

 手に独鈷杵を持っていることからして、彼が勝ったのは確かだろう。


「いたのは銀林だけだ。影を散らせて逃げやがった」

「散り影、か。松原も異常な影の濃さだった。何度縫ったことやら」

「殺したのか?」

「さあな」


 松原と銀林、共通するのは身に含む影の濃さだ。量だけなら、普通の影縫いを軽く上回っていると思われた。

 技術の拙い松原相手に消耗戦を強いられ、夷川もうんざりしたらしい。


「ところで烏丸は、錦と知り合いだったな。連絡を取りたいのだが」

「ああ、婆さんなら死んだよ」

「なんと。られたのか?」

「病死だ。婆さんに用とは……独鈷杵か」


 松原の独鈷杵と夷川の羂索は、伝承によれば元々一つの武器だったとされていた。そのことを思い出したロクに、夷川も軽く頷く。

 縫い具へ細工するのが得意だった先代錦は、ロクの頼みで鳶口の柄も新調した。

 彼女がいれば、独鈷杵も本来の姿を取り戻せたかもしれない。


「亡くなったのなら仕方あるまい。他に当てはないか?」

一乗寺いちじょうじなら直せるかもしれん。北山で指物師さしものしをやってる」

「そうか」


 後手に回った局も、すぐにここへ集まるだろう。

 その前に立ち去ると言う夷川は、闇に紛れる寸前、ロクヘ振り返った。


「おぬしの力は本物だ。何のために振るうのか、よく考えた方がよい」

「どういう意味だ?」

「あまり阿東を信用するなよ」


 元よりそのつもりだ――ロクがそう答えるより先に、夷川は木々の中へ消えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る