12. 銀林

 裏倉の入り口は、羊歯しだに覆われた横穴の奥に在る。

 穴の中には分厚い扉、その前には子供の胴回りほどはある金属製のかんぬきが渡され、磁気鍵マグネロックとパスコードで封じられていた。

 発見された黒鋼などを、一時保管するために作られた施設だ。


 遺物の多い土地柄なので、ここへまず集積し、分析や研究は別所に運ばれてから行われる。

 中はシンプルな四部屋構造になっており、扉を突破されると、それ以上の防御システムは存在しない。


 音からして、敵はエンジンカッターを持ち出したのだろう。

 本気で攻め込まれれば一たまりもなく、もう撤収にかかられていてもおかしくなかったが――。


 横穴の周辺は酷い惨状を呈し、不愉快な異臭が鼻をつく。

 局員は皆一様に袈裟切りに、或いは喉元を突かれ、血溜まりの中に捨て転がされていた。

 単銃で迎撃できなかったのだから隠形を使われたのだろうが、敵のやり口は影縫いのそれとは異なる。

 松原と同じく、相手は影縫いの掟など眼中に無い新参者だと推測された。


 感じられる影は入り口前の一つだけ、それに二つの弱い揺らぎが重なる。

 強敵は一人だけで、他は常人に近い工作担当だということ。


 一度は遠ざかったローター音が、ロクの頭上を飛び行く。

 低空へ降りたヘリの風圧で夜陰に葉がざわめき、舞い上がった落ち葉がつむじを描いた。


 横穴を視界に収めた時には一歩遅く、滞空するヘリから既にロープが垂らされたのが見える。

 二人の工作員がそこへ胸元のカラビナを嵌め、引き揚げを待つばかりだった。馬鹿デカい背嚢はいのうは、戦利品で満たされているのだろう。


 引きずり落とそうと走るロクの前に、迷彩服の男が立ちはだかった。

 この男もまたガッシリと肉の付いた体躯たいくをしており、短く刈り揃えた髪は軍人風だ。

 自衛隊にでも所属していそうな風貌だけに、下段に構えた太刀が異様に映る。


「松原では止められなかったか」

「どけっ!」


 間合いに入ったロクへ向け、刀が下から跳ね上がった。

 刃傷にんじょうを与えられる縫い具は、案外に少ない。刀の使い手は減り、ほとんどが局の管理下に移った。


 特に刃渡りが三尺、九十センチを超える大太刀は、古代の直刀であることを鑑みれば非常に珍しい。

 後世の日本刀と比べれば多分に儀礼的な刀なのだが、これは縫い具である。

 影刀、銀林ぎんりん

 独鈷杵と同時期、これもまた詠月が持ち主を殺し奪ったとされていた。


 高密度に濃縮された黒い刃は、影どころか骨肉すら断つ。

 こんな物騒な武器を人体に向けて振るえば、死屍累々となるのも必定だ。


 刃筋が示すは影の流れ。

 水面にたゆたう笹の葉さながらに、かすみとなったロクは空中に舞う。

 両断を防ぎふわりと着地した彼の実体を、太刀が上から斬りかかった。


 下ろされた刃先と地面の間、その狭い隙間に影を縮めて難を逃れたものの、ロクも仕切直すために後退せざるを得ない。

 再び盛り上がった影がロクの姿を形取り、二人はお互いの武器を構えて向き合う。


 無傷に見えた彼だったが、鳶口を握る右手の甲に傷を刻まれ、血が一滴垂れ落ちた。

 影は新人でも、刀の動きに素人の甘さは無い。


「やってくれる」

「さすがと言っておこう。なるほど、松原には荷が重いはずだ」


 銀林と松原は、最初から撤退を後回しにするつもりだったらしい。

 上昇を始めたヘリにロクが視線を向けた瞬間、銀林は地を蹴り、ロクの喉へと太刀を突き出した。

 ロクが銀林から目を離した刹那を捉えて、切っ先が首の皮を斬る。

 避けるのがもう一拍遅ければ、太刀がロクの喉を貫いていただろう。


 刃を引き戻して追い打ちした銀林の攻撃は、かすみを散らすだけに終わる。

 黒影は高速で地を這い、洋装の剣士の脇へと流れた。

 銀林のブーツに影の尾が纏い付く。


 後ろへ回り込もうというロクの思惑は、即座に反応されて阻止された。

 体軸を捻って彼に正対しつつ、銀林は太刀を足元へ垂直に刺す。


 足首を刈るべく出現した鳶口のかぎは、刀の峰に当たって鈍い衝突音を響かせた。

 刃に掛けた鳶口の先を支点にして、ロクが円弧に走る。


 我流で影を縫うロクの戦い方に、決まった型や名称は無かった。

 だが共に戦ったことのある先代錦は、彼の技にいたく感心したようだ。彼女が気に入った技には、名が付けられた。


 瞬時に円を走り切ったロクにより、銀林を囲う影の輪が生まれる。

 内にいる者は輪に行動を阻害され、鈍く静止したところを、くちばしの群れが襲う。

 烏丸影縫えいほう、鳶の黒眼。

 太刀に引っ掛けた鳶口が消えると同時に、円周へずらりと鈎が立ち並んだ。

 そのどれもが虚であり、実である。


 咄嗟に刀を振り上げ、右半身を襲う鳶口を斬り払っただけでも、銀林を賞賛すべきだ。

 斬られた鈎は幻と消え、残る左が一本に集束して頭頂を打つ。


 銀林が頭を傾けて弱点を庇ったのが間に合い、くちばしは目標を少し外す。

 太い首の左付け根、盛り上がった僧帽筋へ刺さった鳶口を、ロクは勢いよく引き付けた。


 影と血が、鳶口の軌道を追うようにほとばしる。

 肉をちぎる意図は無かったが、まだ影を纏って日の浅い銀林に完璧な防御は困難だ。

 左手で傷口を抑えた銀林は、それでも片手で大太刀を正眼に構えた。


「まだやる気か?」

「この程度で勝ったと――」


 ロクヘ叩きつけようとされた言葉は、吹き下ろす突風が打ち消す。

 風と、耳を聾するローターの回転が復活した。

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