10. 襲撃

 受信したメッセージが理解できず、錦はロクに解説を求める。


 “影が高速移動中。足止めは不可。全員、裏倉へ急行されたし”


 足止め出来ないということは、それほど強大な敵だったか、もしくは――。


「詠月なら止めるのは至難だろうが、警戒網を素通りは無理だ。異常事態だな」

「トラックで突っ込んで来ても? 凄いスピードなのかも」

「局ならライフルで撃ち抜いてでも止めるだろうよ。車じゃない、上を行かれた」


 ロクの鋭い聴覚は、既に正解を導いていた。

 羽虫にしては音が太く、雷にしては規則正しい。

 耳を澄ませた錦も、接近する音の正体に気づく。


「これって……」

「俺は裏倉へ行く、お前は山の上を目指せ」

「登って、その次は?」

「影へ目掛けて撃ちまくればいい。味方がどれとか、気にすんな」

「でも、ロクに当たったら」

「当たるかよ」


 不安そうな錦を鼻で笑い、彼は奥山へと走り出した。

 ハイキング用の登山道を駆け、途中の橋で沢へ飛び降りる。

 爆音が頭上を通過するのに舌打ちしつつ、ロクは渓流沿いに加速した。


 ヘリを持ち出してくるとは、阿東にも予想外だっただろう。二つ目の失態だ。

 また下流の橋が見えた所で、林の中へ分け入る。

 獣道すら無い木々の間を、裏倉の入り口へと一直線に急いだ。


 彼の記憶が正しければ、ほぼ最短ルートで裏倉に着く。距離は残り数百メートルほど。

 しかし、ロクの脚力を以ってしても、空を直行したヘリには敵わない。


 春日奥山に、連続する発砲音が響いた。

 走る足を緩めずに、自分の周りに影を広げる。

 探知は自身の位置を教えることにもなるが、今さらな憂慮であろう。相手が優秀なら、既に察知していて当然だ。


 彼の後方に影は三つ、百メートルほど先には二つ。

 裏倉には警備に当たる局員が、一班六人は最低でもいた。

 帯銃したベテランのはずで、明日香村の影落ち程度なら彼らでも対処出来よう。

 だが残念ながら、発砲はすぐさま沈黙し、暗い影の気配だけが入り口周辺を支配する。


 銃声に替わってわめき出した機械が、工事現場さながらに煩い。

 回転するモーターが唸り、金属同士がけたたましく擦れ合う。

 裏倉の扉を切断して開けようと試みているのが、容易に想像された。


 入り口へと疾走するロクは、黒い一塊となって影を後ろへなびかせる。

 その彼に負けずとも劣らない漆黒が、正面からロクと同速で急接近した。


 二つの黒が衝突し、絡み合い、渦を描いて森の中を回転する。

 黒霧がパンッと弾けた時、二人の人型が膝を突いた。

 すかさず鳶口を杖にして立つロクを、黒ずくめの戦闘服を着た男が睨む。

 眼光鋭いこの相手は、ロクよりずっと短い鉄具を右手に握っていた。


「烏丸か。会うのは初めてだな」

「俺も有名になったもんだ。アンタは……松原か」

「お前らの流儀に従えば、そうなるか。クソ忌々しい九十九つくもの掟を守るならな」


 死んだ松原が復活した、などというはずはない。

 全長は八寸、六の爪が影を砕く――男の得物は、黒鋼で作られた独鈷杵とっこしょだった。

 太い握りの両端が三叉さんさに割れ、内側へと軽く曲がる爪を成す。

 これで影を殴る、超接近戦用の縫い具だ。


 縫い具の名前は松原、これを使う者もまた松原と呼ばれた。

 影縫いは武器の名で呼称されるのが習わしであり、経緯はともあれ、現在はロクと対する男が“松原”ということになる。


「仲間を増やして、詠月は何をする気だ?」

「教える義理も無ければ、通すつもりも無い。局の犬はここで死ね」


 瞬く間に影を掻き集めた当代松原が、再びロクヘと突進する。

 左へかわした彼だったが、反転した松原が力任せに独鈷杵を振り回した。

 残り香の如く漂うロクの影を、独鈷杵の爪が捕らえる。


 動きを縫われたのは、ほんの一瞬。

 その隙を逃さず、松原の蹴りがロクの大腿に叩き込まれた。

 体勢を崩しながらも、彼は裏肘を回し打って追撃を防ぐ。


「新人にしては慣れたもんだ」

「ふん、前のショボい松原と一緒にするなよ」


 蹴りを放った後、松原はすぐに距離を取って背後へ回ろうとした。

 鳶口の間合いを警戒しつつ、一撃離脱でダメージを与えていこうという戦法か。


「時間稼ぎ、だな。付き合ってられるか」


 スピード勝負なら自分が上、そう踏んだロクは、実体を極限まで影と変えて風に乗る。

 松原の脇を吹き抜け、その勢いのまま裏倉へ――。

 半ば成功したかに思われた目論みを、またもや独鈷杵の爪が引き止めた。

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