07. 阿東とロク
「春日大社。入るの?」
「裏倉は大社の奥山に在る――んだが、お迎えが来たな」
ロクの視線を追って、錦も小路の先へ顔を向ける。
彼女には遠すぎて見えなかったが、少し待てば足音が響いてきた。
「あんな遠くまで見通せるんだ」
「見るんじゃない、影の揺れを感じるんだよ。その様子じゃ、尾行されてんのも気づいてなかっただろ」
「ええっ、いつから?」
「石上神宮からかな」
「うへぇ」
やって来たのは三人、先頭に進み出たのが阿東で、残りは彼の護衛だろう。
スーツ姿に黒縁眼鏡は常に同じで、実直なビジネスマンを思わせる。
ロクも背が高い方だが阿東も負けておらず、眼光の鋭さも二人はよく似ていた。
局を嫌う影縫いもいるものの、ロクはそれなりに阿東を信用している。
この局長は影縫いを必要としているし、敬意を持ってロクたちに接した。
挨拶をすっ飛ばして、ロクは阿東の考えを
「詠月の狙いは裏倉だろ?」
「相変わらず勘がいい。しかし、連れがいるとは珍しいな。教官を務めてるのか」
「不本意ながらね。新人を呼びつけるには、少し危ない雰囲気じゃないのか?」
「手はいくら有っても足りない。捕獲したのはお前のも含めてもう五人だ。明日が山場だと見てる」
阿東もやはり、黒鋼集めは囮だと判断した。
裏倉が狙いだとすると、影落ちした者を従えて詠月が直接襲ってくることも有り得る。
一体何人の仲間がいるのか不明なものの、無尽蔵に陽動を繰り出せるわけではなかろう。いずれ本命が現われるのは必至。
ならば網を張り、逆に奴を捕らえてやろうと阿東は考えた。
市中には局員が大量に配置され、遠距離から攻撃できる狙撃班も動員されていると言う。
「詠月を最初に逃してしまったのは局だ。奴との因縁は、ここで終わらせる」
「いつも通り、影縫いを頼ればいいだろうに」
「また影縫いを減らされたら、面目が立たん。君たちは、周辺を警戒してくれれば十分だったんだがな」
「……なるほど、囮には囮ってことだ。アンタらしい」
本気で阿東が影縫いの身を案じているなら、そもそも奈良に呼びつけたりはしない。
彼らが詠月たちと対峙すれば、必ず大きな騒動になろう。それを狙撃のチャンスとする作戦だった。
「君らがいれば、詠月も慎重に動く。影縫いと交戦せずとも、こちらの警戒網に引っ掛かるはず」
「一直線に裏倉へ突撃されるのが、一番面倒だからな」
「入り口を特定された可能性が高い。黒鋼の収集は、それも狙った策だろう。まんまと出し抜かれたが、失点は局で取り返す。倍にしてな」
最初に不審者を捕まえたのは三日前のこと。
翌日、男が持っていた黒鋼を裏倉へ搬入したそうだ。その時に裏倉入り口を観察されたとすれば、これは阿東の失態であろう。
最悪を想定した局は高レベルの警戒体制を敷き、現在に至る。
自分たちが利用されたと知っても、ロクは平然としたものだ。
お互いを上手く活用して共闘する、そんなやり方は彼の性にも合う。
襲撃が本当に起こるのか、あるなら
「しばらく境内にいる。影落ちはいいが、詠月に銃が通じるか分からんぞ?」
「万一の時は、烏丸が最後の砦になってくれるんだろう? よろしく頼む」
ロクは右手を軽く挙げ、阿東の言葉に応える。
立ち去る阿東たちを見送った彼へ、話を聞いていた錦が溜めた質問を繰り出した。
「ここを警戒するのは分かったけど、いつまで?」
「知らん」
「食事は? お手洗いとか……」
「トイレは境内にもある。食事は近所で済ませばいい。店はいくらでもあるからな」
「でも、そろそろ寝ないと」
「眠いのか?」
まだ眠くはない、と言うのを聞き、ロクに嫌な予感が走る。
「まさかお前、毎日寝てるのか?」
「そりゃまあ。肌も荒れるし」
「馬鹿だろ、基礎から鍛え直せ。寝ない練習をしろ」
「ええ!?」
三日は不眠で動けと命じられ、錦は無理だと必死に訴えた。
影には物理法則が通用しない。重力に縛られず、時間もしかり。
日中だろうが、食事中だろうが、当面はいつも影を纏えというのが錦への課題だった。
「大社の裏なら人目も少ない。好きなだけ真っ黒になっとけ」
「スパルタ式とは聞いてなかった……。やるよ、やるけどさ。シャワーくらい浴びようよ」
「贅沢なヤツだな。新陳代謝も禁止だ」
「そんなあ」
文句をこぼしながらも、彼女は早速黒く
素直に言うことを聞くのは、覚悟の表れであり、錦の長所だろう。
多少、新人影縫いを見直しつつ、ロクは本殿の裏手へと歩いて行った。
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