05. 後継者

 若い女だ。白いブラウスに黒スカート、青く安っぽいデイリュック。

 ロクも大概、若く見られるなりだが、制服姿の女は高校生に思える。


 彼女は膝で立ってロクヘ向き、右手を掲げた。

 握られるのは、小型の弓が水平に取り付けれた射出器、ボウガンである。

 左手でハンドルを回し、弓を引き絞って四発目を彼へ撃つ。


「無駄だ。お前、その弓は――」

「何で当たんないのよ! 刀に負けるなんて信じらんない」

「これは鳶口だ。知らないのか?」


 とびぐち、と復唱した彼女は、口を閉じて居住まいを正す。

 膝を折り、正座のように背を伸ばして、小さく首を傾げた。


「からすま?」

「そうだ。知ってるんじゃないか」

「あの、じゃあ……えっと」

「その弓、にしきの縫い具だろ。なんでお前が持ってる?」


 古より伝わる縫い具は、ほぼ全てその名が把握されており、新造品は存在しない。

 その数、九十と九。

 影縫いを別称、九十九つくもかげとも呼ぶのはそのためである。


 鳶口は烏丸固有の縫い具であり、弓を形取った者は二つ、小弓は錦のものしかないはずだ。

 答えるより先に、彼女は頭を深く垂れて謝罪した。

 ごめんなさいと繰り返す姿は、まるで土下座だ。


「謝らなくていいから、質問に答えろ」

「今は……私が錦」

「代替わりしたのか。婆さんは?」

「母は亡くなりました」


 ロクの知る錦は、シワだらけの老人だった。

 死んだのも驚きだが、娘がいたとは耳を疑う。

 年齢差を考えれば分かるように、二人は血縁ではない。


「十歳の時、養女として親子になりました。孤児だったんです、私」

「影縫いの後継者に選ばれたんだな」

「最初はそうでした。掟も教えられたし、弓も習った。でも、一昨年からは修業も無くなって、家事の手伝いばかりだった」


 先代はかなり厳しい先生だったのが、パタリと優しくなり、影縫いの仕事もやめてしまう。

 いぶかしんだ彼女の疑問は、三ヶ月前に氷解した。

 癌を患っていた婆さんは、遂に歩けなくなって入院する。

 娘には跡を継がせないと、病床で告げられたそうだ。


 二ヶ月後、心筋梗塞を直接の死因として、前錦は世を去った。

 残されたのは一軒家と預金、それに黒い弓。

 言い付けを守るなら、弓は然るべき所へ渡し、一般人として生きるのが正しい。

 だが、独りになった彼女の家へ阿東が訪れ、影縫い稼業を継ぐように説得した。


「これしか出来ないし、やりたいこともなかったから」

「丸っきりの新人とはね」


 鳶口を腰に戻すと、当代錦の緊張が緩む。拘束を解かれて、やっと足の麻痺が引いたのだ。

 ロクとは天地ほど違う力の差が、まだ駆け出しであることを雄弁に語っていた。


 阿東に言われて明日香村を警戒していたところ、怪しい影を見つけて攻撃したのだと言う。

 影落ちか影縫いか、咄嗟には判別しにくい。そこに彼女を責めるほどの非はなかろう。


「ま、場数を踏めば、もっと上手く立ち回れるようになるさ」

「本当にすいません」

「弓を継ぐとどういうリスクを背負うのか、婆さんには教えられたんだよな?」

「影縫いのリスク、ですか?」


 縫い具に触れ、使い続けると、自分の身に内在する影も濃くなっていく。

 陽光を嫌う半影半人の出来上がりだ。


「婆さんは幸運だった。病死なんて、普通は望めない」


 限界まで充溢じゅういつした影は、やがて肉体と置き換わり、霧散して闇に散る。

 これが大方の影縫いが辿る末路だった。


「母は私を影から遠ざける気だったんでしょう」

「今なら引き返せるぞ」

「いいえ、私は錦です。母に近づけるなら本望です」


 覚悟があるなら、他人が口を挟むこともあるまい。

 ロクは彼女に背を向け、丘を下ろうと歩き出す。


「あの、烏丸さん!」

「ロクでいい」

「どこへ行かれるんです?」

「奈良市街だ。阿東に頼まれた」

「私も行きます。まだ一人も縫えてないんです」


 ついて行く、という意味だ。

 弓をリュックへ仕舞った錦は、足首をグリグリ回して出発に備える。

 子守りなんて勘弁してくれと言うロクヘ、彼女は再度頭を下げた。


「動物相手ばかりじゃ、一人前にはなれっこない。最初だけでいいから助けてください」

「よせよ、指導なんてしないぞ。その辺の草でも食っとけ」

「縫い方を横で見たいんです。見て学びます」

面倒臭めんどくせえ。婆さんみたいなお人好しと一緒にするな」

「ロクさんのことは、母から聞いています。一流の影縫いだと。少しの間でいいですから」


 影縫いとなった以上は、影を取り込んでいかなければ力を失う。

 常人に戻るつもりならともかく、錦のような半端者では、意識を混濁させた影落ちにもなりえるだろう。

 いい加減な後継者を育てやがって、それがロクの感想だ。

 情が移ったのか知らないが、結果、縫いのイロハも怪しい影縫い初心者が生まれた。自分の食事も用意できないとは。


 普段なら意に介せず、自己責任だと放り出す彼も、この時はしばし悩む。

 真剣な眼差しで歩み寄る錦へ、ロクはわざとらしく溜め息をついてみせた。


「婆さんには借りがある。奈良にいる内は、好きにしろ」

「ありがとうございます!」


 影を強め、駆け出した彼を錦が追う。

 余計な連れが出来たなら、もうさっさと市街へ向かおうとロクは考えた。

 無駄口を叩かず、最短距離で北上する――その方針を、錦が早々にへし折った。


「ロクさん! ちょっと、はや……速い!」

「ああ?」


 遠慮が無いロクのスピードに置いて行かれ、後方から錦が声を張り上げる。

 息を荒らして追いついた彼女に、ロクは冷ややかな口調で問う。


「なんで汗かいてんた。一応は影縫いの端くれだろ。夜だぞ?」

「時刻が関係あるんですか?」

「そこからかよ。婆さんには何を教わった?」

「弓の扱いと、手入れのやり方。あとは炊事とか洗濯とか」


 頭を抱えそうになるのを我慢した彼は、努めて平静に告げる。


「まずは走り方を覚えろ。隠形が出来て、どうして走れないんだか」

「ありがとう、やっぱりいい人だった」


 万一の際は烏丸ロクを頼れ、などという遺言もあったらしい。

 会えたのは母の導きだと、にこやかに微笑む錦とは対照的に、ロクの心は氷点下へ沈む。

 あのクソババア、などと口に出したりはしない。激情は影縫いには禁物、呪うなら錦とここで出会った不運の方であろう。


 影を深めれば身を隠せるだけでなく、実体も薄くなる。

 質量を軽くした身体なら、重力のくびきから逃れて速度も出せる理屈だ。

 ふんふんと素直に頷く錦へ、今一度走ってみるように命じた。

 並走したロクは、すぐに彼女の問題点に気づく。


「足だけ影から出す馬鹿がいるか。都市伝説になるぞ」

「でも、動かすとはみ出ますよね?」

「出ねえよ、練習しろ。あと、敬語は要らない。さん付けもやめろ」

「はい。頑張ってみま……みるね」


 ロクにすれば、影に同化するのは日常的な行為であり、無意識でも出来る。

 集中しないと不可能な錦だと、他の運動時に解除されるようだった。まだ不慣れなため、並列して処理しきれないのだ。


 奈良市街まで、まだ二十キロ以上もある。

 さっさと習得してくれと願いつつ、ロクは小走りで北を目指した。

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