04. 石造遺跡群

 山を下り、舗装された道へ出るのに十分。そこから道なりに走ったロクは、明日香村へ二十分で着く。


 闇の気が充溢する時間帯なら、全力疾走を続けても息は荒れない。

 月光に照らされた水田を前にして、彼は一度足を止めた。

 スマホに先ほど撮った画像を表示させ、手描きの地図を現実の地形と照らし合わせる。


 簡略化された道路図に打たれた、目印となろういくつもの点。

 猿や亀といった文字も添えられており、位置を推し量るのは案外に容易たやすい。

 明日香村をうろついていたという男は、この地図にある点を辿ったと考えられた。史跡や寺が多く、黒鋼を探す目的にも合致する。


 坂田寺跡から石舞台へと歩きつつ、ロクは男の役割を考察した。

 この近辺は、とびきり黒鋼と縁の深い土地である。

 古墳や巨石建造物には、得てして黒鋼が一緒に埋められた。

 死者を弔うためか、影の力に護られたいからか、理由は分からない。


 例えば石舞台の周囲には、円を描いて二十四の塊が埋まっていたそうだ。

 それらの黒鋼は全て時の政府によって掘り起こされ、一箇所に集積された。

 今も放置された塊はもうどこにも無いが、細かな破片なら、式紙を駆使して発見できるだろう。

 実際、先の男はそうやって四つも拾い集めたのだから。


 石舞台の近くにバイクが停めてあり、知った顔がロクより先に来ていた。

 彼が故意に足音もうるさく近づくと、ライダースーツの女は素早く振り返る。


「……あなたも呼び出されたの?」

「一人縫ったばかりだ。影落ちがヤケに多いからな」


 神戸を根城にする西陣にしじんは、奈良に来ること自体が滅多に無い。

 ベテランと言って差し支えない実力の持ち主で、激しい戦闘も厭わない武闘派だった。頬の古傷が、歴戦の勇者を思わせる。


 彼女は板蓋宮いたぶきのみや跡の周辺で怪しい影に出くわしたが、見失ったと言う。

 西陣の技量を上回れる影なら、相当の強敵と考えてよい。


「そっちは俺が探してみよう。代わりに、キトラ古墳の辺りを見回ってくれないか」

「構わないけど、場所に理由が?」

「影落ちからメモを回収した。データを送る」


 西陣の端末に画像を送り、ロクは北へ、彼女は南へ分かれることにした。

 バイクへ戻ろうとした彼女は、半端に振り返ってロクに話し掛ける。


「影が増えるのは何も悪いこととは言えない、だったよね」

「自然現象ならな」

「全て縫う必要って、本当にある?」


 縫うから影縫いなんだ――その答えで、彼女が納得したのかどうか。

 すぐに短い後ろ髪しか見えなくなり、ロクに彼女の瞳を窺うことは出来なかった。


 バイクが遠ざかるのを途中まで見送り、彼は石舞台を離れる。

 言われた板蓋宮いたぶきのみや跡に異変は無く、次に酒船石さかふないしの在る丘へと走った。

 明日香から北上する、奈良市街へと向かう針路だ。


 明日香奥山にいた男が最初に目撃されたのは、酒船石の近くだとか。

 ロクが見つけたのは石舞台の辺りだったので、男とは逆順にポイントを辿っていることになる。

 西陣が手こずる相手とは思えないので、彼女が見たのは全くの別人であろう。


 竹林の茂る丘へ上った彼は、巨石の遺物を傍らにして周囲へ目を凝らした。

 暗闇が支配する丘に、動くものも光るものも見えない。

 だがロクなら暗さは大して苦にならないし、ほんの微かな揺らぎを捉えることも出来る。


 彼は石から離れて、竹林の中へと踏み入った。

 笹の葉が取り除かれた掘削跡。

 男が黒鋼を掘り起こした場所に違いあるまい。


 ミリ単位の破片がまだ残っており、地表に晒されたことで薄い影炎かげろうを立ち上らせている。

 これを認識出来るのは、影縫いだけであろうが。


 夜とは言え、明日香村でゴソゴソ掘っていれば、いずれ監視の目につかまって当然だ。

 近隣の橿原かしはらや、葛城山かつらぎさんでも、似た影落ちが捕まったという。

 黒鋼を収集するにしても、随分と杜撰なやり方だろう。まるで捕まえてくれと言わんばかりの――。


 視界の隅に影を感じ、ロクは思考を中断した。

 影炎なんて弱っちょろい濃さではない。

 もっと濃密な黒い塊が、酒船石の後ろを横切るのを捉える。


 自身も影をまとったロクは、闇に同化した。

 影は光を消し、音を吸い込む。通常ならこれで、彼は不可視の存在だ。

 気配を断って、竹林の外へゆっくりと移動する。


 影の濃さからして相手は影落ち、それも山の男を遥かに超える重症・・だ。

 ロクを認識することも有り得るが、その時はどう動くか。


 相手の出方を窺うため酒船石に近づいた瞬間、ロクの腹へ矢が飛来した。

 羽も付いていない短く小さな矢が、ロクの腹を貫通して背後の地面に突き刺さる。


 実体の無い影矢――珍しいが何度も見た武器であり、彼は慌てず前進を続けた。

 縫われた影が引っ掛かり、コートを後ろから掴まれたように感じる。

 が、それも一瞬のこと。


 矢すら自分の影に取り込んだロクへ、二発目が放たれた。

 肩に当たった矢は背後に抜けず、彼が着弾と同時に吸収する。


 酒船石の傍らに滲み出る黒いもや、これが襲撃者だろう。

 敵は石を遮蔽物にして、矢を射ていた。

 相手の位置を見定めたロクが、一気に移動速度を上げる。

 疾風を思わせる急加速に、三発目は大きく狙いを外した。


 緩くカーブを描いて走り、一旦酒船石を通り越して旋回すると、岩に隠れていた黒靄も動き出す。

 前がはだけたコートの内から鳶口が現れ、砂利混じりの土に打ち下ろされた。


 距離を取ろうとした相手は、影を縫い貫かれて停止する。

 彼が鳶口を手前に引くと、靄が薄れて人の形が顕わになった。

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