03. 不穏

 上から照射されたライトへ向けて、ロクが手を挙げる。

 リュックの中身を調べた彼は、次に男の衣服を探っていた。


 方位磁針コンパス、栄養食品、飲料水、登山用のロープとハーケン――。

 ハイキングに相応しい物ばかりで、不審な所持品はボトルと紙くらいか。

 逆に電子機器を持っていないのが、この御時世にしては奇妙だ。

 携帯電話もスマホも無く、尾行時のロクも男が独りで行動していたのを確認している。


 しかしながら影縫いの存在を知り、黒鋼に反応する式紙しきがみを所持していた以上、仲間がいるのは確実だ。

 ロクの頭に、一つの名前が思い出される。

 草士そうし詠月えいげつ――強力な影を持つ異端。局からも危険人物として注意を促されたが、素性は知らない。


 影縫いは大抵、単独行動を好む。

 それが奈良へ集まりつつあるのは、詠月が絡んでいると目されたからだ。

 組織を形成し、意図的に影落ちした者を増やそうとしている、と阿東は言った。

 それが本当なら、人から影を引き離そうと努めるロクとは相反する存在である。


 影に対抗できるのは影縫いのみ。対策局が組織されても彼らの手に余る事案であり、ロクたちへ助力が請われた。

 普段、阿東がロクへ提供するものは主に二つ、金と情報だ。

 それを以って影を縫い、阿東を窓口にする局が後始末を担当する。


 局側の事情など、ロクはこれまで気にも留めなかった。

 影を消したいという目的が同じなら、詮索はすまい。

 お互いのやることに干渉しないというのが不文律であり、それを阿東が侵すならたもとを分かつだけだろう。

 影を憎むなら味方だと、彼は単純に割り切る。


 だが、今回の阿東は少し様子が違った。

 言葉の端に滲んだのは焦りか、苛立ちか。


「奈良市内へ向かってくれ、ねえ」


 逆らう理由は無い。

 影の濃い場所を教えてくれたのだと考えれば、いつもと似たやり取りである。

 ただ、頼み事をする、そのこと自体が非常に珍しかった。


 ヘリは一旦、真上を通り過ぎ、少し離れた先で人員を降下させたようだ。

 樹木の密集する場所では、作業が難しいのだろう。


 機体は底面しか見えなかったが、おそらく横っ腹に“奈良県警”辺りの文字がプリントされていると想像された。

 警察の管理する緊急搬送ヘリを動員できるのだから、局の本体がどこかは推して知れよう。


 しばらく経って、騒々しい足音が近づいてくる。

 前の二人が斥候役、後ろでもたつくのが担架を運ぶ二人だろうと、ロクは見当を付けた。

 彼らが到着すれば、男はもちろん、リュックも黒鋼も一切を持ち帰るはず。

 なら手帳を奪い、後ほど仔細を調べようかと迷う。


 阿東の捜査を助ける義理は無いが、邪魔をするのも大人げない。

 男のペンライトをくわえたロクは手帳を広げ、手間取りながらもスマホのカメラで写していった。

 書き込みがあるのは見開きページで二十枚と少し、もっぱら手描きの地図が主体で、この近辺の詳解であろう。


「お疲れさまです。回収物の指示をお願いします」

「よせよ、俺は上官じゃない」


 現れた局員の態度に、ロクがウンザリした嘆きを返した。

 阿東はともかく、影縫いを仲間と考える局員は多い。前線で戦う彼に、憧れるとまで言った若者もいた。

 お蔭で嬉々として世話を焼いてくれるのだから、悪い連中ではないのだが。


「黒鋼はボトルの中に入ってる。リュックには式紙、手帳は撮影するからちょっと待ってくれ」

「分かりました。男の耐性は?」

「低いな、ひと掻きで影が散った。影が使えるうつわじゃないんだよ」

「では、男から先に搬送します」


 局の人間なら、いん耐性が低いと表現する。

 適切な治療を受ければ、半月程度で男は昏睡から覚め、日常生活も支障無く過ごせるようになるだろう。

 ロクのように耐性の高い者ならともかく、男のレベルで死なずに済むのは現代医療の成果だ。


 ところが、精神はそうもいかない。

 大抵は回復後に躁状態へおちいり、心のうちを饒舌に喋り続ける。

 影を一掃された人間は陰陽のバランスが崩れてしまい、完治には通例で数年以上を要した。

 それでも尋問は可能だろうから、阿東の手腕が問われるところだ。


 情報を得るのは半月後、これが痛い。

 先週から奈良で影落ちが激増しているのは、やはり詠月の仕業なのか。

 小さな黒鋼を集めて、何を成そうというのか。

 撮り終わった手帳を局員へ渡し、ロクはもう一つ忠告すべきことを思い出す。


「その熊手、少し影を帯びてるみたいだぞ」

「ええっ?」


 熊手をビニール袋へ入れようとしていた局員は、怯えた顔で手を止めた。


「ほんのわずかだ。そんなにビビるなよ」

「そう……ですか。少し?」

「チビっとな」


 親指と人差し指で摘むようなジェスチャーを見せてやると、局員も息を吐いて作業を再開する。

 そう、熊手の影は微弱なものだ。ロクの鳶口と比べるのも烏滸おこがましい。


 だが、男は彼を影縫いと知って尚、熊手を武器とした。

 ロクを傷つけられると踏んだなら、これも縫い具・・・だと考えた方がいい。


 新造された縫い具は無い、これが定説だった。

 材料となる黒鋼は自然に出来る物ではないし、製造技術はとうに失われて久しい。

 埋没した破片や、寺社に伝わる宝物を掻き集めたとしよう。

 山中にも未だ小石大の黒鋼は在ったのだから、怪しい場所を精査すればバケツ一杯くらいの量は確保できるのかもしれない。

 そして、どうするのか。

 黒鋼から縫い具を造る、これが何よりも難しい。詠月であろうと、不可能だと思われるのだが――。


「回収、終了しました。ヘリまでご案内します」

「乗るかよ」

「しかし、是が非でも同行してもらえと言われておりまして。影落ち者が急増しているため、連携を強化したいのです」

「俺も気になってきた」

「では、ヘリに――」


 警察の真似事など御免だと、ロクは大きく首を横へ振った。


「奈良市へは行く、一人でな。阿東には待っているように言っとけ」

「そんな……徒歩で向かうんですか?」

「心配すんな。走ってやるよ」


 言葉通り駆け出した彼を、局員は困った様子で見送る。

 影縫いの後ろ姿は、数瞬も待たず深夜の森へ溶けて消えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る