18.5『噂の真相を暴け大作戦!(1/3) 陽葵side』


 ——陽葵ひまりも頑張らないと、ね。


 昨日の夜、梨沙に言われたその言葉が、翌日の朝になっても頭から離れなかった。

 朝のHRホームルーム前。まだ人の少ない教室で、私は机に頬杖ほおづえをつきながらぼーっと窓の外を眺め、考える。


 頑張る、ってどういうことなんだろう。なにを頑張ればいいの?


 けれど、何度考えてもやっぱりわからないままだ。


「はぁ……」


 と、無意識に私はため息をこぼしてしまったことに気付いた。

 あぁ、ダメだ。しっかりしないと。ここでは完璧な優等生なのだから。

 私は自分がまとう辛気臭い空気を振り払うように、数回首を降った、そのとき。


「おはよー、陽葵!」


 いきなり聞こえた、私の名前を呼ぶ声に振り返れば。

 気怠けだるげにわらわらと教室内に入ってくるクラスメイトの中。一人、朝から元気いっぱいの梨沙がご機嫌にポニーテールを揺らしながら、ふりふりと手を振っていた。

 それを目に捉えると、私もなんとか笑顔を作って手を振り返す、が。


「お、おはよう……」


 私もいつも通り挨拶を返そうと思ったが、やはり昨夜晒してしまった醜態しゅうたいが脳裏にちらついてまともに梨沙の顔を見ることができなかった。

 なんというか、気まずい。恥ずかしい。気まずかしい……っ。


 ぞわぞわと身体中をくすぐってくる羞恥心に身をよじりながら。

 チラッと。恐るおそるうかがうように梨沙へ視線を向けてみる。

 と、彼女は私の視線に気付いてニコッと笑いかけてくれた。

 けど私はすぐに顔を逸らしてしまった。


「…………」


 穴があったら今すぐ入りたい。埋まりたい。穴掘りたい。

 今まで頑張って優等生キャラを守ってきたのに。私としたことが泣きじゃくりながらあんなこと……。


 でも、梨沙の様子を見るにそれほど気にしている様子はない。

 なんなら、いつも通りすぎて少し不自然に感じるくらいだ。

 もしかしたら梨沙は私の自尊心を傷付けないように気遣ってくれているのかもしれない。


 あぁー……でも、恥ずかしいものはやっぱり恥ずかしい。どうして私はあんな醜態を晒してしまったの……。

 ぐぬぬ、と頭を抱えたり、そわそわ身を捩って猛烈な後悔にさいなまれているうちに、梨沙は私の席から斜め後ろの机に鞄を下ろし、諸々の準備を済ませるとすぐさま私のもとにやってきた。


「陽葵ぃ〜、数学の課題難しすぎだよぉ……」


 そう泣きつくように、ガバッと私に寄りかかってくる。

 私はビクッと肩を震わせながらも、それを誤魔化すように数回咳払いした。


「そ、そうだった、かもね……」


 正直、数学の課題がどんなものだったかなんて覚えていないけど思い出す前に相槌あいづちを打った。

 すると、梨沙はさらに項垂うなだれるように深くもたれかかってくる。


「あぁー、やっぱり数学ニガテー……。あ、でも苦手って思ったら嫌になるだけだよね。うん、やっぱり好きー!」


 いつの間にかボジティブにうんっと大きくうなずいて、にぱっと笑った。

 そんな変な梨沙に、ついつい笑いが込み上げてくる。


「……ふふっ。なにそれ」


 思わず、声が漏れると梨沙も一緒になって笑い出す。

 それから少しして笑いが収まると、私は梨沙に悟られないよう小さく安堵あんどの息を漏らした。


 よかった、いつも通りだ。

 なにも変わらない。それがわかると、さっきまで私を支配していた羞恥心がさらりと溶けていく。

 梨沙の気遣いが本当に心に染みた。

 なんだか心がホカホカするようだ。


 その次の発言までは——。


「あれ、碓氷うすい君まだ来てないんだね」

「うっ……」

「また今日も遅刻かなー?」


 梨沙は教室内をキョロキョロ見回しながらなんでもないように言う。

 私はホカホカしていたところへの不意打ちに、けほけほと咳き込んでしまった。

 それでもなんとか平静を装って返事をする。


「……そ、そうね」


 だが、それがあまりに下手くそだったのか。

 梨沙に視線を向けると、悪戯っぽい顔が申し訳なさそうに眉尻を下げた。

 気遣ったような笑み。私を戸惑わせないように咄嗟に出たような表情だった。


 やはり、昨日のことを梨沙は梨沙でいろいろと考えてくれているのだと思う。

 こんなにも頑固な私の背を押してくれる。

 だけどやっぱり恥ずかしさが、抵抗が。そして蟠りが消えることはない。


 私は梨沙に対して申し訳ない気持ちになった。

 彼女は友達として、親友として最大限で私に接してくれるし、応援してくれている。

 けれど私はどうだろうか。真剣に向き合ってくれる彼女に対して、それは誠実と言えるのだろうか。


 それから二人、互いを窺うように沈黙して。その空間は微妙な空気に支配されてしまう。

 どうにか言葉を絞り出そうと、思考を巡らせるが何も浮かばない。わからない。


 その時だった。


 ダダダダダッ——と。

 突然、教室の入り口付近から慌ただしい足音が聞こえる。

 思わず振り向けば、派手な音を引きまとって教室に入ってきたのは見知った人物。


 ふと隣から小さな吐息が漏れたことに気づいた。

 きっと最悪なタイミングで最悪の人物が登場したからだろう。


 碓氷うすいいつきは、教室に入るなり背負っていた鞄を自分の席に放り投げると、すぐさま教室を飛び出し、全力疾走でどこかへ行ってしまった。

 まさに嵐のように去っていったのだ。


 ぽかん、と。おそらくはそこにいた誰もが遠のいていく足音に呆然としながら意識を向けていたように思う。

 隣でも同じように目をテンにさせていた梨沙が苦笑して呟いた。


「い、行っちゃったね。なんかすごく急いでたみたいだけど何かあったのかな……?」


 眉を八の字に曲げながら気遣わしい笑みで聞いてくる梨沙。

 私はひとつ、深く息を吐くと控えめな笑みを作りながら両手を広げた。


「さぁ。どうせまた何かやらかしたんでしょ」


 呆れ半分に言ってやる。いつもの癖か、あいつに対する皮肉や恨み言はすらすらと出てきた。

 すると梨沙は安心したようにふわっと笑う。


 そして、その時だった。


 またしても教室の入り口からパタパタパタッ——と忙しない足音が聞こえてくる。

 振り向けばまた……またしても見知った人物。

 しかし今度はあまり見たくない顔だった。


「——せんぱーいっ!」


 甘えるような高いトーンの声。

 二年A組の教室をにこぱっとキラキラフワフワした笑顔で覗き込んできたのは、たしか昨日の帰り際に樹と一緒にいた一年の女子生徒。名前は雨瀬芽依と言ったはずだ。


 私は彼女の顔を見た瞬間、昨日の帰り際のショックがフラッシュバックしてふらーっと頭がくらくら揺れるのを感じた。が、それをなんとか踏ん張って瀕死になりながらも再度教室の戸口に視線を向ける。


「あれぇ? んー、いませんね……」


 雨瀬芽依は教室内を見渡して目をぱちくり瞬かせると、むぅーっと困ったように小さくため息を漏らす。


 彼女が教室を見渡した時、私と目が合った瞬間に威嚇するように目を細めたのはきっと周りの誰も気づいていないと思う。と、知らず自分の目付きが悪くなっていることに気づいて私は意識的に眉を上げた。

 深く息を吸って、湧き上がってくるものを抑え込む。


 雨瀬芽依の様子を見れば、この教室になんの用事があって訪れたのか大体のことは察せられる。

 我ながらこれが女の勘なのだと自覚した。


「あれ、雨瀬さん? どうかしたの? 誰か探してるとか?」

「も、もも、もしかして俺に用とか……っ!?」

「あぁ? オメェなわけねぇだろ、雨瀬さんは俺に——」


 気付けば、なんかクラスの男子が雨瀬芽依に群がっていた。

 だが雨瀬芽依はその男子たちを適当に遇らうと、てててっと小走りでどこかへ行ってしまった。

 それから戸口付近で男子たちがやいやい揉めているのをよそに 、梨沙は私の制服の裾をひょいひょいと引っ張って声を潜めて耳打ちしてくる。


「ねぇ、ってやっぱり碓氷君のことだよね……?」

「…………」

「あれ、陽葵……? だ、大丈夫っ!?」


 ほぇー……。うん、知ってたよ。知ってたけど、改めてあんな子があいつに迫っているという事実を突きつけられると意識がすーっと遠のいていく感覚に襲われる。


 そのまま、深い深い泥沼に引きずり込まれそうになっていた私をなんとか引き上げてくれたのは私の肩をぶんぶん揺らす梨沙の声だった。


「陽葵! 陽葵ってばしっかりして! とても優等生とは思えないような顔になってるよっ!!」

「へぇ? あ、あぁ……梨沙ぁ?」

「もう、そんな顔してる場合じゃないでしょ」


 梨沙はふにゃあっとふやけたようにだらしない顔を晒した私の頬を左右に引っ張ると、いつにも増して真剣な顔で言った。


「いまだよ、陽葵! 今踏み出さないと本当に取られちゃうかもしれないよ!」

「…………」


 わかってる。そんなことは私が一番わかっている。


 それでも私には踏み出す権利なんて、ない——。


「……でも、なにをしたらいいかとかわかんないし…………」


 私はその時、裏切った。私に向き合ってくれる親友を、そして自分の気持ちさえも。


 だから。


 頑張れ、って言われても何を頑張ればいいかなんてわからない。


「……陽葵」

「っ……」


 それに、それに今更。

 今更、私が踏み込んでいくことが許されていいはずがないのだ。

 今になって、のこのこと本当の気持ちだなんて言えるはずがない。


 私は一度、諦めたんだ。

 傷付けたんだ。

 そして、また裏切った。


 なのにそれさえも否定してしまったら、あの時の私の決心はどうなるの?

 彼の負った傷はどこへ行ってしまうの?


 今更、こんな我儘が認められていいはずがない。


「…………」


 知らぬうち、私はそっと瞼を伏せていた。

 だから余計にその言葉が鮮明に聞こえた。

 私の体を通り抜けて、一番深いところに触れた。


「……陽葵は、どうしたいの?」


 抱きしめるような優しい声。


 どう、だろう。私はどうしたいのだろう。わからない。

 けど、今になってもうこれ以上近付きたいなんて願ってはいないはずだ。

 とっくに私は私に戒めたのだ。


 願っていいはずなどないのだと。


 だけど、せめて。叶うならば——。


「私は、知りたい。ただ、気持ちが知りたいだけ……」


 そして諦める勇気が欲しい。


 臆病で卑怯者な私の卑怯な


 しばしの沈黙。

 言ってから、しばらく反応がないのを不思議に思って顔を上げれば梨沙は目を丸くして呆けていた。

 その顔を見て、私は自分がなんだかすごく恥ずかしいことを口走ってしまったことに気付いた。


「ち、ちがっ! そうじゃなくて……! た、ただ……こそこそ隠してるのが嫌っていうか……。堂々としてないのがムカつくだけ、だから……」


 碓氷樹という男の子は十年前からなにも変わっていなかった。

 素直じゃないくせに優しくて、普段はそんな素振り見せないのにちゃんと見てくれていて。

 本当は臆病なのに見栄をはって、斜に構えて、憎たらしくて、裏表がなくて。

 そして、やっぱり優しくて。


 そんな、私が今まで見てきた彼が他の子に染められてしまうのが嫌だった。

 だけどそれは我儘でしかなくて、自分の醜い独占欲に嫌気が差す。


 梨沙は、私の必死な言葉を受けてくすりと笑った。


「ううん、ごめんね。ちょっとびっくりしただけだよ」


 そして少し間をあけて、何事か考えたのちに梨沙は再び口を開いた。


「……私、嬉しかったんだ。陽葵が初めて私を頼ってくれた気がして。今まではずっと陽葵に頼ってばかりだったから。も、もしかしたら私のただの勘違いかもしれないけどね。それでも、本当の陽葵が見えた気がして……なんか友達って感じがしたの」


 梨沙はほんのり顔を赤らめて、頬を綻ばせる。

 私は思わず、変なことを口走ってしまった羞恥心と面と向けられた言葉の気恥ずかしさに、ふいっと顔を背けてしまった。

 だけど梨沙はそんな私の手を握って笑いかけてくる。


 殊更明るい声で、気を取り直すように。


「大丈夫、任せてっ! 信頼できる情報網から意中、じゃなくって! ターゲットから情報を盗み出す会話術を調べてくるから……っ!」

「ん……? え?」


 なんかフルスイングで空振ったような気がしたけど、梨沙の真剣な顔を見るとその努力を否定できない。

 戸惑う私。梨沙はギュッと私の手を握る力を強めて、口元を緩めるとぱちりと可愛らいしくウインクを決めた。


「さあ、作戦会議だよ、陽葵っ!」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

コイツが運命の相手なわけがない〜リア充後輩女子に運命の相手認定されてから幼馴染が可愛いんですが〜 更科 転 @amakusasion

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ