いいニュースあります!(フルバージョン)

遊行 晶

いいニュースあります!(フルバージョン)

 十和田がコロタ先生の事を知ったのは数日前だ。紹介してもらいたいと思い、馴染みの居酒屋「鳥浜」の見知った客仲間に自分の名刺を渡し、頼んでおいた。


 十和田周平は2年前、つまり2020年から出身地に近い神奈川県沿岸部のコミュニティFM局で働いている。その前は東京都内に住み、大学新卒で入った都心の中規模マーケティング会社で約10年間働いていたが、会社による社員に対する不義理を見てしまい、嫌気がさして辞めた。その後あらためて就職活動をして採用されたのが今のFM局だ。

 午後の情報バラエティ番組の中の看板コーナー、「いいニュースあります!」のために、町や世間の「いいニュース」を収集し、番組に向けて編集するのが十和田の仕事だ。番組内でコンビを組む女性アナウンサーと男性パーソナリティが、十和田が拾った「いいニュース」を紹介し、それについてコメントし、話を展開してくれる。

 十和田にはそれまで、マスメディアの姿勢、特に報道に関して疑問があった。浅薄、偏向、扇動的等々との形容は既に世間で言われて久しいが、十和田の思いはまた別のところにあった。ひと言で言えば、胸が詰まるニュースが多い。犯罪、汚職、不正等々、一つ一つの事案は事実かもしれないが、総体として暗いのだ。マスメディアには社会の雰囲気を作る力がある。暗く、胸をふさぐニュースが多ければ、世の中はそういう雰囲気になっていく。人は、悪い情報ばかり大量に見聞きする事で他者への猜疑を生み、すべてに対して不寛容になっていく。ところが、実際は、自分の周りだけを見ても良い事はたくさんある。あまりに個人的な事はニュースにはならないが、日々、瑣事も含めて世間の人達との明るく温かい交流がある。つまり、「悪いニュース」ばかりの報道は、世の中の良い出来事と悪い出来事の比率をまったく反映していない。

 良い出来事は報道の対象になりにくく、悪い出来事はその逆だから、マスコミ従事者が単純にいけないとは思わないが、たとえ一人一人の記者が事実を伝えようと努力しているとしても、総体としての「悪いニュース」は、暗く冷たい社会を作ってしまっている気がする。だったら自分は、「いいニュース」を人々に届けたい、と思ったのだ。その思いをコミュニティFMの中途採用面接にぶつけ、採用された。自分自身が、前の会社で巻き込まれた状況に参りかけていたが、個人的な支えとなる人間関係はあったし、まだ世の中に対する信頼は失われていなかったから、それができた。


 十和田は地域FM局に移ったのを機に、住まいも都内から局がある町のマンションに借り換え、同時に見付けた居酒屋「鳥浜」を利用し始めた。十和田は独身なので、ここで夕食をとる事もある。職・住・食近接でなかなか快適だ。

 毎日鳥浜に来るわけではないが、この2年で主人や従業員、常連客とも十分顔馴染みになった。十和田が地元のコミュニティFMに努めている事は、知る者もいるし知らない者もいる。

 数日前、気持ちの良い初夏の宵、仕事終わりに軽く飲みつつ晩飯でもと一人で入った鳥浜で、既に赤ら顔の常連客数人がカウンターの中のアルバイトの女の子も交えながら話していた内容が十和田の興味を引いた。

「コロタ先生が言うにはよ、2020年がものすごく重要な年だったちゅうわけよ」

「それは、どういうこと」

「だからな、長ーい宇宙の歴史の中でよ、2020年の夏ちゅうのは、人類の歴史どころか、地球の歴史どころか、宇宙の歴史の転換点だったんだと」

「だから、なんでよ」

「うーん、何ちゅうたかな、外国の偉い先生が考えた、なんちゃら仮説ちゅうのがあって、俺たちの時代に宇宙にとって何か重大な事が起こるらしいんだけど、何が起きるのか、いつ起きるのかは学者さんらにも分からんかったんだと。コロタ先生は、それが2020年の夏だったちゅうわけよ」

「え、もう2年も過ぎてるじゃん」

「橋口さんの話じゃ全然分かんなーい」

 とアルバイト嬢がカウンターの中で笑う。

「何か面白そうな話ですね。コロタ先生ってのは、誰ですか」

 と十和田は口を挟んだ。

「おう、十和田っち、会った事なかったか。コロタは大学の先生よ。あれ、どこだったかな」

「どこの大学かは知らないけど、たまに一人で来る、静かな感じの人ですよ」

 そして十和田は、あらためて自分の仕事を話し、是非その話をもっと詳しく聞きたいと、コロタ先生の紹介を頼んだのだ。「いいニュースあります!」で紹介できる話かどうかはまだ分からないが、内容によっては使えるかもしれない。


 コロタ先生の紹介を依頼してから半月ほどたった夕刻、そろそろ会社を出ようとしていた十和田の携帯電話が鳴った。

「十和田っちかい。今、鳥浜にコロタ先生、来てるよ」

 十和田は礼を言い、すぐに向かう旨を伝えた。コロタ先生には、常連客から簡単に経緯を伝えてくれてあるという。

 鳥浜に到着すると、常連客が十和田を認め、照れ臭そうに恐縮するコロタ先生を紹介してくれた。70歳前後だろうか。無造作な髪型に口ひげを蓄え、どことなくアインシュタイン博士を思わせるコロタ先生の風貌に十和田は見覚えがあるような気もしたが、判然としなかった。コロタ先生はとても控えめな印象で、既に見かけていたとしても明確な記憶がないのは、そのせいかもしれない。コロタ先生と十和田は座敷に移動してあらためて向かい合った。

 十和田が名刺を出して自己紹介し、コロタ先生も脇の鞄から名刺を出した。そこには社会貢献系のNPO法人の名があり、『代表 頃田軽男』とあった。コロタは綽名のようでもあったが、本当の苗字だったのだ。

「コロタ先生って、こういう字だったんですね」

「ああ、冗談みたいな名前でしょう。下の名は、何だか『軽い男』みたいですが、親によると『軽やかに生きていくように』という意味らしいんです」

 コロタ先生は、冗談めかすでもなく、淡々と話す。

「コロタ先生は大学の先生だとか」

「ああ、『元』です、『元』。大仰なので『先生』もやめてください。あの、2020年の夏の話ですよね」

 そそくさ、という感じでコロタ先生は話題を変えた。

 それから食事をつまみながらコロタ先生が話してくれた事は、非常に興味深く、十和田の好奇心を刺激した。コロタ先生は「これは自分の専門とは全く関係ないので、一素人の考えとして扱ってほしい。同じ理由で、もしメディア等で紹介する際は自分の名前は控えてほしい」と断ったうえで次の自説を語った。


 英国の物理学者、ポール・ディラックは1930年代、「大数仮説」を唱えた。ディラックは、全宇宙に普遍の物理定数を探求する過程で、様々な事象について偶然とは考えられない頻度で「1対10の40乗」という値が現れることを発見した。陽子・電子間の重力と電磁気力の比。宇宙に存在する陽子と中性子の数の比。そして、「陽子の半径を光が通過するのに要する時間」を1とすると、その10の40乗倍は現在の宇宙の年齢である138億年になる。すると、我々が今生きているこの時代とは、宇宙の歴史上重大な意味があるのではないか、というもの。

 この説に私(頃田)は惹かれ、何がその「宇宙史的出来事」なのかずっと考え続けてきた。先の世界大戦がそれなのか。1969年の人類の月面到達だったのか、2001年の9.11テロとその後の対テロ戦争だったのか。2003年に完了したヒトゲノム解析がそうか、2011年の東日本大震災の発生なのか。ちなみに、100億年単位の時間だから100年位の幅で考え得るらしい。それでも誤差は0.000001%以下だ。

 あるいは私は、1990年代から顕著になった地球規模の環境危機がそれかもしれないとも考えた。危機それ自体に意味があるのかもしれないが、その危機に立ち向かうために人類が連帯し、新しい文明のあり方を創造する。そんな事が起これば、それこそがまさに宇宙史的な出来事なのではないかと思った。

 大数仮説自体は、例え本当だとしても検証しようがないので、その後の宇宙物理学者の間でも議論はあったがあまり深められていないようだ。でも私は意味があると信じている。そして、宇宙的な意味での「出来事」には本来、良いも悪いもないのだろうが、私にはいい事である気がしている。今これを考えている我々人間にとっての、いい事だ。

 だが残念ながら、環境危機対応はそれなりに進行中ではあるものの、環境問題における価値観の相違による社会の分断も起きている。いや、環境問題だけでなく、ある価値観への同調圧力と、そこからはみ出した誰かを大勢で叩くというような「不寛容な社会」化はますます進んでいるように見える。では、「いい事」であり、かつ「宇宙史的」な出来事とは何なのか。


 コロタ先生は口調こそ落ち着きを保ったままだが、語彙は熱を帯び、語りは続く。


 十和田さん、私は、我々人間は地球という宇宙に浮かぶ星の表面に生きているのであるから、我々の運命も宇宙の運行法則の影響を免れないはずだと思う。だから宇宙の法則に素直に従って生きれば、万事うまく行くと思うのだ。実際、十和田さん、宇宙の構造と我々人間の体の構造は、ある意味同じなのだよ。あなたは“Powers of Ten”という映像作品をご存知か。家具デザインで有名なアメリカのイームズという人が1960年代に作ったもので、日常の風景から空に向かってどんどんカメラを引いていき、宇宙から地球を見、さらに引いて太陽系外から太陽系を見、もっと引いて銀河系外から銀河系を見、最後は銀河団を通過しながら地球から1億光年の「視界限界」まで離れる。こんどは逆に、カメラはどんどん銀河系に、太陽系に、地球に、その表面にいる人間に近づいていき、さらに人間の皮膚の細胞の内部にまで入っていく。人間の体を構成する原子のその中の、原子核にまで入っていき、陽子が画面いっぱいになったところで映像は終わる。最初の日常の風景の映像を基準とすると、この陽子の映像のサイズはその10のマイナス16乗、地球から1億光年の「視界限界」の映像のサイズは10の24乗。宇宙の彼方の映像は、陽子の映像のちょうど10の40乗倍のサイズだ。ここでも10の40乗が登場するのだが、さらにあらためて分かる事は、人体の奥底のミクロの世界と、宇宙の構造は同じだという事だ。陽子と中性子で構成される原子核の周りを電子が飛び回るという原子の構造は、恒星の周りを惑星が、惑星の周りを衛星が、また銀河の周りを衛星銀河が周回する様子とまさに同じだ。

 話が脱線しているように思うかもしれないが、繋がっているのだ、もう少し聞いてほしい。人体と宇宙の基本構造は酷似していると分かってもらえたと思うが、では、具体的に人間がどう生きるのが宇宙の法則に沿う事なのか。私にもまだよく分からないが、そして一生かかっても完全には分からないかもしれないが、ここ10年位は、運や縁というものが示してくれるものに逆らわない事であるような気がしている。そう考えると、既に前世紀から「運や縁に寄り添い、宇宙の秩序に沿うべし」という事に目覚めている人々はいて、そのメッセージをストーリーに託した小説や映画等、様々な形で多数発信されている事にも気付いたのだ。


「それで、2020年の夏の話なのです」とコロタ先生が話の核心に近づいた事を告げたときには、十和田は既に軽く興奮し、早く先を知りたくて気が急いていた。


 私(頃田)は、「100匹目の猿」説は本当かどうか知らないが、ある概念の認知者の数が閾値を超えると急速に普及し一般化する事は実際にあると思う。「宇宙の秩序に沿うべし」という概念は、2020年にはコップに水が満たされるようにその閾値に近づき、まさに今溢れんとしていたのだ。

「2020年の初め、この世界で何がありましたか」というコロタ先生の問い掛けに、十和田は答える。

「新型ウィルスですか」

 そうです、とコロタ先生は続ける。世界中が初めての事態に直面し、困難な状況になっていた。当然、混乱はあちこちで起こり、利己的で排他的な振る舞いが国家にも個人にもあり、批判や糾弾や責任のなすりつけ合いもあった。勿論、我が国に限った話ではなく、世界中でだ。だが、春になり、初夏が来て、世界の空気が変わっていった。先の概念の認知者を「覚醒者」と呼ぶことにするが、その覚醒者たち―それは国も地域も、世代も性別も属性も様々だが―の多くが、発生してしまったこの難事との人類の遭遇を「縁」とし、その克服はまさに宇宙の法則に沿うことであると意識した。宇宙は秩序と調和で成り立っている。引力と斥力のバランス、規則正しい周回軌道。だから不寛容や対立は、これとは正反対のものだと。混乱は、より大きな秩序の中で収束されるべきだと。そして、覚醒者の中で発信力・発信手段のある者たちがメッセージを発し始めた。「宇宙の法則」と関連付けて説く場合もあったし、特段それを持ち出さない場合もあった。持ち出さないのは、話が大きくなりすぎて理解されないリスクがあるからだ。今般の危機は確かに難儀ではあるが、それを世界全体で乗り越えることは、危機以前よりも格段に強力に人類を再連帯させる好機であるということを、ある者はそのままの言葉だったり、ある者はシンプルな運動として、ある者はそれが実現された未来の物語として、世の中に発信した。

 それに共感し、勇気づけられ、呼応する人々が連鎖的に増え、その中で「宇宙の法則に沿う」ということと関連付けて理解し、目覚める者も多くいた。汎世界的な危機だったから反応も汎世界的で、やがて優しさと寛容さの連鎖が世界を覆った。各国も「正解」というものは無い中でそれぞれの社会構造や国民性に依りつつ適宜他国と協力し、何とかそれぞれに最悪期を脱したことで、互いのやり方を認め合う多様性が危機前よりも拡大した。10の40乗があらわす「宇宙史的な出来事」とは、覚醒者の数がある閾値を超えると同時に、この新型ウィルス危機を契機として人類が再連帯することだったのだ。それがあの2020年の夏だった。


 二人とも、しばらく黙っていた。十和田は、ようやくコロタ先生の話が一区切りついている事に気付いた。


 十和田が口を開く。「2020年の夏が世界の転換点だったということですね。コップの中に溜まっていった水が2020年の夏に溢れた」

「そう、それは世界のあり方をその前と後で大きく変える出来事だった。紆余曲折を経て、不寛容だった人間社会は寛容で利他的な社会に、既に角を曲がったんです」コロタ先生の口調は力強く、断定的だった。


 十和田がコロタ先生と会い、話をしてから数日が経っていた。そして、あれからずっと、コロタ先生の話について考え続けている。十和田は「大数仮説」も“Powers of Ten”も初耳だったが、インターネットで検索して調べた。コロタ先生の自説以外の、前提となる情報に特に間違いはなさそうだ。まだ軽い興奮が続いていた。この興奮がどこから来るのか、十和田は考えた。普段は意識しない、スケールが大きな話だからか。SFみたいでわくわくするからか。どれも当たっているが、やはり一番の理由は「本当だったら自分としても心から嬉しい」ということだった。世界に、未来に、大いに希望が持てるということだった。

 新型ウィルス渦の最中にも言われていた事だが、人類はこの事態と長く付き合わねばならず、最悪期が去っても社会は元と同じには戻らなかった。人類にとっては皮肉な事だが、経済の停滞によって「より本質的なもの」が意識され、様々に抑制された生活の中で「何が大切か」「どう生きるか」を否応なく考えさせられ、騒動鎮静後も世界中で働き方や社会生活が恒久的に変化した。

 十和田にとって、コロタ先生の話の「本当らしさ」は7割、というところか。荒唐無稽とは思わない。理屈も、自分には思いつかないスケールの大きさ故に今でもまだ実感として掴み切れてはいないものの、頭では十分理解できている。2020年の夏を挟んで世界が少し優しくなったと言われれば、確かにそうだと肯定もできる。だが一方で、「宇宙史的な出来事」の前後として考えるならば、この程度の変化で良いのだろうか。これが「本当だろうか」という残りの3割だ。

 一部で露呈した自分ファースト、自国ファーストの行動は、事態が鎮静化したとて、もちろんすぐに世界から消えて無くなったわけではない。ネット空間やマスメディアでは以前と変わらぬ、誰かから誰かへの誹謗中傷、罵詈雑言も未だ見られる。まあ、ある時を境にそういった事が突然皆無になるほうがむしろ不自然ではあるが。

 コロタ先生は、会話の最後にこうも言っていた。「劇的変化というよりも、静かに折り返したから気付きにくいが、歴史の渦中にいるときはそれが歴史の転換点だとはなかなか気づきにくいものです」

 そういうものかもしれない、と十和田は思う。


 さらに2カ月が経ち、梅雨が明け、2022年の夏も盛りを迎えた。十和田は「コロタ説」への興奮の余熱を体内に宿しつつ、仕事に励んでいた。相変わらず週に1、2回のペースで鳥浜に顔を出していたが、コロタ先生はあれ以来来ていないようだった。「コロタ説」について十和田は、現時点での結論として、「いいニュースあります!」ではまだ紹介しない事にしていた。実証不可能だから、ではない。「コロタ説」は陰謀論や人々の不安を煽るような悪い予言とは違い、「いい話」であり、たとえ間違っていたとしても実害は無い。そして、一つの考え方の提示にすぎない。そういう意味では紹介しても良いのだが、焦って世に出さなくてもいい。十和田自身にとっても興味深い話であるだけに、さらに周辺情報を集め、知識を整理し、自分の中でもう少し熟成してみようと思ったのだ。実際に、2020年の夏頃、すなわちウィルス騒動が一応の落ち着きを見せた時期を境とした、社会の変化等に関する記事情報を意識的に集め、点検していた。そのうちにまたコロタ先生とも話したいと思っていた。

 そんなある夜、十和田は約10日振りに鳥浜の暖簾をくぐった。十和田を認めるなり、常連客の一人が言う。

「コロタ先生、亡くなっちゃったよ」

「えっ」と言ったきり十和田はしばらく絶句した後、ようやく「本当ですか」とだけ継いだ。

 聞けば、鳥浜の店員や常連客達も知らなかったが、コロタ先生はしばらく前から癌を患っていたらしい。亡くなったのは1週間ほど前で、葬儀はもう済んだ。常連客の一人の知己にコロタ先生の元同僚がおり、たまたま街で会った際、世間話の折に知らされたという。十和田は思わず、その元同僚に会いたい、紹介してほしいと頼んでいた。


 コロタ先生の元同僚を知る鳥浜の常連も、街で会えば言葉を交わすという程度だったため連絡先を知らず、少し日にちが要った。その常連が、知り得る断片的な情報から連絡先を突き止め、十和田に繋いでくれた。コロタ先生の元同僚・篠田氏と十和田は、盆休み直前のある夜、鳥浜で会う事に相成った。

「十和田です。コミュニティFM局で番組の構成をやってます」

「篠田です。頃田さんの事をお聞きになりたいのだとか」

 十和田が渡した名刺を見ながら快活にしゃべる篠田氏は、コロタ先生より一回りほど若いだろうか。

「はい。生前コロタ先生からお聞きした宇宙の話にすごく興味を持ったんです。仕事としても、個人的にも。それで、コロタ先生自身の事ももっと知りたいと思いまして。本当はまだご本人に色々聞きたい事があったんです。何故、僕に教えてくれたような考えを持つに至ったのか、とか」

「ああ、宇宙の話ね、僕も彼から聞いた事ありますよ。僕が分かる事なら何でもお話しします。頃田さんは『先生』って呼ばれてたんですか」

「大学の先生だったんですよね」

 篠田氏は一瞬怪訝そうな顔をしながら、「いいえ、違いますよ。高校を出てからこっち、家業だった住宅設備の下請け工務店で働いてたんですが、やがて親父さんが亡くなって、20台半ばで後を継いで経営してたんです。大学の先生って話は、どこから出て来たんですかね」と、十和田にとっては驚くべき事を言った。

 一瞬、十和田の中のコロタ先生の人物像が揺れるとともに、十和田には、最初で最後となったコロタ先生との対面時の様子に合点がいくところがあった。コロタ先生の名刺は大学関係のものではなかったし、その話題から早く離れようとしていた節がある。

「あ、いや、僕も一度しかお会いしてないのでよく知らないんですけど、誰かがそんな事を言っていたような気がして」と十和田は曖昧に答えた。篠田氏はその件を特に気に留めたふうはなく、「ああ、そうですか」と言って続けた。

「僕は頃田さんと同じでこの町が地元で、高校を出た時に頃田さんの工務店に就職したんです。その時はもう、頃田さんが社長でした。さっき言った親父さんが亡くなって、というのは後で聞いた話です。僕は仕事を一から頃田さんに教わりました。本当に、優しい、いい人ですよ。仕事だけじゃなくて、よく飲みにも連れてってもらったし、頃田さんご夫婦には色々と面倒を見てもらったなあ」

「奥さんは、今お元気なんですか」

「亡くなってるんですよ、もう10年ちょっと前かなあ。奥さんも癌でね。そう考えると、頃田さん、あんまりツイてないね。優しいだけに、経営者って立場もあまり馴染めなかったのかもね。ほら、ガツガツしてないから。結局、業績があまり振るわなくなって、奥さんが亡くなってから少しして、工務店も畳んだんですよ。気落ちもあったかもしれないね。私は幸い、同業の知り合いに拾ってもらえて、今はそこで何とかやってるんですけどね」

 篠田氏と十和田は、言葉の合間にそれぞれのビールを啜り、食事を摘んだ。篠田氏が続ける。

「それでもね、廃業と同じ頃に東日本大震災があって、頃田さんはNPOを作って、自分は住宅設備の技術があるからって、ボランティアで、福島で色々やってましたよ」

 十和田は、自分がコロタ先生から受け取ったのはその名刺だったのだと、合点がいった。篠田氏は話題を変えた。

「宇宙の話、僕も頃田さんからよく聞かされましたよ。飲みながらね。あの人は子供の頃から本が大好きで、宇宙とか科学にすごく興味があったみたいでね。『大数仮説』だっけ。『人間は宇宙の法則に従って生きればうまくいく』ってね。僕には100%は理解できなかったけど、でもあの話、優しくっていいよね」


 十和田は篠田氏の分も含めて勘定の支払いを申し出、あらためて礼を言った。篠田氏は恐縮しつつ、「それじゃ、お言葉に甘えて」と委ねてくれた。篠田氏と別れて一人家路を歩きつつ、十和田は考える。してみるに、少なくとも十和田が知る限り、コロタ先生が自分から大学教授だと言った事や、それを何かの目的に利用した事はなかった。鳥浜の常連客の誰かが、コロタ先生の知識量や風貌や話の内容から、何気なく「大学の先生っぽい」などと言ったのが独り歩きしてしまい、あの控えめなコロタ先生のこと、つい否定できなくなってしまったのではないか。本人も困っていたかもしれない。

 コロタ先生が語った説はそのまま、コロタ先生の希望だったのではないか。そういう世の中がやってくることを信じたいために、出会った知識や情報と、経験則とを組み合わせた自説を、自ら発展させ、さらに強化し続けていたのではないか。そして、自分自身の不遇への、逆転の願いも込めたのかもしれない。

 2020年は十和田の人生の大きな転機とも一致していた。前職での幻滅から、違う世界での希望に賭け、自分の足元からささやかな「いいニュース」を伝えようとした。全くの個人史と大宇宙の歴史を同列で考えるなんて、馬鹿げているだろうか。

 自分の新しい使命として街角で拾い集めた、様々な2020年の夏の「人々の良心」の場面が十和田の脳内に蘇る。そして、それに触れたリスナーの温かい反応も。

 十和田が歩きながら物思いからふと顔を上げると、通り沿いにある銀行の支店の壁に設置された電光掲示のデジタル時計が「10:40」を示していた。さらに目を上げると、夜空にいくつか星が見える。十和田はまた考え続ける。

 そうだ、これはコロタ先生がメディアに関わる自分に話し、託す事で社会に散布しようとしたワクチンなのだ。「コロタ説」が本当でも本当でなくても、この考えが広がる事で人々が「世界はいい方に転換したのかも」と意識し、そういう人々の割合がさらに増える事でそれが現実になっていく。まるで「他者への不寛容」という、人の心に侵入するウィルスが宿主を失い、人々が免疫を得、同じ脅威にもう二度と屈しないように…。

 十和田はもう、その「説」を特定の誰かによるものとはせず、紹介する事に決めていた。

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