第2話 名前を呼んで欲しい理由

 拝啓、作者様。いつも同じこの書き出しで感想を送ってくれる読者さんがいる。


 仕事から帰宅後、適当に食事を済ませて早めにお風呂に入り一日の疲れを洗い流す。本当は省きたいところだけど、将来の自分の為にスキンケアもしっかりと済ませ、ふーっと小さく長い息を一つはいてやっと落ち着ける時間が私にやってきた。

 リビングの隅に置いている木目調の机と椅子。一目惚れで購入したこのセットはもう何年もの間、長く愛用しているお気に入りで、此処に座って息を一つ吐くことで私はやっと自分の中の何かのスイッチを切ることができる。それはどんなスイッチなの?と訊かれても上手く答えられないけど、きっともう気を張らなくていいんだとかそんな感じのものだと思う。

 そうやってスイッチを切った私は、机の上に置いている大きなモニターと押し心地の良いキーボードを眺めて三秒ほどボーっとした後にパソコンの電源スイッチを入れる。

 サイトの管理画面を開き、画面の端で揺れているベルマークをクリックすると沢山のメッセージが届いていた。その殆どは夕方に更新していた新作や過去作品に対する感想たち。


「あ、絃さんだ」

 ある人からの感想コメントを見つけて自然と私の頬は優しくなる。

 感想に限らず文章の書き出しには、人それぞれ個性があって読んでいてとても面白い。主語を飛ばして感情の塊をバーっと綴ってくれる人もいれば、まるで夏休みの読書感想文みたいなものを書いてくれる人、これはもはや大学の卒論なのかな?と思ってしまうほど完璧な考察を添えられた文章の人。面白かったです。の一言だけ送られた時は、思わずその場で「どこが!どこが面白かったか知りたい!」と一人声に出してしまったこともある。

 それでも思いを伝えたいとわざわざ時間を割いて私に感想を送ってくれること自体が本当に有難くて嬉しくてたまらない。

 好きな書き出しはありますか?と訊かれることは殆どないけれど、もし訊かれる機会があれば私は悩まずに、あります。と答えるだろうな。そして、それは何?と更に問われた時の回答は、絃さんがいつも使っている【拝啓、作者様。】を選ぶ予定でいる。

 言葉のセンスを数値で表すことができるとすれば、きっとこの人は私よりも遥かに高い数値をたたき出すに違いない。文章を書いている身なので、それなりに言葉は知っているつもりだし表現のマンネリ化を防いだり、もっと相応しい表現があるかもしれないと執筆中も言葉は調べるようにしている。

 それでも絃さんは私の知らない言葉をよく使っている。だから絃さんの感想を読む時は、半分以上の確立でネットや辞書で意味を調べて、自分の中でその言葉の意味を溶かし入れてちゃんと分かってあげられるようにしている。新しい言葉を覚えることができることもあって私は絃さんが書いてくれる感想がとてもすきでいつも待っている。


 商業ではなく、趣味の一つとして私は小説を書いているので、本を印刷して販売しているわけではなく、簡易的なサイトを立ち上げてそこに自由に小説を投稿し運営しているのだけれど、有難いことに最近は小説の閲覧数が増えて固定読者も目に見えて増えてきている。

 ただ、小説と格好良く言っても私は素人に加え、書いているジャンルも特殊なのでここまで反響があることに少しの驚きを感じつつ、読んでくれる人がいる喜びがやり甲斐になり細々と長くこの活動を続けている。

 小説、漫画問わず、私が書く女性同士のお話は、男性同士のものに比べるとまだまだメジャーではないし、オープンになっていない部分も沢山あるのが現実。コミュニティが狭いと言われてしまうと寂しいけれど、それでも、こうやって読んでくれる人がいると【百合を好きなのは私だけじゃないんだ】と安心できる。

 そして、感想を書いて送ってもらえることは本当に嬉しくて、読んで終わりではなく感じたことを私に伝えたいと思ってくれたこと、読者さんたちに伝えたいと思いを込めて書いていた部分がちゃんと伝わっていると分かった時、主人公やヒロインの心境に共感してもらえた時、書いて終わりではなくて、読者の皆さんから届くそれらには沢山の【嬉しい】が詰まっている。だから、このサイトは私の大切な居場所でもある。ココはずっと大切にしたいな……。


 「絃さんは、いつになったら名前呼んでくれるんだろう……」

 私の事を【作者様】と書き、そう呼ぶのは絃さんだけ。投稿サイトのトップページには私のプロフィールを記載し、加えてSNSのアカウントリンクを貼っているので、絃さん以外の殆どの読者さんは、そこに記載されている【みちる】と言う名で私を呼ぶ人が多い。

 それなのに、彼女はいつになってもそれを呼んでくれない。

 いくら情報量の少ないプロフィールと言っても名前の記載はしているのにその情報を活用してもらえないのはなんだか寂しい気もする――いや、プロフィールなんてそんなの関係なくて、私は素直に絃さんに名前を呼んでもらえないことが嫌なのだ。あの綺麗な文章の中で私の名を呼んで欲しい。絃さんの綴る文字で――

 こう言った書き手の人たちは、ペンネームの人が多いけど、私の場合は本名のみちるの名をそのまま使っていることもあって尚更、彼女に名前を呼ばれたい――

 最初は、とても細かな感想を書いて送ってくれる人と言う印象だった。それからこの人の綴る文章はもはや一つのお話に出来てしまうのではと思ってしまう程に綺麗な言葉が使われていて、感想の内容もまるで私の頭の中を覗いたかのように台詞や仕草の意図をくみ取っていていつもいつも驚かされてしまう。同じ考えの人なのだろうか、と嬉しくなってもっと絃さんの作品に対する考えや思いを訊きたいとすら思うようになっていた。

 最近では、絃さんならどんな言葉を選び、使うだろうかと考えながら書く時さえもある。考えて、考えて、言葉を調べてこの感情を表現するにはこの表現や言葉が合っているとしっくりくるものを見つけて書き出したものに対して、絃さんから「とてもしっくりくる表現に読んでいてすっと心に入ってきました。」と感想が届いた時は、嬉しくて思わず頬の締まりを無くした時だってあるくらいに絃さんを意識してしまっている。

 

会ったことも無い人なのに、

綴る文章だけで、人は人を好きになることがあるのだろうか――


 ふとそんな事を思いながらもその答えは分からない。今はそれを深く考える気にはなれないし、きっと分からないままの方がいいのかもしれないと何故かそう納得してしまった。

 思考が落ち着いたところでカーソルを下書きページに合わせてそれを開き、途中になっていたお話の続きを書き始めることにした。


 今書いている高校生と音楽教師のお話は、私の実際の高校生の頃の経験や周りの友人たちの経験を混ぜ合わせたものを参考にして書いている。確か、続きは主人公たちのデート現場を目撃した体育教師がヒロインを呼び止めるシーンからだったはず。今回書いていく内容を確認してぐっと肩が重くなってしまう。それは、この体育教師を書くのは毎回消費カロリーが高いせい。本編には出てこないけど、この嫌な体育教師にもちゃんとバックストーリーを設定していてそれに私自身が引きずられてしまうから。どんなに嫌な人にも優しい部分はあるし、誰にも言えず背負っているものがある。私はそんな見えないものを含めてその人物を書きたいからこの体育教師が本当はこんな悪役じゃなかったことも知ったうえでこの人を悪役として書いていく。はぁ……やっぱりカロリー高いな。


 半分フィクション、半分ノンフィクション。これは小説を書くうえでルールと決めている。誰かの心に響く言葉は、誰かの経験から生まれる言葉だと思うし、そう言ったものを更にあたためる為に、真実を少し混ぜるのが私の書き方。


 いつからか私は、作者としてあなたの感想の読者でした。


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