拝啓、作者様

雪乃 直

第1話 心の休息と言えば

 あなたに初めて会った時、こんな美人が百合小説を書く訳が無いと、私はそう思った。


 新作が書きあがったから絃に読んでほしくて。そう言って彼女はいつも新作を一番に私に読ませてくれる。一緒にいる時は、彼女のパソコンの画面を借りて、そうではない時はメールに原稿が添付されて優しい気遣いの言葉と一緒に連絡が届く。

 彼女、みちるさんが書くのは決まって恋愛小説。それも女性同士の百合文芸。

 適当に選んだみちるさんの写真を見せながら、この人どう思う?と尋ねれば、殆どの人が綺麗もしくは、美人と答えるくらいに彼女の容姿はとても美しい。そんな彼女が百合小説作家だなんて、みちるさんもそうなのかなと考える度に胸の少し奥が跳ねるように微かな痛みが走る。

 きっかけは何だっただろうか。SNSで誰かがリツイートした彼女のサンプル小説を読んだことだっただろうか。それともオススメユーザーに彼女が出てきたからだろうか。

 きっかけと言う言葉は、何処か運命的な響きを持ち、何かを期待させるような気さえするけれど、実際は時間の経過と共に思い出せなくなるほど些細なものがきっかけだったりする。だから、私も彼女が綴る美しい小説と出会ったきっかけは、きっと些細なものだったに違いない。

 それでも、私が貴女自身を好きになったことは些細と言うには似合わない気がする。私は、貴女の綴る文章に恋をして、気付けば貴女自身にも恋をしていたのだから。


+++


 学生時代、昼休みや放課後はいつも図書館に行き、古びた棚から気になる一冊を手に取り、窓際の一番奥の席に座り一人静かに読書をするのが好きだった。なんてことはなく、私は昼休みに教室で仲の良い友人たちと昨日のドラマやバラエティー番組の感想で盛り上がり、放課後は真面目にバイトに励むような何処にでもいる一般的な学生だった。

 ただ、ひとつ一般的ではない箇所をあげるとすれば、それは私の恋愛対象だろうか。


 よく少数派なんて言葉を付け足された状態で呼ばれることが多いけれど、個人的にはそんなことはあまり感じておらず、周りには意外と似たような嗜好の人がちらほらいたりする。とは言え、写真映えするようなお洒落なカフェで恋愛嗜好をお供に長話する趣味は、持ち合わせていないので誰かと恋愛と言う淡いものについて語り合う事は殆どない。

 そもそも仲の良い友人たちが言うには、私は【拗らせている面倒な奴】らしく、恋愛観を話したところで共感できるポイントが極めて少ないらしい。そんなことを言われ続ければ、私でなくても自らその話をしようと思う人は少ないはず。

 学生時代の会話の端々に出てきた淡い恋愛話も社会人になれば減るだろうと勝手に根拠もなくそう信じていた私は、過去の自分にちゃんと言いたい。社会人が集まってする話なんて、仕事のことか恋愛のことくらいだと。

 誰かと淡い話をするよりも誰かの書いた恋愛小説を読むことで、恋愛が綺麗なものだと憧れを継続させることが出来ると私は思っている。


「あれ、絃さん帰っちゃうんですか?」

「本当はそっちに行きたいんですけど、このあとクライアントと打ち合わせがあるんです」

「え、この時間からですか?」

 先方のスケジュールの都合で仕方なく、と少し肩を竦めるパフォーマンスと共に理由を伝えて皆より少し早く一人でオフィスを出る。一か月ほど前に決まった今夜の職場の飲み会なんて、それが決まったと同時に適当な理由で欠席すると決めていた。

 先程、同僚に伝えた偽りのスケジュールはさっと無視して特に寄り道もせずに住み慣れたマンションへと帰る。確か冷蔵庫には小分けにした鶏もも肉としらす、それから昨日スーパーで買ったカットサラダがあったはず。他にも何か食材が入っていた気がするけど、思い当たる食材で今夜は何を作ろうかと考え、答えが出そうなタイミングでエレベーターを降りて、歩きながら鞄からキーケースを取り出す。

 慣れた手つきで鍵を開け、シックで重い扉を開き真っ直ぐにリビングへ向かう。本当は、手洗いうがいをした方が良いのだろうけど、生憎一週間まともに働いた私の体にはそんな体力は少しも残っていなかった。しかも、勢いよくソファーに倒れ込んでしまったのだ。もうそう簡単には起き上がるなんて無理に近い。


 さっきまで考えていた夕食のメニューもそれを実際にかたちにする作業が面倒に思えてきた。一人暮らしの一般的な冷蔵庫よりも食材が多く、調味料にもある程度の拘りが見える我が家のキッチンは、悲しいことに自分で料理をしなければまともに食事にありつけない。

 いくら食材が沢山あってもそれを上手く料理できなければ満足のいく幸福感は得られないと私は知っている。昔、あまりの疲労感と空腹感から固形のカレーのルーをひとかじりしたことがあるけど、それは普段食べ慣れているそれとはあまりにも違い、旨味はおろか口の中いっぱいに後悔が広がり、すぐに口をゆすいだ経験から得た教訓だとは恥ずかしくて誰にも言えない。

 他に人が居ないので遠慮なく、うーんと唸りながら考える。今夜は、食事を摂らなくても大丈夫だろうかと。数秒考えて出した答えは、この空腹感は疲労感には勝てない、だった。故に私は休息を優先することにした。

 休息を優先させると言っても体はこのままソファーに沈めたままで良いけど、心は別。私の心の休息は読書と決まっている。上着を脱ぐついでに内ポケットから携帯を取り出しお気に入りのサイト一覧から目当てのアイコンを人差し指でトンッと一回タップする。

 開かれたサイトは、生成り色で統一されたデザインで変に自己主張せず、いつも控えめな印象を持つ。すぐに更新履歴を確認し、夕方更新されていることに嬉しさで頬が緩む。このサイトに載っているお話はどれも素晴らしく、ヒロインの可愛さにキュンとするだけじゃなくて涙が止まらないくらい切ないシーンもあったり、同性同士が故の問題やすれ違い、そして周りの友人といった登場人物たちとの関係性含め、書き方が本当に私好みで神サイトと認定している。

 確か、前回の話は主人公の高校生とヒロインである音楽教師が二人でコンサートに行く話だったはず。このまま幸せになれば良いけど、きっとここから何か展開されるはず。早く読みたい衝動と私の中での妄想が暴走してなかなか小説ページを開けない……

 会社では絶対に見せることが出来ないほど引き締まりのない顔をしつつ、こうやって好きな作家さんが書く小説で妄想することが、なによりも心の休息になると奮発して買ったお気に入りのソファーの上で改めて思った。


 これはまだあなたに出会う前、あなたの小説に出会った頃のお話。


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