Doze


 始まりはいつも、カーテンの向こう側。

 病室の、薄布一枚隔てた先で、あなたの影が震えている。

 何度もなんども繰り返した景色の中、水底から水面を見上げる心地で、私はただ佇んでいる。

 ふりしきる雨は陰惨な不協和音を奏でて、呻きの表皮を覆っている。隠した傷から入った毒が、あなたを内側から犯し尽くすのを、私は此岸から眺めている。

 そしてあなたは飛び出して、猛然と私につかみかかると、光の失せたまなこを見開いて、その歯を首に突き立てる。

 幾夜も重ねたはずの身体は冷え切って、その口づけに愛はなく。

 肉の裂かれる痛みと失血にぐらつく視界の中で、ベッドに倒れる私へとあなたは覆いかぶさっていく。

 繊維が音を立てて引き千切れ、私を満たしていたものは力なくこぼれ落ちる。あなたの口からは私の一部だったものが垂れ下がり、虚ろな表情のまま、あなたはそれを咀嚼している。

 清潔な白は斑らに汚れ、滲む色には死が香る。

 そして私は終わり、

 始まりはいつも、カーテンの向こう側。

 したたる血と、汗と、涙と、雨音とペトリコール。


 死しては生き返るあなたのように、私もまた死してなお生き続けている。

 そんな様を、人は物語の中でなんと呼んでいただろう。

 私とあなた。死ぬに死に切れず、終わるに終われないもののことを、どんな名前でかたどっていただろう。

 あなたを救うにも、あなたから逃れるにも遅い起点で、あなたを殺せばこの円環の時は進むのだろうかと考える。けれど、それはあなたとの離別を意味して、もっと遠く乖離した世界へと私たちを引き離してしまうに違いなかった。

 同じ時間を過ごして、それゆえ同時に共に病んだ。運び込まれて隔離された病室で、不安と恐怖に蝕まれながら、どうにかなるよと笑っていた。

 私も、そうだねと言って一緒に笑ったけれど、結局どうにもならなかった。理想の救いは訪れず、与えられたのは、痛みを伴う追憶のワンシーンだけ。

 いつかの情事のように私を押し倒し、貪るように肉体を食むその姿を、沈みゆく諦観の中で愛おしく思う。

 最初、あなたに殺されて、あなたの肉体に溶けゆくのならそれでもいいと思った。今では苦痛と感情と思考を切り分けるのもずいぶんとうまくなって、思いは風化せずにそこにあり続けている。

 少なくともあなたに殺されるうちは、本当の死から遠ざかっていられる。あなたと離れずにいられると、そう思っている。


 目を覚ます。したたる雨音に、カーテン越しに乖離したあなたの存在を感じとる。

 近寄って、胸元を合わせ肩口に顔を埋め、四肢を絡めてまぐわって、冷たいあなたと私の熱が混じり合い、そしてまた終わっていく。

 始まりはいつも、カーテンの向こう側。

 したたる血と、汗と、涙と、雨音とペトリコール。私もあなたも曖昧にして、閉じた世界に溶かしていく。

 痛いのも苦しいのも嫌いだった。

 悲しいのも無力なのもうんざりだった。

 それでも、エンドロールに向かうのが惜しければ、最後の最後のほんの数秒でも、巻き戻し巻き戻し見てしまうものだろうか。

 意志も意識も微睡みながら、死しては生きる生ける屍として。

 あなたも、私も。


 必死にしがみつくあなたを、私はそっと抱きしめる。

 時間の檻に囚われながら、この肉と死でもって、あなたを掴んで離さずにいる。

 循環する時の狭間で、あなたを想い続けている。

 いつかの終わりが訪れるまで。

 ずっと、ずっと。

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[S]anctimonious [F]able 伊島糸雨 @shiu_itoh

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