第三話 記録係の身構え

 何故こんな場所に居るのだろう?私は昨今話題のタピオカ屋にきている。と言うのも知り合いに会うためで、その知人とは遠方で会ったにも関わらず同じ街の出身で会ったことからの縁。私は今まで彼ほど心地の良い人間を見たことが無かった。低姿勢で、聞き分けがある。その一方で言われたことしか出来ない、想像力が働かないという難点もあるが。最も突出すべき点は私と違って周囲の人たちを大切にするところだろう。約半年、彼とは衣食住を共にしたが一度も衝突する事などは無かった。言い換えれば、それ程興味が無かった為かもしれない。興味が無いと言うよりは、期待をしなかった。だからこそ、上手くやれていたのだろう。もし私が好奇心を彼に持って仕舞えばそれは、関係性の崩壊を意味する。

 幼少期の私は今とは打って変わってとても人に対し好奇心旺盛コウキシンオウセイであった。それが災いしてか、人を自分の物だけにしたいと思う傾向にあった。まるで囚人と看守の関係に似ている、囚人は自由に会話することを認められないが、看守による行為は全て許される。もちろん、この形は言うもでもなく長続きなどしない。抑圧され、制限を科された囚人は暴動を起こし脱走を試みる。その積み重ねが私だ。

 普通の人なら疑問に思うに違いない。何故他人を掌握ショウアクする状況を創り出したいのか、同じ目線で共に歩む事は出来ないのかと。何故そうなってしまったのか、人混みが混雑する中、順を追って考えてゆく。

 その思想に囚われ出したのは引っ越してきて小学生になった頃だった。約5年過ごした家を後にしたのは私が親から父の職場が近いから移住はどうかと聞かれ、『どっちでもいい』と言う言葉を放ったからであった。今となってはその頃の自分が憎くて仕方がない。何せ驚いたのはその移住は転勤などではなく、父の通勤先が近くなるからと言う理由だった。引っ越す前は名前も忘れてしまった友達と仲良く遊んでいた、ぼんやりとした物体への焦点があっていない様な映像が頭をぎる。本当に家を移るなどと夢にも思っていなっかたその頃の私は悲しみに苛まれる。泣いたところでどうにもならないと言うのに。

 もしあの頃の解答が違っていたならば今の私はどうなっていたのだろう。父が毎朝七時半頃に起きて会社に行き、途中で会社を辞めて自営業などせずしっかりと社内で実績を積み確固たる地位を気づいたなら、母は父方の祖母祖父に抑圧される事なく過ごし狂気に駆られ私に激昂ゲッコウする事などなく、私は引っ越し先で冤罪のような感覚を感じる事なく、親に高速道路で置き去りにされる事などなく、家を下着一枚で追い出されることなど無く初めての羞恥心シュウチシンを6歳の頃に知らずに済んだのだろうか、今から会おうとしている知人を親友だと自信を持って断言できる様な人間になっていただろうか。そんな事を考えているうちに時間が来た。私は彼に興味を示す訳にはいかない。関係を維持する為には看守では無く、ただただ囚人の観察をする記録係でなければならない。

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どういじめたい? 色無 光 @foolishideology

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