第9話 密談 その2

「尚美さんが記憶を失っていたのは恐怖のためですよね? それとも恋人を殺してしまった罪の意識ですか? いずれにしても彼女がその記憶を思い出すことはないんですか?」

「ないわね。わたしがしっかり偽の記憶を植え付けておいたから、すっかり入れ替わっているわ」

「いいんですか、そんなことして?」

「それで幸せになれるんならいいでしょ?」

「はあ………」

 まあ、いいか………

「今回先生がこの仕事を引き受けたのは尚美さんを救うためだったんですね?」

「うん。それと、将来危害の加えられる危険のあるつらら女の娘さんを守るためにね。あーあ、わたしってなんていい人なのかしら?」

 照れ隠しにうそぶく先生を芙蓉は微笑んで見つめた。

「それで先生、等々力さんたちが取材に行ったとき、また吹雪になって、山小屋に閉じ込められましたよね? あれも偶然ですか?」

「いえ、あれはつらら女の仕業。わたしがそうするようにちょっとした仕掛けをしておいたの」

「どんなイタズラをしたんですか?」

「三津木さんに入れ知恵してね、わたしの霊力を込めた尚美さんの写真を等々力さんに渡してもらっただけ。つらら女はまた尚美さんが舞い戻ってきたと思って様子を見に来て、しかもおかしな霊力を感じて、すっかり混乱したのね。おかげでいい画が撮れたわよね」

 つらら女が『どこに隠した』と捜していた「女」は尚美だったのだ。

 芙蓉は呆れながら次の質問をした。


「七五三の神社の写真、あれは偶然でしょうか?」

「偶然というより、あの愛人女の執念でしょうね。あの女は霊力を集めながら常にチャンスを探っていた。わたしの方でもいろいろ網を張っていたから、上手くキャッチされちゃったのね」

「やっぱり先生のせい、……だったんですね?」

「人を疫病神みたいに言わないの。だいたい引っぱり出されたのはわたしの方なんだから。でもおかげで因縁の二人を対決させて一気に方をつけることが出来たわ」

「それです、一番聞きたいのは!」

 芙蓉は紅倉の脚を撫でていた手を止めて真剣に見つめた。

「何故岳戸さんを引っぱり出したんです? 岳戸さんって、何者なんです!?」

 岳戸由宇=元テレビタレントの目立ちたがり屋の三流霊能師。と、芙蓉はずっと思い込んでいた。しかし、あの圧倒的な力は、正なのか邪なのか? あまりに圧倒的でその判断さえ付かなかった。

「岳戸、由宇さん……」

 紅倉も目を伏せ、ため息をついた。

「テレビを見ている人をビジュアル的に納得させるために派手な演出が必要だったのよ。そのために彼女の力が必要だったんだけど……、正直、わたしも彼女を利用するのは勇気が必要だったわ。下手をすれば、何十人と死者が出るところだったわ、もちろん、わたしも、美貴ちゃんも含めてね」

 それほどまでに恐ろしい物だったのか……。何者!?

「彼女の守護霊。いえ、守護霊というにはあまりに強く彼女の肉体と結びついてしまっているわ。

 おそらく、彼女がわたしの最期の敵になるでしょうね。

 彼女の名前は、ヌイ姫」


 ヌイ姫。


 芙蓉はその名前を聞いただけでゾゾッと全身に戦慄が走った。姫と呼ばれ、あの言葉遣いから昔の人なのだろうが、何やら壮絶な人生を送ったことが想像される。

 紅倉は芙蓉を安心させるようにニコッと笑った。

「まだまだしばらくはケンカしないように気をつけましょうね。ま、使いようによっては便利な力だから」

「先生、あんまり危ないことはしないでください!」

 芙蓉は本気で心配して言った。あれほど巨大な力を抱えていたとは、岳戸由宇の人間性が壊れているのも納得できる。肉体だって、きっと……。そしてそれは、先生だって同じなのだ……………

 芙蓉は床に膝をついて紅倉の脚のあざに口づけした。

 紅倉はその感触を味わいながら話を続けた。

「つらら女も宿敵の怨霊も、ヌイ姫の霊体に吸収されてしまった。もう永遠に姫の奴隷よ。中学生の坊やも、新たに取宇美山の霊力の人格に収まって山の神になったわ。神になれば、人間的な欲求も収まるでしょう。新たに神としての欲求が生まれるでしょうけれど。人間の俗っぽい欲求を捨てられなかったつらら女は、そもそも山の神失格だったのね。以上、取りあえず今回の事件はこれで全て解決よ」

 レコードは、とっくに針が上がっている。

 芙蓉は立ち上がり、レコードを裏返してセットした。スピーカーからブツブツブツとスクラッチ音が聞こえ、再びシューマンが流れ出した。今度は地味目のピアノ四重奏曲。シューマンの音楽は青年の情熱と、老人の悲観と、恋する歌心がある、と先生のお付き合いで聴いて素人ながらに感じている。

 先生はお行儀よく脚を揃えて座り、となりに芙蓉の来るのを待っている。

 芙蓉は微笑んで先生の隣へ、自分の席へ、向かう。

 梅酒にちょっと頬を染めて。


 終わり


 二〇〇八年一月作品

 二〇一〇年一月/二〇一四年二月/二〇二〇年三月改稿


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霊能力者紅倉美姫18 つららの杭 岳石祭人 @take-stone

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