第9話 密談 その1

「放送してください。でなきゃせっかくのわたしの苦労が報われないじゃないの」

 三津木の相談に紅倉は頬をふくらませて抗議した。あのめちゃくちゃな収録を、果たして放送していいものかどうか相談したのだ。

「そりゃわたしだって放送したいですよ。でも……いいんですか? 土下座した姿なんか放送して……」

 三津木の意地の悪い質問に紅倉はまた頬をふくらませた。

「どうぞお好きなように。でも半年間はわたしの出演はありませんからね」

「そんなあ。ずるいじゃないですか、今回はうちの番組の企画ですよ?」

 あの後紅倉の指摘によって取宇美山の斜面の崖と、反対の麓の森の捜索が行われた。それぞれ白骨化した女性の遺体が発見された。その捜索の模様はライバル番組「生追跡!真相を探れ」で放送される予定だ。

「冗談です。本当に好きなようにどうぞ」

「こちらも冗談です。先生のあんな姿放送したら、ファンからの抗議で忙殺されます」

 二人はいっしょに笑い合った。隣で見ている芙蓉はやっぱりちょっと腹立たしい。

「ところでね、先生」

 三津木は居住まいを正して訊いた。

「つらら女の本当の娘って、ひょっとして……」

「尚美さんのわけないでしょ。その娘はもう三十六歳。尚美さんはまだ二十一歳よ」

「ですよね、やっぱり」

 三津木はほっとしたように言った。ちなみに幽霊女優綿引響子もまだ二十八歳である。

「じゃあその娘は追及しない、と?」

「当然です。本人は自分の両親のことをまったく知らないはずですから」

 紅倉は、それを視て、確認しているのだろう。

 三津木も納得した。

「これで常盤尚美は救われますね」

「番組が無事放送されればね。そのためにあんなに頑張ったんだから」

 今ひとつよく分かってなくて問いたげな芙蓉に紅倉は説明した。

「死体が二つ見つかって、三十年前の犯罪が明るみになった。幽霊はいるんだろうなとみんなが思って、その上であの派手なパフォーマンスがあれば、なるほどつららで男を刺し殺す恐ろしい悪霊なんだなと納得するでしょ? これで尚美さんはかわいそうな被害者決定ね」

 芙蓉もなるほどと納得したが、しかし、先生の場合こういう時にはたいていもう一つ裏があるのだが……

「岳戸さんはその後どうですか?」

 岳戸由宇はあれから病院に運ばれて二十四時間点滴を受けた。退院はしたようだが……

「さすがにまいったようですよ。マンションの自宅で休んでます。でも文句たらたらの割には機嫌はいいようですよ」

「あっそう」

 よほど紅倉の土下座が効いたようだ。紅倉は横を睨んで『イ〜〜』という顔をした。

「せいぜい岳戸さんがかっこよく見えるように上手に編集してください。あの人に恨まれるのはご免ですからあ」

「先生。あの、岳戸さんって……」

「三津木さん、ゆっくりなさってていいんですか?」

 芙蓉の質問をさえぎるように紅倉は言った。三津木もこういうところはわきまえている。

「そうですね。お邪魔しました。それじゃ先生、数字、期待しててください」

「期待しているのはあなたでしょ?」

「そりゃごもっとも。またよろしくお願いします」

「はいはい」



 芙蓉は三津木を玄関まで送っていった。車庫の開閉はここのタッチパネルでモニターを見ながらできる。

 収録から三日後、二月はじめの月曜夜のことだ。

 芙蓉が帰ってくると広い応接室の大きなソファーに小さくお行儀よく座っている紅倉は、なんともか細く、小さく見えた。

「畔田先生のねぎらいのお品、いただきます?」

「そうね。いただきましょうか」

 芙蓉はてきぱきと準備して戻る。ふと思い付いて言う。

「こんな広い部屋は無駄ですね。リビングに行きません?」

「うん」

 立ち上がった紅倉はテーブルの角に脚をぶつけてこけた。

「先生! 気をつけてください!」

「は〜い」

 子どものように言って起き上がった。芙蓉がお盆をテーブルに置こうとするのをいいからいいからと手で制して。

 この広い屋敷にはリビングが六つもある。もちろんダイニングは別に。これで平屋なのだ。芙蓉は呆れてしまう。ほとんどの部屋は使われていない。六つあるリビングのうち一番小さな部屋に入った。元々の主が趣味で作らせた音楽を聴くためだけの部屋で、重厚なステレオセットとクラシックのLPレコードのコレクションが揃っている。レコードはほとんどが一度も聴かれたことがないだろう。せっかくのお宝が気の毒なので、最近、夕食後に二人で聴くようになった。

「何を聴きます?」

「シューマン」

 芙蓉は紅倉のお気に入りの「ピアノ五重奏曲」のレコードをプレイヤーにかけた。

「乾杯」

 畔田から送られてきた紅倉の唯一飲めるアルコール、ぬるま湯で薄めた梅酒を飲んだ。芙蓉もまだ未成年だがご相伴しょうばんにあずかった。

「見せてください」

 先ほどテーブルにぶつけた右の脚を自分の膝の上に投げ出させた。先生には厚手のパンツの下に更に厚手のタイツをはかせている。それをめくり上げると、

「あーあ、やっぱり」

 ぶつけたすねが青黒くなっている。

「本当に気をつけてくださいね」

 脚に厚着をさせているのは先生が寒がりなばかりではない。こうしてどこかにぶつけてケガをしても、感覚が非常に鈍いのだ。食べ物だって、味の濃い物や辛い物はすぐに口が腫れるし、お腹を壊す。熱い物も冷たい物もダメだ。

 いったい何を楽しみに生きているのだろう……と芙蓉は悲しくなったものだ。

 芙蓉はあざを優しく撫でた。

「あたたかい」

 紅倉は気持ちよさそうに目を閉じた。芙蓉の手には傷を癒す力があるそうだ。芙蓉が唯一胸を張れる能力だ。先生の役に立てるから。

「お礼の電話をかけたら畔田先生褒めてらっしゃいましたよ、岳戸先生を利用するとは恐れ入ったと。どうしても気になって三津木さんに頼んで収録テープを見せてもらったそうです。収録時間中は神棚に手を合わせていたそうですよ。きっと何時間もずっとですよ」

「先生らしいわね。ありがたい人だわ。

 美貴ちゃん、聞きたい?いろいろ」

「はい」

「うん。…………


 そもそも山崎さんの死だったのよね、事件は。

 彼を殺したのは尚美さんよ。

 最初から明らかなように」

「先生はそれを、隠した」

「大嘘をついて、大芝居を打って、ね。

 だってかわいそうじゃない、あの状況で尚美さんはいかなる非難も受けるべきではないわ。仕方なかったのよ、彼を殺してしまったのは」

「山崎さんに襲われて、ですか……。でもどうして犯人が雪男なんです? そのままつらら女の仕業にしちゃえばすっきりするのに?」

「それは彼の母親を納得させるため。息子はもう敵の女の虜になってバケモノになり果ててしまったと。あの山から引き離せるのはあの女か息子かどちらか一方しか無理だったから。さすがにわたしも山の霊力そのものと戦争する力はないわ。山の霊力にしてもいい加減あの女にはうんざりしていたようだし、引き離しやすかったのよ。


 その息子だけど。

 もう一度彼の死を考えてみましょうか。

 死の状況が山のつらら女に用意されたものだというのはわたしも岳戸さんに同感。

 でも彼自身にも「死んじまえ」という気はあったのね。もちろん本気でじゃないけれど。若いときにはそういう気分ってあるでしょ? 彼は中学卒業後地元の農協に就職が決まっていたそうだけど、それは彼の本意ではなかったでしょう。本当は彼だって高校に進学して、遊んで、恋をしたかった。もちろん進学せずに就職するのだって悪いことじゃないわ。そういう人生を選択して充実した毎日を送っている人だっているでしょう。けれど彼は違った。家の経済的理由で進学を断念しただけ。

 ねえ、想像してみて?

 いかに雪が降り積もっていて安全とはいえ、後ろ向きに屋根から落下するなんて、すごく怖いんじゃない?

 遊びとはいえ「死んじまえ」とダイブした彼の心は擬似的ではあるけれど自殺者のそれだった。

 もっと遊びたかった。恋したかった。女の子とエッチもしたかった。どうせオレの人生お先真っ暗だ。

 とまあ、センチメンタルな気分にひたっていたことでしょうね。

 それが思いがけずグサッと、本当に死んでしまった。

 青空を瞳に映しながら、彼には自分が死ぬということがまったく信じられなかったでしょうね。そうした気分もしょせんぜんぶ遊びだったんですから。

 死んでしまった彼の気持ちは、「なんだよ、冗談じゃねえぞ!?」ってところでしょうね。

 だから簡単につらら女の誘いに乗った。

 自分を死に至らしめた相手だったけれど、彼女は、女で、自分の欲求を満たしてくれるから。

 幽霊は成長なんかしないわ。変質するだけでね。基本的に死んだときの精神がそのまま何十年何百年と持続するわ。

 今も、彼は中学三年生のままよ。

 その年頃の女性観ってどんなものかしら?

 まさかロリコンはないわよね? 同級生の女の子なんてみんなやかましいだけのガキに見えるでしょうね。異性への憧れは自ずと年上のお姉さんに向かうでしょうね。

 ところがこれが微妙なところで、つっぱったってしょせん中学生の子どもだし、自分自身性的にはぜんぜん未発達、性的な欲求ももやもやがあるだけで精神的に明確な形はなさない。

 ま、要するに、マザコンね。母性的なものをより強く求めてしまうのね。特に彼の場合小学三年生の時に母親が失踪しているわけだから、愛憎相半あいなかばでしょうね。

 つらら女は彼のそうした精神性に上手く付け入って取り込み、基本的に彼の精神性はずっとそのままだったわけよ。


 で、三十年後の現在。

 四人が遭難した吹雪は、最近顕著な異常気象のせいでしょうね。

 山崎さんと尚美さんの二人だけが山小屋に避難したのも偶然。

 二人が吹雪に閉じ込められて取った行動、それが、中学三年生の男の子を強く刺激したんでしょうね。

 彼は、山崎さんに取り憑き、自分が尚美さんの恋人になり、なおかつ、尚美さんの胎内に入り込み、尚美さんの母性に守られてあの山を脱出しようとしたのよ。

 でも彼は初めての生身の女性相手の行為にすっかり舞いがってしまって、興奮しすぎて、焦って、上手く出来なくて、すっかり頭に来て、尚美さんを暴力的に従わせようとしたのよ。だから尚美さんはすっかり様子のおかしくなってしまった山崎さんに恐怖し、逃げ出したのよ。そして激昂して追ってきた山崎さんをつららで刺し貫いてしまった。

 ……うーん…………

 でもやっぱりつらら女が尚美さんに山崎さんを殺させたのね。自分から逃げ出そうとした罰に。つらら女はドアを開けて飛び出した尚美さんが目の前に現れたつららに驚いて顔をかばって腕を出す、ちょうどその位置に大きなつららを作っておいたんでしょうね。尚美さんは思いがけず手にしてしまった凶器を自分を捕まえようと迫る山崎さんに防御のつもりで突き出した。しかし見事な位置と角度で、それは山崎さんの胸を貫いてしまった。信じられない思いの尚美さんはとにかく防寒着だけ取りに戻り、そのまま外へ逃げ出した。そしてつらら女は、山崎さんの胸を貫いたつららに、裏切った彼の魂を封じ込めたんだわ」

 それで週刊誌に載った写真でつらら女はじっと山崎の倒れていた場所を見ていたのか。逃げだそうとしたペットに「どうだ、思い知ったか!」とお灸を据えて。

「遭難事故の事件はこれでお終い」

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