第8話 決戦・妖怪VS最強怨霊
岳戸は腰を浮かし逃げようとした。膝がガクガク震えて立てなかった。脂汗を流してモニターを見つめる。
目玉が、無限の巨大さで、岳戸に迫り、
「し、死体袋めえええっっっ!!!!」
飲み込んだ。
「う・おおお・おお・おおおおお」
岳戸は胸を天に張り出すようにピョコンと立ち上がり、そのままブルブルと痙攣した。上を向いた顔は、完全に白目を剥いている。
「うおおおお・・お」
ピタリと痙攣が収まるとその顔がゆっくり綿引を見て、ニタアと笑った。黒目が空洞のように真っ黒で、白目が濃い灰色に汚れている。
「くっくっくっくっく。見いーつけたあ~~」
歌うように言って岳戸は紅倉の前に立つつらら女を見ている。
ではやはり、彼女、幽霊女優綿引響子が、つらら女の遺児!?
綿引は立ち尽くし、立ちながら半ば失神していた。
岳戸の周囲の空気が黒く揺らめき、歪んだ。その顔は長年の怨敵に復讐できる喜びに笑み崩れている。
綿引は膝がガクガク震え、失禁しそうだった。頭の中を様々な思いが乱れ飛ぶ。彼女は本当はホラーなんて大っ嫌いだった。本当はこんな仕事したくなかった。女優になりたいなんて思うんじゃなかった、と後悔の涙が頬を流れた。
『お父さん、お母さん、わたし二人の本当の娘じゃなかったの?』
父、母と思っていたのは、その実母方の祖父と祖母だったのか?
『そんな嘘だよね? ね?……』
ひどいわよ、と紅倉を恨んだ。ねえ、助けてよ!先生!
紅倉は酷薄に笑みを浮かべている。
バン! と、モニターに今度は山小屋の写真が映し出された。繰り返し何度も見た写真だが、今はことさら凍えそうな寒さを感じる。紅倉が言う。
「ほら、つらら女。あなたの娘が大っ嫌いなあの女に殺されちゃうわよ~」
写真は無言で冷たい風景を見せている。
岳戸はニヤリと笑った。
「見てろ」
右手を掲げ、グッと握る。
「うう……」
綿引は苦しそうに喉を押さえた。膝をつき、片手で喉を押さえ、片手で助けを求めた。苦しそうにあえぐが声にならない。
代わりに紅倉が言ってやった。
「ああ、死んじゃう」
綿引は開いた口をわななかせ、眉を苦悶に歪めた。
紅倉は高みから安っぽいお芝居でも眺めるように見ている。
芙蓉は紅倉の真意を推し量るようにその横顔を見つめた。サディスティックに人の苦しみを愉しむなど、およそ先生らしくない。何を狙っているのだろう?
ハハハハハと岳戸の高笑いが響いた。綿引は仰向けになり、喉に手を当て、全身をガクガク痙攣させている。
まだか。
紅倉は冷たい顔で山を映すモニターに向かいさげすむように言った。
「バケモノ」
床に転がりながら綿引は涙を流して言った。
「助けて……お母さん………」
ビシッとガラスにひびが入るような音がして、モニターが白くなった。いや、モニターの表面に、氷が張り、霜が湧いた。
まるで写真の中の雪山から吹雪いてきたようだ。
岳戸がギラリと睨んだ。
「来たか」
モニターを挟んで向かい合い、嘲笑う。
「フン、どうせおまえはそこから動けないんだろう? おまえも悔しさにのたうち回りながら娘の死にいく姿を見るがいい!」
モニターを横目に見ながら綿引に向き直り、歩き出す。両手を何かを掴むようにして、そこから何か、力を、発した。綿引はますます苦しんだ。人の目には見えない。しかし真っ赤に瞳を濡らした紅倉は恍惚的な笑みさえ浮かべて見入っている。幽霊女優の面目躍如で黒髪をおどろに散らして床に横たわる綿引響子は、つー、と涙を流した。
「ああ、もう、死ぬ……」
ガン!カンカンカン・・ガララララララ・・
激しい金属音に皆ビクッとして何かと見れば、綿引が登場したときに焚かれたドライアイスの黒いガスボンベがセットの裾から中央に転がり出てきた。
ホースが踊り、ノズルがピタリと岳戸を向いて止まった。
いぶかしげにそれを見ていた岳戸の顔に驚愕が走った。
モニター全面からブワッと白いガスが大量に噴き出した。それはガスボンベに達すると、「ボンッ」と物凄い破裂音を響かせてボンベの口からホースが吹っ飛び、ビシビシビシッと氷の槍が飛び出した。それはあっと言う間に三メートルの長さに伸び、岳戸の胸目がけて突き刺さろうとした。
「うわあああああああっっっ!!!!」
岳戸が恐怖の悲鳴を叫び、紅倉は、
魔女のように笑った。
バキンッ、と氷の槍は砕け散り、ガスとなって散った。
そのガスの中で、岳戸はゆらりと揺れた。うなだれた顔が上を向くと、表情が一変していた。最大級の怒りが、能面のごときマスクの下に張りつめている。瞳は静かで、澄んでいる。
「おのれら、ようもわらわでいいように遊んでくれたな」
大時代的な言葉で、低く、静かに言った。
ピリピリ怒りの波動を発する瞳が宙を見ると、そこに二つの赤い光の玉がまだ争うようにぶつかり合い、弾き飛ばし合っていた。岳戸の怒りが爆発した。
「やめおりょう!」
怒気が、スタジオ中にビリビリ充満した。子どものように相争っていた二つの赤い光の玉は、まるで気をつけをするようにピタッと静止していた。
芙蓉はそっと自分の手を握る物にハッとなった。紅倉の手だった。じっとりと汗ばんでいる。見れば紅倉の顔には先ほどまでのサディスティックなお茶らけた表情は微塵もなく、蒼白に緊張していた。
「美貴ちゃん」
紅倉は囁くような小声で言った。……震えている?
「美貴ちゃん……、美貴ちゃん………」
芙蓉はうなずくようにぎゅうっと紅倉の手を握り返した。先生はわたしが守る!
岳戸が紅倉を見た。
「きさまか。このふざけたお芝居を書いたのは?」
紅倉は椅子から立ち上がり、頭を下げた。
「失礼いたしました。わたしの手には余るもので姫様のお力をお借りしました。退屈しのぎに……なりませんでした?」
岳戸は笑った。非常に美しく、怖く。
「ふざけたことを。死ぬか?」
「それはご勘弁を。と言いながら姫様、ちゃっかり家来を増やしておいでではありませんか。駄目ですよ、他の者たちは解放して、成仏させてあげてくださいな。その代わり、あちらの二人はいかようにも姫様のお好きになさってください」
「フン」
岳戸は宙の玉を見た。玉は、震え上がった。
「ま、よかろう」
岳戸の体から三十ほどの光の玉が放たれ、天井向かって登っていった。紅倉が呆れて言った。
「貯めも貯めたり三十年分。皆さん、もう悪い怨霊に利用されず、まっすぐ成仏するんですよー」
殺され森に埋められた女が、山のつらら女に対抗するために取り込んだ亡者の魂たちだ。光の玉たちは逃げるように天井に消えていった。
「さて」
岳戸が残忍に微笑んで残る二つの赤い玉を見た。
「消されたいか? それともわらわの家臣となってこの世の末までわらわに仕えるか?」
二つの玉は、家来になることを選んだ。ス、と岳戸の掲げた左の手のひらに吸い込まれた。
「さて」
今度は紅倉に言った。
「わらわを表に引っぱり出して、これで済むと思うか?」
芙蓉が前に出ようとするのを紅倉は止め、自分が前に一歩出た。
「これで、どうぞお許しください」
紅倉は床に膝をつくと、両手を揃えて前につき、深々と頭を下げ、床に額をこすりつけた。芙蓉も慌てて横に倣った。
見下す岳戸は。
「つまらん真似で小馬鹿にしおって、………小馬鹿に……………」
岳戸の能面のようにスッと綺麗だった顔が、見る見る安っぽい笑顔になった。
「あは、アハハハハハハ! 土下座してる! 紅倉美姫があたしに土下座してる! アハハハハ、アハハハハ、アーハハハハハハア・・」
笑いすぎて、腹を抱え、岳戸は後ろにのけ反って、倒れた。床に仰向けになり、ピクピク痙攣した。それでも顔は笑ったままだった。
「さて、と」
立ち上がろうとして、紅倉は「う~~……」とうめいた。
「美貴ちゃん、立たせて」
「はいはい。世話のかかる先生ですね」
手を引きながら、芙蓉は自分もすっかり体が強ばっていることに気がついた。実に恐ろしい体験をしたものだ。
「あのーー……」
と、いつの間にやらこそこそ隅に隠れていた幽霊女優綿引響子が言った。
「嘘ですよね? わたしがあのつらら女の娘だったなんて?」
そんな訳がないのだ。病院のベッドで笑顔の母親に抱かれる赤ん坊の自分の写真がちゃーんと残っているのだから。
紅倉は手を合わせて謝った。
「ごめんなさい! どうしても娘の役が必要だったの! まさか本当の娘を捜し出してここに連れてくるわけにはいかないでしょう? ね?この通り! 許してちょうだい!」
紅倉に拝まれて綿引は笑った。
「この借りは高く付きますよ」
不思議と、あれほど苦しいと思い込んでいたのが、思い返してみればまったく苦しみがない。自分で演技をしていたとしか思えない。名画の大女優になった気分だが、これもきっと、この先生の仕業なのだろう。
三津木はブースで考え込んでいた。
とんでもなく面白かったが、
この収録は、放送できるのだろうか? と。
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