最終話。腐乱の雛鳥
数ヶ月後。
青い空の下。涼しい風が吹き抜ける。
「だーれだ」
バス停で待っていると後ろから抱きつかれた。
「暑苦しいよ。
「正解」
僕の前に御伽が回り込んでくる。
「ついてこないって言ってたよね?」
「暇だったから」
「いや、でも……」
今度は御伽の後ろから誰かの手が伸びてくる。その腕は御伽の首を絞め、そのまま押さえつけていた。
「マキ。やりすぎ」
御伽は嫌なそうな顔をするだけだった。すぐに御伽の後ろにいたマキが姿を見せる。マキが不機嫌そうに見えるのは御伽がいるせいだとわかっている。
「あら、ごめんなさい。不審者かと思ったわ」
「いきなり人に襲いかかる人間の方が危険」
「私には弟を守る義務があるのよ」
とりあえず、来たバスに三人で乗り込む。適当なイスに座ろうとしたら、マキと御伽に引っ張られて一番後ろの席まで連れて行かれた。
僕は真ん中に座らされて、左右に御伽とマキが座った。すぐに御伽が僕の腕を掴んで自分の方に寄せてくる。
「ちょっと、アナタどういうつもり?」
「そっちこそ。
今の僕には二人の姉がいる。
「ねぇ。二人とも。静かにしてよ……」
血の繋がらない姉、御伽。
血の繋がった姉、マキ。
今は僕にとって両方とも大切な姉だけど。最近の悩みは、二人が全然仲良くしてくれないことだった。元々、逆の立場だったということもあり、ややこしいことになっている。
「血の繋がらない男の子をたぶらかして、いったいどうするつもりかしら」
「私は姉として、結莉を守りたいだけ」
「姉は私よ。アナタは他人」
御伽は僕と血の繋がっていないことを残念に思っており、マキは血が繋がっていることを最大限活かそうとしている。
「だったら、結莉と結婚すれば他人じゃなくなる」
「その時は私のことをお姉ちゃん。って呼ぶことになるけどいいのかしら?」
「構わないよ。わんこお姉ちゃん」
ずっと、二人はこんな感じだった。
御伽は完全とは言えないけど、母親から与えられた責任から解放された。御伽は今回の件について真実を知り、母親のやったことについては飽きれていた。
マキは以前と何も変わらない。元々、マキは竜胆さんが狂人であることを知っており、自身が呑み込まれない意志の強さを初めから持っていた。
「待って。わんこって何?」
今になって二人の会話が気になった。
「何って、この人の名前だけど」
御伽の視線は確かにマキに向けられている。
「あら、結莉。私の名前わからないの?」
マキが僕の耳元に顔を近づけた。
「私の名前は
「犬槙……」
「そう。だけど、その名前で呼ばせる相手は私の嫌いな相手だけ」
初めて知った、マキの名前。
だけど、二度と口にすることはないのだろう。
僕の結莉という名前は竜胆さんに拾われた日に与えられたと思っていた。でも、僕が竜胆さんに名前を与えられたのは、ずっと昔のことだった。
そう。この名前が本当の名前。
しばらく、三人で話をしているとバスが止まった。そこは、目的地の病院の前だった。三人でバスを降りて、僕はマキの顔を見た。
「結莉。私は御伽と一緒にその辺にいるわ」
「喧嘩しないでよ?」
「平気よ。私達は結莉の期待は裏切らないわ」
御伽とマキが僕の手をそれぞれ握ってくる。
「なに?」
二人とも不安そうな顔をしている。
「大丈夫だよ。もう、僕は平気」
最後に一度だけ、二人が僕の頭を撫でる。別れを惜しむというよりも、本当に僕のことを心配しているのだろう。
でも、大丈夫。僕は御伽とマキの弟だ。これから先の未来、二人と別々の道を選んだりはしない。
「行ってくるよ」
僕には最後に一つだけ、やることが残っていた。
病院の中。僕は迷うことなく、一つの病室の前で立ち止まった。扉を開けて、足を踏み入れる。ゆっくりと、歩き、そして、僕は少しだけ目を逸らす。
ベッドの上で窓の向こうを見ている人物。
「
名前を呼ぶと、竜胆さんが笑顔を向けてくる。
「結莉くん。久しぶりですね」
「元気そうで、よかったです」
「結莉くんを見てると古傷が痛みます」
わざとらしく竜胆さんがお腹を触っている。
「刺したこと、まだ根に持ってるんですか?」
「いいえ。代償と思えば安いものですから」
僕が竜胆さんを刺した後、
それに、竜胆さんは刺された後も僕の保護を続けてくれている。元々、母親である以上、当然なのかもしれないが、いまいち竜胆さんが何を考えているかわからない。
「結莉くん。二人とは、仲良くやれてますか?」
「竜胆さんとよりは」
結局、御伽は父親のところには行かず、竜胆さんの家で暮らすことになった。つまり、僕とマキもいる家に三人で仲良くやっていた。
「ああ、早く帰りたいですね」
「まだ入院は長引くんですか?」
「いいえ。もうすぐ帰れますよ」
あの日、竜胆さんが一命を取り留め、意識が戻った時。僕は竜胆さんと約束をした。もう二度と自分の悪趣味に僕やマキ、それに御伽を巻き込まないという約束だった。
すべてが元通りというわけにはいかないけど。竜胆さんのおかげで、二人と別れずに済んでいる。もしも、竜胆さんが余計なことをすれば、今度こそマキが何をするかわからない。
「竜胆さん。夏芽はどうしたんですか?」
あの日以来、夏芽の姿を見ていない。
「さあ。知りませんよ」
「嘘を言うのはやめてください」
「あらあら、結莉くんを騙せなくなったのは残念ですね」
今の僕は竜胆さんの嘘が見抜ける。
「あの人なら、今は行方不明です」
「行方不明?」
「夏芽は律香ちゃんの頭を持ったまま行方をくらませました」
「……竜胆さんは行き先を知ってるんですか?」
夏芽が竜胆さんに何も言わずにいなくなるわけがない。
「既に夏芽は街からは出て行ってますよ。もう二度と帰ってくることもないでしょう」
「なら、マキは安全ということですか?」
もし、夏芽に心残りがあるとすればマキのことだ。
「夏芽はあの子を愛していない。自分の過ちによって、生まれてしまっただけの子供。親としての責任以外に夏芽があの子にこだわる理由はありませんよ」
「……じゃあ、竜胆さんと夏芽はどうなんですか?」
最後に一つだけ疑問が残った。
「夏芽が律香を愛していたというのなら、夏芽にとって竜胆さんの存在は何だって言うんですか?」
竜胆さんが自らの胸の辺りに手を当てる。
「この肉体がすべてです」
「どういうことですか……?」
「夏芽は律香ちゃんの頭だけを盗み出した。それは律香ちゃんの魂を抜き出す為に必要なこと。なら、器に私を選んだ理由はなんだと思いますか?」
もし、儀式が本当に成功していたとしたら、律香の魂が入った竜胆さんが完成する。バカバカしい話だけど、もしかしたら、夏芽にとってはそれこそが本来の計画だったとしたら。
「夏芽が求めたのは……竜胆さんの体ですか?」
「正解ですよ。確かに夏芽は律香ちゃんを愛していました。しかし、同時に夏芽は私の肉体だけを欲していた」
愛と欲望。その二つが夏芽は分裂していたのか。
そして、夏芽が行った最後の儀式は、二つを一つにしようとした。律香の精神と竜胆さんの肉体。夏芽にとって、理想的な存在を作り上げようとした。
「くだらないですね」
僕は竜胆さんに言葉を吐き捨てた。
「結莉くんもいずれわかりますよ。大切なモノを失った時、例えどんな方法だったとしても、わずかでも可能性があるのなら、それにすがりたくなる気持ちが」
竜胆さんの言ってることは正しいのかもしれない。夏芽も本気で、律香を取り戻そうとしていた。なのに全部くだらない茶番に感じるのは、中心にいるはずの竜胆さんが何も感じていないからだ。
「竜胆さんはマキが死んだら、儀式をしますか?」
試すように口にした言葉。どんな答えでも今さら気にしたりはしないけど。僕は竜胆の真意を確かめたかった。
「ふふ。やらないわよ」
竜胆さんの無邪気な声が虚しく聞こえた。
結局、夏芽や律香のやったことが無駄だと竜胆さんは理解している。無駄でくだらなくて、バカバカしいから、笑えてしまうのだろう。
「まあ、そうですよね」
僕は近くの椅子に腰を下ろした。
何気なく、僕は近くにあった棚に目を向けた。そこには不気味なクマのぬいぐるみが置かれている。縫ったような跡と血のような汚れが、目立つぬいぐるみだった。
「なんですか、これ」
「それは親戚の子から、お祝いに貰った物ですよ」
お祝い。
そうだ。竜胆さんは祝われる立場の人間だった。
ずっと僕が目を背けていた存在。
竜胆さんのすぐ近くにソレはいる。
「よく寝てますね」
そこには静かに眠る、赤ん坊の姿があった。
「抱っこしてみますか?」
「僕には無理ですよ」
竜胆さんは体を起こして、赤ん坊を抱き上げた。
「結莉くん」
「……」
僕とマキにとって弟になる存在。竜胆さんの怪我が影響を与えると思っていたけど、子供は無事に生まれてきた。
「抱っこしてあげてください」
渡された赤ん坊を抱っこした時、僕は何も感じなかった。少しは感動するかと思ったけれど、所詮は人間が一人生まれただけ。そこに奇跡が含まれていたとしても、僕には実感は出来ない。
これから、僕とマキ。竜胆さんと御伽、そして、この赤ん坊の五人で暮らす。そんな何気ない日々が始まるはずだ。
僕の視線は赤ん坊から竜胆さんに向けられる。
「……っ」
竜胆さんは笑っている。
僕が竜胆さんのすべてを知っているからこそ、その笑顔に隠された何かを感じ取った。
寒気を感じた僕は、赤ん坊を竜胆さんに突き返した。気持ちの悪い感覚が、喉を詰まらせていくようだ。
だけど、マキと御伽を守る為に僕は真実を知りたいと感じていた。強い拒絶を味わいながらも、僕は口にする言葉を決めていた。
「……竜胆さん。その子、誰の子供ですか?」
「夏芽」
やっぱりそうなのか。
「あの、竜胆さん」
「どうしました?」
僕の直感が真実を告げている。
今だからこそ、わかる。竜胆さんの言葉。
「今、嘘つきました?」
竜胆さんの顔から笑顔が消えてしまう。
ああ、今の僕になら分かる。竜胆さんが僕に向けている感情は怒りのようなものだ。自分の思い通りにならない現実を受け入れられない。
まるで、わがままな子供のようだ。
「結莉くん。それはつまらないですよ」
他人の不安を煽るような、その酷く冷たい声は耳に残る。僕は何とか平常心を保つことが出来ていたけど、竜胆さんに抱かれている赤ん坊は泣き声をあげた。
「竜胆さん。僕は何も聞かなかったことにします」
「その為なら、結莉くんは見捨てられますか?」
僕に責任なんて存在しない。
「はい。僕には関係ないですから」
僕は竜胆さんから離れ、部屋の扉に向かう。響いてくる赤ん坊の声から逃げるように。僕は竜胆さんに背を向けた。
「結莉くん。愛してますよ」
最後に聞こえた竜胆さんの言葉。
それは竜胆さんの本心だったのだろう。
「僕は竜胆さんのこと、大嫌いです」
僕と竜胆さん。
二人で始めた、この物語は終わりを告げる。
だけど、忘れてはいけない。
新しい犠牲者は、卵から孵ったばかりだと。
背徳症状-腐乱の雛鳥- アトナナクマ @77km
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