第19話。二人の雛鳥

 部屋の中に足を踏み入れた時、その違和感に気づいた。明るい部屋の真ん中に置かれている椅子と大きな箱。壁や地面に貼られている黒く塗られた写真。


 そして、椅子の上で膝を抱えて座っている竜胆りんどうさんがいた。


結莉ゆうりくん。遅いですよ」


 手足は縛られてすらいない。部屋の扉にも鍵かかっておらず、とても監禁されているとは思えなかった。


「僕を待っていたんですか?」


 竜胆さんが不気味な笑顔を見せる。


「ふふ。ずっと待ってましたよ」


「竜胆さん。教えてください」


 僕は竜胆さんに近づいた。


律香りっかとは知り合いだったんですか?」


 もし、竜胆さんと律香が知り合いだとしたら。


 僕と竜胆さんの出逢いは、偶然じゃなかった。


「律香ちゃんとは、大学のサークルで知り合いました」


 僕は勘違いをしていた。律香が儀式を知っていたのは夏芽なつめから聞いたからじゃなくて、律香も同じサークルにいたからだ。


 つまり、竜胆さんと律香には関係があった。


「じゃあ、律香が死んだことも知ってるんですか?」


「そうですね、結莉くんに出会ったあの日。私は亡くなった律香ちゃんに別れの挨拶をしました。その帰りに偶然、結莉くんを見つけたんですよ」


 もう竜胆さんの何を信じればいいかわからなかった。どこまでが偶然なのか。実は、すべて知っていたのではないかと、僕は疑心暗鬼になる。


「……竜胆さん」


 僕は部屋に入った時から気になっていた。


「その足元の箱。何が入っているんですか?」


「さあ。なんでしょう」


 それは死んだ人間の魂を閉じ込めた箱。


「この部屋……竜胆さんがやったんですか?」


「いいえ。夏芽が勝手にやったことですよ」


 ここで夏芽が儀式を行おうとしていた。夏芽は竜胆さんを生贄にして、いったい何を生き返らせそうとしていたのか。


 僕は竜胆さんに注意しながら、箱に近づいた。


「竜胆さん。開けてもいいですか?」


「構いませんよ」


 箱を椅子から離して、蓋を握った。


 もし、夏芽が真実を偽ったのなら。この中に答えが詰まっているはずだ。まだ僕と御伽が知るべきことが残っている。


「うっ……」


 蓋を開けた瞬間、強烈な吐き気に襲われた。


 それは御伽の家にあった箱を開けた時とは比べものにならない。嗅いだことのない臭いと、無数に這い回る蛆虫に顔を背けてしまった。


「あらあら。結莉くん」


 竜胆さんが背中をさすってくれる。だけど、胃の中が空っぽだったおかげで、みっともなく吐くことはなかった。


「な、なんなんですか……それは……」


「うーん。生肉でしょうか」


 どうやら、竜胆さんも中身を知らないらしい。


 だけど、中身は生肉なんかじゃない。人の髪の毛のようなモノが見えた。つまりは、あの箱に入っているのは、人間の頭部だった。


「誰の頭が入って……」


「そうだ。結莉くんに言い忘れてました」


「何を……」


「あの子には、会えましたか?」


 僕は血の気が引くような感覚を味わった。


 そんなはずはないと、頭の中で言葉が繰り返される。だって、連絡してから、そんなに時間は経ってないのに。こんな場所にマキがいるわけがない。


「竜胆さん。冗談はやめてください」


 竜胆さんの笑顔が少しだけ歪んだ。


「結莉くんは賢い子ですね」


 わざとらしく竜胆さんが僕の頭を撫でてくる。


 もっと冷静にならないといけない。竜胆さんのペースに巻き込まれたら、正しい答えも出せなくなってしまう。


 もう一度、箱の中身を確認すると、それが人間の頭部であることは間違いない。それに少し水っぽいのは元々、凍らされていたからだろうか。


「まさか……律香の頭?」


 竜胆さんの顔を確認する。


「律香ちゃんにお別れをした日、騒がしかったですよ。死んでしまった律香ちゃんの頭が盗まれた。なんてことがありましたから」


 その事実を竜胆さんは隠した。いや、言わなかっただけだろうか。僕が正しい質問を口にすれば竜胆さんは優しく答えてくれる。


「律香の頭を盗んだのは夏芽さんですよね……」


 夏芽は律香を生き返らせようとしていた。律香のことを嫌っているような口ぶりだったのに、死んだら生き返らせるなんて何を考えているのか。


「ふふ。律香ちゃんをね」


「律香と夏芽は仲が悪かったんですか?」


「その逆ですよ。律香ちゃんと夏芽はお互いに愛してあっていましたから」


 そんなはずはない。夏芽は竜胆さんを尊敬してサークルに入り、最終的に竜胆さんと付き合い始めたのだから。


「でも、夏芽は竜胆さんと……」


「夏芽と律香ちゃんを引き離したのは私ですよ」


「竜胆さんが引き離した……?」


「夏芽は昔から酒癖が悪かったですからね。記憶が無くなるまで飲んで、その結果。私を襲ったんですよ」


 軽々しく口にしているけど、夏芽が竜胆さんを襲ったという話。そんなことがあったなんて、想像も出来なかった。


「夏芽は責任を感じて、律香ちゃんとの関係を終わらせました。その後、私と夏芽は交際を始めました」


 夏芽と竜胆さんが上手くいかなかった理由がよくわかった。それに夏芽が律香と浮気をしたのも、律香のことを愛していたからか。


「じゃあ、夏芽さんはずっと律香を愛していたから。儀式を行って、生き返らせようとした……?」


 儀式を信じないという口ぶりだったのに、夏芽は竜胆さんを生贄にして律香を蘇らせようとしていた。


 ただ、それは夏芽が律香の子供を殺した罪滅ぼしだった可能性もある。夏芽は竜胆さんを恐れ、一度は愛した人間を傷つけ、産まれてくる命を奪った。


 しかし、夏芽の言っていた竜胆さんの罪。今の話を聞く限り竜胆さんに多くは責任がないように感じた。


「竜胆さんの罪って、いったい……」


 僕はずっと真実を求めることを後回しにしていた。


 まだ、一つだけ疑問が残っていた。


「僕は……誰なんですか?」


 御伽の真実の中に僕はいなかった。僕という人間は何処から現れ、どうして律香に育てられていたのか。


「結莉くん」


 竜胆さんが名前を口にする。


 その名前は竜胆さんが与えてくれた僕の名前だ。


「結と結莉……」


 もし、竜胆さんが律香が子供に付けようとしていた名前を知っていたら。似たような名前にしたのかもしれない。


 だけど、それは。


 初めから、僕の存在を竜胆さんは認識していた。


「竜胆さんは、律香が僕を監禁していたことを知っていたんですか?」


 竜胆さんの不気味な笑顔が恐ろしく感じた。


 僕は竜胆さんから逃げ出そうとして、背中から倒れてしまう。ゆっくりと竜胆さんが近づき、僕の上に体を乗せてきた。


 重くはないはずなのに、床に押し付けられるみたいだ。動いたら、体が削ぎ落ちてしまいそうな感覚を味わう。


「ふふ。結莉くん」


 竜胆さんの顔が目の前に迫ってきた。


 あの不気味な笑顔とは違う。


 この笑顔は。


「大きくなりましたね」


「……っ!」


 ずっと前から僕は気づいていた。


 何故、竜胆さんに触れられると安心するのか。


 何故、竜胆さんを見ると昔を思い出すのか。


 何故、竜胆さんが僕を愛してくれるのか。


「……お母さん?」


 その言葉は、僕が見失っていた真実だった。


「はい。結莉くん」


 竜胆さんが僕の本当の母親だった。


 その事実があるならば。僕は竜胆さんの罪というものを理解した。初めから夏芽は僕に同情していたのかもしれない。


 目の前にいる悪魔に人生を狂わされた人間を。


「……竜胆さん。答えてください」


 竜胆さんに怒りの感情を向けるのは駄目だ。感情をむき出しにすれば、きっとそれは竜胆さんの思い通りなのだから。


 だから、もっと冷静にならなくてはならい。


「どうして、僕は律香の家に居たんですか?」


 竜胆さんが僕の頬に触れてくる。


「律香ちゃんにお願いされたからですよ。死んでしまった子供を生き返らせたいから、アナタの子供が欲しいと言われて。それが、とても、かわいそうで……私は結莉くんを律香ちゃんに──」


 竜胆さんの言葉を遮るように扉の開く音が聞こえた。御伽が来たのかと思ったけど、竜胆さんの顔が一瞬だけ戸惑っているように見えた。


「何をくだらない話をしているのかしら?」


 その声は、何度も聞いたことがある。


「マキ……」


 顔を向けると、扉の前にマキが立っていた。


「結莉くんには悪いことをしました。でも、律香ちゃんと夏芽を引き裂いたことを私なりに責任を感じて……」


「お母さん。だから、くだらない話はやめて」


 竜胆さんの笑顔が少しだけ歪む。


「アナタはどうして邪魔するの?」


「そうやって、結莉のことをもてあそんで、面白がってるのが気に入らないって言ってるのよ!」


 マキが竜胆さんに近づき、服を掴んでいた。


「全部お母さんの計画通りなんでしょ!ただ面白そうだからって理由で結莉をあの女に渡して、結莉が苦しんでいたことも知ってたはずなのに!」


 面白そう。竜胆さんが律香に僕を渡したのは、そんなくだらない感情の為。今、マキが怒鳴り、怒りをむき出しているのは、いったい誰の為なのか。


「ふふ。残念ね。最後に邪魔されちゃった」


 竜胆さんがマキの体を優しく抱きしめようとして、強く突き放されていた。そのまま竜胆さんはマキからふらふらと離れて、元の椅子に座った。


「結莉くん。この子が男性恐怖症って言うのは嘘ですよ」


「え……?」


「この子が嫌いなのは、夏芽のことだけ。昔、酒に酔った夏芽に暴力を受けて以来、この子は夏芽のことを父親として受け入れなくなりました」


 マキの父親が夏芽だった。男性恐怖症のように見えていたマキの行動は夏芽個人に対する拒絶。それを竜胆さんは作り話で嘘をつき、僕を騙していた。


「じゃあ、僕はなんの為に女装なんて……」


「それは、面白そうだったからですよ」


 ああ、つくづく思う。


 竜胆さんはまともじゃないんだと。


「結莉。この人は面白そうだからって理由で自分の子供も手放すような人間よ。母親だなんて思わない方がいいわ」


 マキが僕の前に来た。そのままマキは僕のことを優しく抱きしめてくれる。あの日々と何も変わらないマキが目の前にいた。


「本当に私に弟がいたなんて思わなかったわ」


「僕もマキが本当のお姉ちゃんなんて思わなかった」


「ごめんなさい。気づいてあげられなくて」


「ううん。マキは何も悪くないよ」


 悪いのは、竜胆さんだとわかっている。


「私は抱きしてめてくれないの?」


 軽々しく言葉を口にする竜胆さん。だけど、僕やマキが抱いている不快な感情は簡単には消えはしなかった。


 今回の事は冗談では済ませられない。


 マキは僕から離れ、竜胆さんに近づいた。


「もし、結莉が望むなら、私はお母さんを殺す」


 マキの手に包丁が握られていることに気づいた。


 竜胆さんは、両腕を広げ、僕の選択が何であっても受け入れるようだ。


 あの部屋から出ることの出来なかった時間。もし竜胆さんが僕を息子として育てていたら。僕が長い苦しみを味わうことなんてなかった。


 復讐。そうだ。竜胆さんに復讐する理由を僕は持っている。本当の母親を殺しても許されるだけの代価とは思えないけれど、今なら竜胆さんに罰は与えられる。


「マキ。包丁を離して」


「……っ、結莉。本当にいいの?」


「竜胆さんを殺しても、僕の時間は取り戻せない」


 僕の言葉にマキは逆らわない。


「わかったわ」


 マキは握っていた包丁を地面に置いた。


 そして、マキはまっすぐ竜胆さんの方に向かっていく。一瞬の出来事に僕の言葉が間に合わず、マキは竜胆さんの顔を躊躇なく殴っていた。


「これは私の分よ。お母さん」


「あらあら、随分と優しいのね……」


「腐っても母親よ。殺したくても、殺せないわ」


 もうマキが竜胆さんに手を出すことはない。


 それがわかった瞬間、僕は安心していた。


「竜胆さん。一つ聞いてもいいですか?」


「はい」


「夏芽は、僕の父親ではないんですよね?」


「夏芽は結莉くんの父親ではありませんよ」


 僕の本当の母親は竜胆さんであって、父親は夏芽ではない。だから、夏芽が僕のことに気づけないのは当然のことだった。


「そうですか」


 僕は立ち上がり、竜胆さんに近づいた。


 僕が竜胆さんの子供だと言うなら、母親に抱きついても問題は無いのだろう。僕は竜胆さんの体に向かって、倒れ込むようにして触れた。


 今だけは、母親に甘えてもいいだろうか。


「竜胆さん」


「なんですか?結莉くん……あら……」


 竜胆さんの顔から笑顔が消えた。


 ようやく。醜い笑顔は崩れた。


 地面に滴り落ちる。赤い液体。


 そうだ。


 僕は包丁で竜胆さんの腹を突き刺した。


「ふふ。とても痛い……」


 糸が切れたように、竜胆さんの体は地面に転がった。僕の足に触れる液体が、すべての出来事が現実に起きたことであると証明していた。


 復讐なんて、言うつもりはない。


 ただ、僕は確かめたかったのかもしれない。


 本当の母親なら、少しは僕が躊躇うかと思ったのに。竜胆さんを刺した時、僕は何も感じなかった。虚しさも達成感も得られない。無意味な行動でしかなかった。


「さよなら。竜胆さん」


 僕のことをただ優しく抱きしめてくれるマキの温もり。何もかもが急速に失われ、僕の世界は閉ざされた。

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