第54話 研究所所長・二階堂大地(2)
「今回の原因は十中八九、放射能です。ナチュラリステ原子力発電所は現在人が立ち入ることはできません。ロボットを入れて中の様子を撮影したものがこれです」
画像がナチュラリステ原子力発電所内部の映像に切り替わる。海水が溜まった床に物が散乱し、それを覆いつくすようにびっしりとカビが生えている。まさに数か月前に見たあの悪夢がそこに展開されている。
「ここで採取したカビを培養して遺伝子を調べたところ、大増殖した青カビと同じ配列になっていました。つまりここが出どころなんです。いくら人間が近寄れないように立ち入り制限されていても、カビの胞子は僅かな風でどこまでも飛んで行きます。恐らく誰にも気づかれずにパースの方まで移動していたのでしょう。たまたまオーストラリアは硫黄濃度が低かったために異常増殖はしなかった。ただの青カビと同じだったから誰も気付かなかったのです。そして誰にも気づかれないまま、アフリカ大陸へと渡ってしまった」
ここで梨香がプロジェクタによって映し出された大きなアフリカ東岸の地図へと、人々の視線を誘導する。
「ここをご覧ください。ブーツの形をしたアラビア半島、この
赤いレーザポインタの光がヴィクトリア湖の周りをくるりと一周する。
「タンザニアのアワッサ湖、ケニアのトゥルカナ湖、ボゴリア湖、ナイヴァシャ湖、タンザニアのナトロン湖、バレンジーダ・レフ湖、このまま山地沿いにマラウイ湖北端まで南下、すぐ西にあるタンガニーカ湖に沿ってブルンジ、ルワンダと北上。キブ湖、エドワード湖、アルバート湖、ここまで綺麗に並んでいるのがわかりますね。これがアフリカ大地溝帯です。ここは大地の裂け目、即ちマントルの対流によって地溝帯周辺の地殻を東西に分断している場所なのです。このようなホットプルーム周辺は地下からのマントルの上昇によって大量の硫黄化合物が発生します」
レーザポインタの光を消した梨香は、再びカメラに向き直った。
「オーストラリアでろくに餌もないまま細々と生きながらえて来た青カビは、ここへきてやっとディナーにありついたんです。ケニアの美味しい空気と共にスーツケースに忍び込んだカビの胞子は、そのままアイスランドへ渡った。本来ならそこで終わるはずだったのです。しかしアイスランドという土地が悪かった。大西洋中央海嶺と呼ばれるマントルプルームの真上だったのです。ここもユーラシアプレートと北アメリカプレートがお互い押しのけるように下から競り上がって来るところです。まして彼らが行ったところは、アイスランドの中でも有名な温泉地、黒い溶岩に硫黄の結晶がこびりつくような場所、ブルーラグーン・ホットスプリングスでした」
どこからともなく溜息が聞こえる。恐らく、この会場にいる記者たちだけでなく、ライヴ放送で見ている人たちも同じ気持ちなのだろう。
「ブルーラグーンのスタッフたちは自分たちがカビの胞子をつけたまま帰宅したとは思っていないでしょう。そしてそれぞれの家でカビが発生したとしても、すぐにアルコールなどで死滅させられていたと思います。ですがブルーラグーンに残ったカビたちは、スタッフのいない夜の間に溶岩の隙間に菌糸を伸ばし、勢力を拡大していたのです。ご存知の通り溶岩は多孔質です。菌糸が蔓延る隙間がいくらでもあり、その隙間にはブラシが届かない。彼らにとって最高の繁殖場所がそこにあったのです」
再び彼女がレーザポインタを持ち直し、今度は世界全体の地図が映し出される。
「今度はこちら、太平洋を囲むように山地がぐるっと連なっています。南アメリカのアンデス山脈から北上して北アメリカのロッキー山脈、西に向かってアリューシャン列島、ロシア東部カムチャツカ半島、日本列島、さらに南下してフィリピン、インドネシア、そこから東に戻るようにソロモン、バヌアツ、ニューカレドニアなどメラネシア諸国、ニュージーランド。太平洋を囲んでいるので環太平洋造山帯と呼ばれます。ここも造山帯という名が示す通り、山が作られるところ、つまり硫黄が大量に発生する地域です」
――どうやら今回も自分の出番は無さそうだ――二階堂は苦笑いを噛み殺した。「あたしがしどろもどろになった時のために、ちゃんと横で待機しててね」なんて言っていたのに、まるでそんなそぶりも見せないじゃないか。
「最初にカビが大増殖したのはアイスランド、次がアラスカでした。アラスカはご覧の通り環太平洋造山帯に属しています。運悪く、ブルーラグーンのスタッフの家族に、翌日アラスカへ発った方がいらっしゃいました。それによってアラスカにカビが持ち込まれたと考えられます。ですが、先程も申し上げましたように、犯人捜しのような真似はなさらないでください。もしかしたらあなたがカビの運び屋になっていたかもしれないのですから」
いきなりカメラに向かって人差し指を突き付ける。二階堂なら絶対にしないようなことを彼女は何の躊躇もなくやってのける。そうでもなければあの筧大臣と渡り合う事は出来なかったかもしれない。
「その後はマスコミが運び屋となりました。シアトルからアラスカへと取材に行った記者の方がカビの胞子を意図せずに持ち帰り、そのままアメリカ西海岸に蔓延。あとはあれよあれよという間に環太平洋造山帯の国々にと広がって行きました。ここまでご質問があればどうぞ」
すぐに手が挙がる。
「つまり最初にこのカビが発生することになった犯人はナチュラリステ原子力発電所ということで間違いないでしょうか」
「あんたバカなの?」
記者の質問に梨香が被せた。隣では二階堂が黙って肩をすくめる。
「ちょっ……失礼な」
「失礼なのはどっちよ。あたしはバカ相手に話す気はないの。頭の悪い人と言葉通じない人は帰って下さらない?」
一瞬にして場の空気が凍った。梨香に任せておくと、言うべきことはきっちり言ってくれる代わりに、キレると何を言い出すかわからない。
仲間にしておくには魅力的な存在ではあるが、絶対に敵に回したくはない人の筆頭だ。
二階堂は一つ溜息をつくと、おもむろに立ち上がった。
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