第48話 航空自衛隊硫黄島航空基地・青島三等空曹
青島が恐ろしく快適な固定翼機から降りると、いつもの硫黄島航空基地の見慣れた風景が視界に飛び込んできた。非常に殺風景でいろいろ不便ではあるが、彼はここがなんとなく居心地がいい。
筧が「凄いカビだな」と眉根を寄せる。
「これだけカビが酷いと基地の人間も撤退せざるを得ないな」
「自分たちが撤退したのは一昨日ですが、ここまで酷くはありませんでした」
青島がスマートフォンを取り出し、引き上げる時に撮ったという写真を四人に見せる。
「たったの二日でこれか!」
驚く筧とは対照的に、天野と御手洗は「この島は硫黄の濃度が高いから当然ね」などと納得したように話している。その横では早くも森がヘリに視線を投げている。
「筧さん、すぐにこれに着替えて。スーツダメになっちゃうから。青島さんもこれ着る?」
天野がジャージを筧の方へと差し出す。準備のいいことこの上ない。
「自分はこのままで結構です」
「OK、青島さんはこのままの方が動きやすそうだものね。じゃあヘリに案内してくださる? ウィルス散布機材持って行きましょ。時短時短。筧さん着替えたらヘリの方に来てね、先に行ってるわ」
筧の返事を待たずに天野は御手洗にポリタンクとカートリッジを持たせ、重そうな機材を指して「青島さん、こっちお願い」と笑顔を見せた。こんなキュートな女性に笑顔で頼まれたら誰も断れないだろう。それどころか青島はどう考えても一番力がありそうだ。頼まれずとも自分の役割は心得ている。
「ヘリはこちらです」
青島は早速機材を下ろすと全員を連れてヘリの方へと回った。
「積み込みは御手洗君と青島さんに任せていいかしら。森さんは飛べるかどうかチェックしてくださる?」
「了解」
そこにしっかりジャージを着込んだ筧が走って来る。
「私に手伝えることはありますか?」
「筧さん、このポリタンクに水汲んできて」
「力仕事は自分が行きます。筧大臣には機材のセッティング補佐をお願いしてよろしいですか」
「わかった。御手洗君に聞けばいいんだな」
だんだんチームとして回り始めた。七十間近の老人、現役大臣、科学者二人、若き自衛官。凄い組み合わせだが、任務を遂行するという目的で結ばれた同志だ。
急いで水を汲んで戻って来ると、天野が青島の腕時計に視線を落とした。
「今何時かしら」
「ヒトヨンサンマルです」
「え?」
しまった、これでは通じない。と思ったその時、横から森が「十四時半です」と通訳を入れた。この森という名の老人、初めて会った時から只者ではない感じがしているが、七十前だと言っていたから戦争経験者ではないはずだ。ヘリも動かせるというし、前職は何だったのだろうか。
「じゃあ、十五時半に全部終わらせるつもりで。森さん、操縦できそう?」
「すぐにでも行けます」
「じゃ、お願いします。青島さんと筧さんも頑張ってくださいね!」
「了」
ヘリチームはあっという間にふわりと舞い上がってしまう。十年以上ヘリの操縦をしていないと言ってなかったか?
「さあ青島君、我々も行こう。実は高機動車というやつに乗ってみたかったんだよ」
筧が妙にはしゃいでいる。テレビで見る筧大臣は慇懃無礼を絵に描いたような厭味っぽい男だったような気がするが、実はあれは作られたキャラクターなのかもしれない。
「ではこれで行きましょう」
いかにも筧が喜びそうな、フレームばかりの車に乗り込む。これなら場所によっては車に乗ったまま写真撮影ができるだろう。
「いい車だな、気に入った。くれぐれも君はウィルスを直接浴びないように」
筧が車に乗り込むのを確認すると、急に緊張感が襲ってくる。現役の大臣を乗せて事故など起こしたら大変だ。安全運転で行かねばなるまい。
「青島君、こんなにのんびりしていて十五時半に終わるのか? どうせ我々しかいないんだ、好きなだけ飛ばしていいぞ。そもそも自衛隊の私有地のようなモノだろう?」
「いえ、大臣の身に何かあっては困りますので」
「我々の任務は十五時半までにすべてのポイントの写真を撮って基地に戻り、ヘリ隊の到着を待って機材を回収することだ。その為には基地に戻るのは何時が最適か答えよ」
「ヒトゴーヒトマルです」
「よし、それに必ず間に合わせる。アクセルを踏み込め」
「了解!」
――なんだこの高揚感は。隣にいるのは自衛隊の仲間じゃない、筧大臣だぞ?
路面をうっすらと覆うカビの胞子を高く巻き上げながら車が進んでいく。完全に乾いているのに、胞子の層があるせいで濡れた路面のように簡単に横滑りしてしまう。
幌が風を受けて立てるバサバサという音に、上空を通過していくヘリの音が重なる。まだ散布は始めていないようだ。軽く腕慣らしといったところか。
「森さん上手いね。千葉県のカビ対策チームの代表として来てるんだが、こんな特技があるとはなぁ」
「筧大臣、摺鉢山ポイントです」
「撮って来よう、停めてくれ」
車を停めると、筧が颯爽と降り立った。五十代後半とは思えないほど軽いフットワーク。イタリアブランドのスーツだっただろうか、今はジャージに着替えているものの、そのスーツによく合う革靴を履いたままだ。動きにくいだろうに。
五、六枚写真を撮ると、車のフレームを掴んでさっと乗り込んでくる。心なしか楽しそうに見える。
次のポイントに向かいながら、筧がボソリと言った。
「私は昔、自衛隊に憧れていてね」
――筧大臣が自衛隊に憧れ?
「正義の味方ってやつになりたかったんだよ、困っている人を助ける人に。私の中で正義の味方と言えば、特撮ヒーローなんかじゃなくて自衛隊だった」
青島には初耳だが、筧自身、誰にも話したことがないのではないだろうか。
「だが私の祖父が戦争経験者なものでね。自衛隊に入ることは許して貰えなかったんだ。いくら自衛隊と軍は違うと言っても理解して貰えなかった」
筧大臣の非常にプライベートな話を聞かされているという自覚はあった。これは口外してはならない内容だろう。むしろ自分がこんな話を聞いてしまっていいのか、恐ろしくなってくる。
だが、それと同時に親近感も湧いてくる。自衛隊への憧れ――自分と同じじゃないか。
「青島君は何故自衛隊に?」
「自分が子供の頃、河川の増水で堤防が決壊し、町が湖のようになりました。その際、屋根の上で救助を待っていたところ、陸上自衛隊のヘリが我々を救ってくれました。その日から自衛隊に入って災害救援チームとして働く事が自分の夢になりました」
「だが航空自衛隊に所属したんだな」
「自分は子供だったので、助けてくれたのがヘリだったことから、航空自衛隊だと勝手に勘違いしていました。ですが現在こうして『チーム筧』の一員として災害救助の一端を担う事ができて光栄です」
ふと青島は思い出してポケットから小さな手帳を出した。
「その時の写真です。肌身離さず持ち歩いています。初心を忘れないように」
「へえ。いつ撮ったんだい? 天気がいいようだが」
「災害派遣チームが引き上げる時に、助けてくれた隊員さんが自分を見つけて声をかけてくださったので、父に写真を撮ってもらいました」
筧が助手席で手帳の間に入った写真を感慨深げにじっと眺めていた。こんな悪路を走っていてろくに見えないだろうとは思うが、雰囲気が伝わればそれでいい。
その時、筧が「ん?」と眼鏡を押し上げた。老眼なのだろう。
「森さん?」
「は?」
「この隊員、森さんに似てないか」
青島は思わずブレーキをかけた。そんなバカなことがあるものか。あれほど会いたいと思っていたあの時の恩人が森さんだと?
筧が差し出したその写真をよく見ると、確かにどことなく似ている。
「ずっと気になっていたんですが、森さん、自衛隊員だったんですか?」
「いや、私も知らんが」
二人の覗き込む写真がすっと影に入り、またすぐに陽が射した。上空を森の操縦するヘリが横切ったのだ。
「そういえば森さん、ヒトヨンサンマルですぐに通じました。確かヘリのパイロットがいないことに気づいた時も、自分と同じタイミングで森さんが気付いていました」
「言われてみれば、基地内のカビを見てもまるで動じなかったな」
「ええ、科学者二人が動じないのはわかりますが、普通の人なら筧大臣と同じ反応をするかと。それに……」
――そうだ、あの人だけ俺の呼び方が違った。
「みなさん、自分を『青島さん』と呼んでいましたが、森さんだけが『青島三曹』と呼んでいました。恐らく森さんは元自衛隊員かと」
「なんだなんだ青島君、君のヒーローは現在上空を飛んでいるご老体かもしれないぞ。帰りのヒコーキの楽しみができたな」
「はい!」
「よし、それじゃあ張り切って任務を遂行しよう」
「了解」
ちょうどヘリ部隊がウィルスの散布を始めたようだ。
硫黄島、待ってろ。俺の好きな元通りの景色に戻してやる。
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