第41話 天野梨香・3

「あ、シーグルズルからだねぇ」

「あたしが話す!」


 問答無用で椅子ごと二階堂を押しのけた梨香は、彼の席に陣取って回線をつないだ。


「チャオ!」

「やあ、梨香。ニカイドウはどうしたんだい?」

「隣にいるわ。シーグルズルにちょうど頼みたいことがあったの」

「僕にできることなら何でもどうぞ」


 向こうから用事があって連絡して来たというのに、いきなり頼みごとをしてもまるで動じないのがシーグルズルだ。とかく学者というものは少し変わった人が多いが、彼ももちろん例外ではない。


「頼みごとの前に、先に用件を聞くわ」

「そうして貰えると助かるよ、忘れてしまいそうだからね。例のカビだけど、出所を追跡していて思いがけないところに出たんだよ。カビの報告が無いところなんだけどね」

「何それ、意味わかんないわよ」


 そこに二階堂が割り込んだ。


「ああ、うん。オーストラリアでしょ? パースの南、ナチュラリステ原子力発電所」

「えっ? なんでわかった?」というシーグルズルと、「さっきのトーマス君のところ?」という梨香の声が重なる。

「INESレベル7の事故はここ最近では福島第一とナチュラリステしかないよねぇ。それ以前だと一九八〇年代半ばのチェルノブイリ。福島だって既に十年経ってる、潜伏するにしても期間が長すぎるし、発電所内に蔓延っていればとっくに周知されてる。したがって、必然的に内部が未確認のナチュラリステに絞られる」


 画面の向こうでシーグルズルが肩をすくめて「さすがIQ一七〇」などと言っているが、相変わらず二階堂は「だから一六〇しかないって」と笑っている。


「で、どうやって追跡した?」

「それがさ、この前ニカイドウが言った『発生源はブルーラグーンじゃない』ってのが決め手になったんだよ。ブルーラグーンじゃないということは、どこかからブルーラグーンに持ち込まれたってことだからね。そして持ち込まれたカビは何かしらの遺伝子異常が発生した種ってこと。これだけ見事に遺伝子ぶっ壊すんだから、これは放射能だなと考えたんだ。それで、ブルーラグーンのスタッフに聞き込み調査をしたわけ」

「やるねぇ」

「まあね。そしたらさ、アラスカに胞子を持ち込んだと思われる留学生の兄貴がブルーラグーンスタッフだって話は以前したよね、ええとグズムンドゥルさんだったな、この人、ケニアの五人組とずっと一緒だったらしいんだ、帰宅のバスでね。ケニアの子たちは地熱発電の研究をしてるくらいだから、原子力発電にも詳しいとか、見学に行ってるとか、そういうのがあるんじゃないかと思ったんだよ。そしたらとんでもない、リーダー格の女の子の父親が火力発電所のスタッフだって言うんだ」


 イライラしてきた梨香が「ちょっと、いつになったらオーストラリア出てくるのよ」と文句を言うと、「これからだよ」と彼は得意気に笑った。

 こうしてみるとやっぱり学者にしておくには惜しいイケメンだ。ちょっと、いや、かなり天然なところもあるが。


「その父親っていうのがタンザニアの発電所の計画に携わってる。それでタンザニアにカビを持ち込んだのは彼なのかと最初は思った。だけど、そのプロジェクトに参加しているもう一人の技術者がナチュラリステの技術者だったんだよ。最近よく耳にするイーサン・ホワイトって人」

「見えて来たねぇ」

「彼に連絡を取ってみた。タンザニアへ向かう数日前にナチュラリステ原子力発電所の内部を視察してるんだ。中はカビでモコモコだったそうだよ」


 二階堂が「はいビンゴ」と笑うが、シーグルズルと梨香はお祭り騒ぎだ。


「スタート地点はナチュラリステかぁ。あとは特性と対策なんだけどねぇ。特性についてさっきちょっと気になることがあって、梨香と話してたんだけどね。硫黄細菌の性質を持ったんじゃないかと思うんだよねぇ」


 二階堂の言葉に一瞬首を傾げたシーグルズルは、ハッとしたように手を打った。


「そうか。ナチュラリステからアフリカ大地溝帯、ここ大西洋中央海嶺、そして環太平洋造山帯か! おかしいと思ったんだ、もう栄養源になるようなもの無いだろうってほど、街中はカビだらけなんだ。それなのに増え続けてる。それどころか、最初から栄養源なんか何も無さそうなゲイシールやグリンダビークの方が勢いよく増殖してるんだ。そういうことか」

「グリンダビークとゲイシールかぁ。そりゃ硫黄しかないねぇ」

「みんなパニックになってるし、都市機能は失われてる。どうにかしてこの増殖を止めないと」


 そうなのだ。シーグルズルはこの状況を学者として客観的に見ることができているからまだいいものの、アイスランドに住む一般の人々はそれどころではないのだ。

 カーテンを開ければ、窓の外は見渡す限りの青緑。一面の雪景色にすら見えるカビの胞子。当然外を歩く人の姿も見えなければ、車が動いている気配もない。リアル・ゴーストタウンになってしまっている。

 物流の止まった街ではあちこちで犯罪が起こり、完全な無法地帯になるのも時間の問題であることが容易に想像できる。


「わかった。シーグルズルは感染経路を突き止めた。所長は特性の目星をつけた。次はあたしの番だわ。この青カビを絶滅させる! シーグルズルにはまだ言ってなかったけど、だいぶ前から対策を立てていて、大体目星はついてるのよ」

「本当かい? 頼もしいね!」

「まあ、梨香はこういう緊急事態が大好きだからねぇ」

「失礼ね。トーマス君の勝負をつけてやるのよ」


 と言ったところでシーグルズルが「ところで」と言い出した。


「さっき言ってた頼みたいことってなんだい?」

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