第40話 天野梨香・2
「ちょっと、今『わかった』って言った?」
「まあ、そうねぇ」
二階堂が壁面に世界地図を投影する。引き出しからレーザーポインターを出すのを見て、梨香も身を乗り出した。
「アイスランドでスタート、これがそもそも怪しいんだけどねぇ。アラスカからアメリカ西海岸通ってメキシコ。太平洋渡って、日本、フィリピン、インドネシア。で、極め付きのニュージーランド」
二階堂が指し示すポイントを目で追いながら、梨香はあることに気づいた。
「え? この形は……」
「気づいたみたいだねぇ、そのまさかだよ」
環太平洋造山帯?
「今度はアフリカ大陸。ケニア、タンザニア、エチオピア」
「それって、アフリカ
二階堂がフフフと笑う。
「アイスランドは?」
「大西洋中央海嶺の真上。ホットスポットばっかりじゃない!」
「そう。火山のある所にカビが生える。ということは?」
――そんなバカなことがあるわけがない。いや、あるかもしれない。無いと言いきれるだけの確証がない。むしろ……大いにあり得る。
「硫黄細菌?」
「フフフ、多分ね」
硫黄細菌。硫黄やその化合物を酸化・還元することで得られるエネルギーで活動する細菌類の総称である。青カビがこの硫黄細菌の特性を何らかの要因で得たと考えれば辻褄が合う。
「これなら日本で蔓延して朝鮮半島で発生しない理由が説明できる。ニュージーランドに広がってオーストラリアが無傷なのも同じ理由」
それならアイスランドで発生しているのにヨーロッパで発生していないのも説明がつく。
しかもアイスランドは緯度は高いが、暖かい北大西洋海流の影響で西岸海洋性気候だったはずだ。北欧のフィヨルドが氷点下二十度くらいまで下がるのに対し、それよりずっと緯度が高いにもかかわらず氷点下三度くらいまでしか下がらない。
「実は午前中にホームページにメールがあったんだよねぇ。オーストラリアの小学生から」
二階堂に促されて端末を覗くと、梨香の目に子供らしい文章が飛び込んできた。
――はじめまして、ニカイドウ博士。ぼくはオーストラリア・パースの北にあるガバーダという町の仮設住宅に住んでいるトーマス・へムズワースと言います。
ぼくたちの学校の課題発表で青カビをテーマに選んだのですが、それを考えている時に少し気になることがありました。それは、発生地域です。
最初に青カビが発生したのはアイスランド、次がアラスカでした。そのあと青カビは散らばって行きましたが、北極圏の方では相変わらずアイスランドとアラスカはカビに覆われたままなのに、ロシアや北ヨーロッパ、カナダは被害に遭っていません。
そこで、アイスランドとアラスカにあって、ヨーロッパとロシアとカナダに無いものはなんだろうということになりました。そのときぼくの友達のウィリアムが『地震ではないか』と言いました。ぼくたちはダンスバラ地震で家を無くして仮設住宅に入っているので、地震のすごいエネルギーを知っています。地震のエネルギーで青カビに何かの力が加わって、性質が変わったのではないかと思います。
全然関係ないかもしれませんが、何かの役に立てばいいなと思ってメールしました。
ニカイドウ博士、人類のために青カビの研究をがんばってください。ぼくはニカイドウ博士のような学者になりたいです――
「何これ、ファンレター?」
「フフフ、そうだねぇ」
「ちょっと、こんな時にファンレター自慢なんかしなくていいわよ」
「違う違う。これを読んで硫黄細菌を思いついたんだよ。このトーマス君は地震による地殻変動のエネルギーが原因だと思ったらしいんだけどねぇ、これのお陰で地震から火山に結び付いたんだよねぇ」
それを聞いた梨香が、何を思ったのか「はーん、なるほど」と胸の前で腕を組んだ。
「その子にとって負けられない戦いなのね」
二階堂が「ん?」と目を丸くする。
「だってそうでしょ、ダンスバラ地震で家を失った子なんでしょ? そのうえもし、この青カビが地震によってつくられたものなら、地震に対して完全勝利したいはずだわ。その勝負、トーマス君に代わってこの天野梨香が受けて立つ!」
二階堂の「そりゃ頼もしいね」というわかりやすい社交辞令を華麗にスルーし、「ただ、どうやって遺伝子が組み変わったのかがわからないのよねぇ」と首をひねる。
「放射能でも大量に浴びないと、あんなふうに遺伝子に異常が出るのは考えにくいねぇ」
「アイスランドに放射性物質を大量に扱うような施設なんて無いわよ」
「うん。で、考えたんだけどね。スタートはアイスランドじゃない。どこかから遺伝子異常の発生したペニシリウムが入って来たと考えた方がいいんじゃないかってねぇ。高レベル放射性物質を扱う施設で最近放射能漏れが起こった事故はそんなに多くない。そういうところに問い合わせてみるのも一つの手だなという気はするねぇ」
「それだわ! IQ一七〇、天才過ぎるわ、今すぐ問い合わせてみましょ!」
「だから一六〇だって」
と、そのタイミングで狙ったかのように端末に通知が入った。
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