第37話 岩倉・4

 ――あの丹下ちゃんが。いつもニコニコしている丹下ちゃんが、かけい大臣とやりあっている。


『勝手な事を始めたのは千葉県ですよ。国としてそのようなことは認めていない』

『それなら千葉県は万博の開催を中止します。カビの水際対策は千葉県でやれ、助成金は出さない、万博も成功させろ、そんな無茶がありますか。海外からの観光客を受け入れるということは、カビを受け入れるということです。その対策を全部千葉県だけに押し付けて、国は知らん顔ですか。私が今進めているカビ対策は、すべて千葉県の予算と県民の寄付と、阿曽沼副知事と私の返上した給料で回してるんです。どうしても万博を中止したくないのなら、カビ対策の予算を回してくれないと困る。それができないのならこちらも万博は開催できません』


 テレビ画面の中で筧大臣が丹下に押されている。もうその構図だけで千葉県民はお祭り騒ぎである。千葉県だけではない、他の県民からも応援メッセージが丹下のSNSアカウントにリアルタイムで押し寄せている。


 もちろんアンチだっている。そんなものは最初から想定内だ。知事のような立場になれば賛成派も反対派もいて当然だ。それにしても丹下の場合はアンチはあまり見かけないのだが。

 一説によると、丹下は『アンチ心』を刺激しないのだそうだ。尤もらしいことや偉そうなことを言わないからだろう。反対派のほとんどが『嫌い』という積極的な嫌悪を向けるわけではなく『大丈夫か、この人?』と心配するか呆れるかといった感じだ。


 その『大丈夫か、この人?』を具現化したような丹下が、筧大臣とやりあっている、それだけで話題性は十分だ。


『こっちはカツカツなんですよ、自転車操業どころじゃない、足が出てるんです。昨日は木材業者でカビが発生して、全部焼き払ってもらったんです。このまま放置したら潰れちゃいますよ。そこの従業員だって家庭があるんだ、彼らが路頭に迷わないように保証するのが官の仕事でしょう?』

『それを焼く指示を出したのは丹下さんでしょう。国の指針ではそんなことはさせませんよ』

『それをやらなきゃ千葉はカビまみれになるんですよ! 千葉がやられたら、あっという間に東京、埼玉、茨城、神奈川もカビの巣窟になりますよ。そうなってからじゃ遅いんです、早いうちに全滅させないと』


 息つく間もない攻防が展開されている。付き合いの長い岩倉でさえ、こんな丹下は見たことがない。


『丹下さんが全滅させると仰るんですか。それができるならアイスランドもアメリカもこんなことにはなってませんよ』

『じゃあ、筧大臣はできないとわかっていて渡航を許す気なんですか』

『渡航を許さずにどうやって万博を開催するんです?』

『だから万博は中止するか延期するしかないと言ってるんじゃないですか』

『ですからそれはできません。世界中がこの万博に期待と関心を寄せているんですよ。ここにどれだけ投資したと思ってらっしゃる。ここで中止なんてことになったら、まるっきり回収できない』


 聞いている岩倉の方が心が折れそうになって来るが、丹下はその程度では全く折れる気はないらしい。相手が暖簾に腕押しだろうが糠に釘だろうが、そんなことを言っていられないのだ。


『今の段階で予防的に動けば、そんなに予算は必要無いんです。蔓延してからでは何十倍何百倍と費用が掛かる。このままなら万博は確実に開催不可能になります。物理的に、です。どうせ開催されない万博のために予算を使うくらいなら防御に使うべきだ』

『どう防御するんです』

『それを今、千葉モデルでやっているんですよ。国を挙げてということになれば、千葉モデルを流用して自衛隊を派遣すればいい。その間にカビを絶滅させる研究を同時進行で進めるんです。千葉はもう始めている』

『は? 各大学の研究室は、現在政府の指示で動いていますが?』

『当然民間ですよ。二階堂研究所が協力してくれています』


 筧の顔色が変わった。これは見ものだ。同じ事を考えていたのか、隣りで志藤が煙草を咥えたままフンと鼻で笑った。


『そんなところに協力要請するから予算がかかるんじゃないんですか? 丹下知事も少し考えてから――』

『二階堂研究所の所長さんが千葉県を名指しで、研究協力のパートナーとしてお声かけくださったんですよ。研究協力なので二階堂研究所に支払う費用は発生しません。通報システムもすべて二階堂側で作成してくれてますから、我々は使うだけです』


 丹下が筧に被せた。あの丹下が他人の発言が終わる前に被せるのは初めてかもしれない。


『二階堂研究所は東京都にあるんですよ、なぜ千葉県に?』

『さあ。人徳じゃないですかね、私の』


 最後の決め台詞に、みんなが大爆笑している。筧大臣はと言えば平静を装っているようでも、額には青筋が立っている。

 みんなが笑っていると、瀬古がそれを寸断するように声を張った。


「速報。東京都知事が千葉モデルの採用を検討していることを発表。千葉の丹下知事と連携を調整中」

「やった!」

「よっしゃ、いいぞ。丹下さん、もうこのまま総理大臣になってくれ」

「丹下ちゃんじゃちょっと心配よぉ」

「それもそうだ」


 これが出動前の待機メンバーかと思えるほど、和気藹々あいあいとしている。適度な緊張感を維持したまま肩の力を抜いている。これがプロなのだろう。

 三日間運用して、彼らの結束が固くなったのを感じる。実際、職種が違えば全く会うことも無かったメンバーもいたのだ。植木屋と看護師が一体どこで同じ仕事をするのだろう。


 そして八時間勤務だと何度も念を押しているにもかかわらず、みんなここに居たがる。家に帰ってもすることがないだのなんだのと理由を付けてはここに来て、何かしら手伝おうとする。実際、独居老人が多いというのもあるものの、ここに残って手伝おうとする気持ちはわからなくもない。岩倉も気になって仕方がないのだ。


 それだけではない。いくつかの小さなボランティア団体が名乗りを上げ、街中で寄付を募ったり清掃作業に参加してくれたりということが増えて来た。

 千葉県の底力を見せつけるかのように。


「速報。埼玉の木材置き場で放火。成田の木材置き場の模倣。犯人はカビが生えていたのを見たと供述」

「歪んだ正義感だな」


 ボソリと志藤がつぶやく。彼の中に息づく警察官魂は未だ現役のようだ。


「速報。千葉県庁に布マスクとビニール手袋が届き、カビ対策チームに使って欲しいと手紙が添えられていたとのこと」


 自然と拍手が沸く。ご婦人たちの笑顔が眩しい。

 その拍手に紛れるようにアラームが割り込む。


「通報。習志野市、公民館」

「ポータブルバキューム一台、清掃二名」

「もう一件通報。柏市、駅前商業施設。これは何カ所にも同時発生」

「バキューム車、ポータブル三台、清掃十二名」


 次々とメンバーがスタッフベストを着て支度をする。既に匠メンバー数名とボランティアという組み合わせで動くようになっている。


「通報、船橋市……これは競馬場ですね」

「競馬場? すぐそこじゃねえか。近くには干潟がある。ヤバいな」


 志藤が眉根を寄せると、森が補足した。


「ラムサール条約指定の干潟です。競馬場は私のチームを出しましょう。バキューム車の出動許可をお願いします」

「森チームは帰宅しましたよ」

「今ここにいる時間外ボランティアと外部ボランティアで行きます」


 時間外の森チームがすぐに席を立ち、スタッフベストを着こむ。最初からそのつもりで残っていたようだ。


「あたし志藤チームだけど、船橋競馬場に勤めていたから隅々まで知り尽くしてます。志藤さん、出動許可をくださいな」

「お願いします、皆さんを誘導して」

「はい、頑張ってきますね」

「あと三人志藤チームから応援ください。七人じゃ無理だ。先に干潟の方も偵察に行った方がいい。広がってからじゃ手に負えない」

「通報。松戸市……なんてこった。霊園です。墓地がまたやられてる」


 明らかに増殖速度が上がっている。どうやって食い止めるか。もうエピデミックは避けられない。


「通報。船橋のテーマパーク。かなりの面積があります」

「どうする、岩倉さん」

「森チームも動員しましょう。召集かけてください」


 そこに瀬古の声が割り込んだ。


「速報。丹下知事が千葉県のロックダウンを検討!」


 来るところまで来た。岩倉がそう悟った瞬間だった。

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