第31話 阿曽沼一義・2

「丹下さん、この際我々で千葉モデルを作りましょう」

「え? 何それ、かっこいいじゃん」


 窓から外を眺めながらずっとウーンウーンと唸っていた丹下に、阿曽沼は一か八かの勝負を仕掛けた。


かけい大臣じゃ話にならない。総理に到っては論外です。『カビは入れるな万博は成功させろ』って、無茶苦茶です」

「そうだよね、『勉強するな東大入れ』って言ってるようなもんだよね」


 だから全然違います! ――という言葉を今日も飲み込む。


「もうカビが蔓延するのは仕方のない事として、そうなった時の対処法を今のうちに完璧に作っておきましょう。そしてどこの県よりも正確且つ迅速に対応し、千葉モデルとして全国のお手本となるべきです」

「どうやって?」


 阿曽沼はパソコンを立ち上げると、丹下を画面に誘導する。


「ラーメン屋で話したじゃないですか。あれからすぐにSNSに丹下さんのアカウントを作ったんです。ついでにトレンドをチェックしました。そこで見つけたんですよ、二階堂研究所の投稿を」

「二階堂? 遺伝子操作とか、ロケット打ち上げとか、そんなことしてる民間企業だよね?」

「それです」


 政府が使えないのなら、民間からヒントを得るしかないだろう。


「二階堂研究所はアイスランドの研究者と繋がりがあるようで、現地の状況を毎日定期的に報告しています。先ほど見た感じでは、各国のカビの発生状況や交通・経済に与えている影響なども報告しています。あと、カビを見つけたときの対処法も投稿してますね」

「へぇ……さすがだね」


 さあ、問題はここからだ。丹下がこの話に乗るかどうかはわからない。それを上手く誘導するのが阿曽沼の仕事だ。


「その二階堂研究所なんですが、研究に協力してくれる自治体を募ってるんです。彼らはこのカビの特性を見極めて、根こそぎ駆逐する考えなんですよ。ただ、それをするには一般市民の協力が不可欠らしくて、その協力を得られるほどの求心力を持つ知事のいる自治体に頼みたいと」


 ここで阿曽沼は大きく深呼吸した。政府に勝つにはここで丹下をうんと言わせなければならない。


「丹下さん、あなたをおいて他にいないでしょう。大したことをしていなくても、なぜか丹下さんにはみんなついてくる。丹下さんが頼めばみんな二つ返事で引き受けてくれる」

「大したことしてないけどね」


 こういうところは地味に聞いているらしい。だが特段気にしているわけでも無さそうだ。むしろ気にすべきところのような気もするが。


 丹下は今年で四十八だ。子供の頃に老け顔だった人は、中年以降若く見えることがある。学生時代から全く歳を取らないというやつだ。丹下源太はまさにそれの典型例だった。

 体格もややぽっちゃり……とまでは行かないが、人の良さそうな丸顔にプニプニと柔らかそうな脂肪がほんのり乗っている。確かに困っていたら助けてあげたくなるような雰囲気を漂わせている。

 そこにプラスして、彼の持って生まれた優しさ(政治屋には致命的すぎるほどのそれではあるが)とひたむきさが、人々の支持を集めるのだろう。


 子供たちには「遊んでくれる面白いオジサン」で年寄りには「世話を焼きたくなる可愛い息子」のようなものか。ラーメン屋の客が見せた反応がまさにそれに近かった。彼はあの場では『知事』ではなく、『近所のオジ兄ちゃん』だった。

 確かに要領は悪いが、これだけ人の心を鷲づかみにしているんだ、これを利用しない手はない。そして『千葉の劉備と孔明』を全国に知らしめてやるタイミングは今しかない。


「丹下さん、筧大臣はもう捨てましょう。表面上はハイハイということを聞いておいて、水面下では先手を打って千葉ならではの方針を打ち立てましょう」

「具体的には?」

「それはこれから考えますが、基本的には政府の言う通り、万博を開催する方向でギリギリまで調整します。その一方で、カビが発生した場合の緊急事態宣言発令の基準や、その際の千葉県としての行動指針を決めておきます。私の方で大体の方向性と設置部門、それと予算ですか、その辺は試算しておきます。丹下さんは『その時』が来た時に県民が一斉に動いてくれるよう、いまのうちにSNSでいろいろ呟いておいてください。いいですか、今の若者はSNSで動きます。ネットのトレンドがニュースになって社会を動かしているんです」

「は、はい」


 少々引き気味の丹下に、阿曽沼は容赦なく詰め寄る。


「私の仕事はこれらの詳細を詰めることと、二階堂研究所に名乗りを上げて協力体制を敷くこと。丹下さんの仕事は若者の支持率を上げることです。子供と老人はもう十分です、あとは二十代三十代の心を鷲づかみにしてください。今日は午後から時間のある限りエゴサしてください」

「何それ」


 エゴサすらしたことがないらしい。それはそうだろう、SNSのアカウントさえ持っていなかったくらいだ。


「エゴサーチですよ。『丹下源太』で検索して何が書かれているか、世間の目をもう少し気にしてください。生の声を大切にしてきたのはよくわかりますが、だからこそ老人と子供の支持しか得られていないんです。働き盛りはネット中心ですから」


 実際、丹下は生の声を大切にしていた。年寄り連中とお茶をすすりながら話し込んだり、子供たちと一緒に遊んだりしながら、現場の声を聞いていた。それはとても大切なことだろう。昔ながらの顔を突き合わせての話は、何物にも勝るのだ。


 だが、仕事に家庭にと振り回されている働き盛りの二十代三十代は、そもそもそんな暇がない。手軽に他人と繋がれるネットで話すのが常なのだ。そこを見極めないと、支持者の年齢層に偏りが出てくる。


「わかった。俺は俺の仕事を頑張る。俺が頼りなくて申し訳ないけど、頭を使うことはぬまちゃんを信頼して全部任せるよ。千葉の諸葛亮しょかつりょうだもんな」


 阿曽沼は満足げに頷いた。


「お任せください、劉備殿」

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