第29話 シーグルズル・4

「お昼時に悪いねぇ、梨香がイケメンのご尊顔を拝したいと言うもんだからねぇ」

「そっちは夜の九時くらいだろう? 日本人は働き過ぎだよ」

「そうだねぇ」


 相変わらずのんびり話すニカイドウを横へと押しのけて、「チャオ!」とリカが割り込んでくる。なぜイタリア語なのかはわからないが。


「どうだい? 日本政府は動いてくれてる?」

「ちょっと聞いてよ、それなんだけどね、あのタヌキオヤジ全く聞く耳持たないのよ。なんであんなのが日本の総理大臣やってんのかしら。だから前回の選挙では違う党に入れたのに。そもそもアメリカの大統領みたいに総理大臣は国民総選挙やるべきだわ」


 ブツブツと文句を言うリカに慣れているのか、ニカイドウは顔色一つ変えない。


「来月、千葉で万博があるでしょ。そっちの経済効果に期待してるのよ、あのオヤジ。鎖国しろって所長が口を酸っぱくして言ってんのに、『それは無理』の一点張り」

「サコク?」

「簡単に言えば、出入国を禁止する政策よ。日本丸ごとロックダウン」


 科学者の視点ではそう提案するしかないが、プライムミニスターは経済面への影響を考えなければならない。しかも来月から万博となればその経済効果は高そうだ。


「今回の万博のテーマってなんだっけ?」

「ネイチャー・アンド・テクノロジー。大阪万博と愛知万博をくっつけたような騒ぎよ、どっちもあたしが生まれる前だから知らないけど。会場も成田近くがテクノロジー、東金だか八街だかあの辺がネイチャー」


 トーガネもヤチマタもシーグルズルには初耳の地名だが、どちらもナリタからさほど離れていないに違いない。


「二か所で同時に開催するから大変な規模になるの。推定来場者数三千万人、経済効果は約五兆円の試算。だから今ロックダウンなんてしたら全然元が取れない。とは言っても、来月万博がスタートするころにはカビで飛行機も飛ばなきゃ電車だって動かないわ」


 だがこれだけの経済効果が期待できるというのに、それを目前にロックダウンなど、普通に考えてしないだろう。ニカイドウが進言してもダメなら、日本に科学者の出る幕はない。


「ただ、政府は動かなかったけど民間が動き始めたの。ほらこの前コメンテーターとして呼ばれたって言ってたでしょう。あの時、シーグルズルが注意喚起した方がいいって教えてくれたことを全部テレビで話したのよ。全国放送だからね、すぐに自動車大手数社とパワーツールメーカーが組んで、ブロワバキューム搭載車の製造に名乗りを上げたわ」

「さすが日本の技術者は仕事が早いね」

「ファッションメーカーもこぞってブランドマスクを作り始めたし、SNSでは手縫いマスクのフリー型紙を提供してくれる人やマスクの作り方動画をアップしてる人もいるの。こういう時は腰の重い政府より、一般人の方がフットワークは軽いわね」


 どうやらリカは日本政府に対して不満があるようだ。彼女が自国のプライムミニスターを語る時に誉め言葉が一つも出てこない。


「そうは言っても、飛行機が飛んでいる限り、入国制限しなければいくらでもカビは入って来る。日本がそれだけ備えていても入って来るものは止められないよ。アメリカ西海岸はもう全滅らしい」


 五日前にシアトルで確認された青カビは翌日にはポートランドに広がり、昨日の時点でサンフランシスコやロサンゼルスでも確認されている。だが……。


「だけどねぇ。おかしいんだよねぇ。ニューヨークではそのカビが見られないんだよねぇ」

「やっぱりニカイドウもそこに食い付くか。僕もそれを思ってたんだ。西海岸に広がったってことは、当然東海岸の方にも胞子自体は移動してる。毎日飛行機が飛んでるからね。それに日本や中国に向けても人の移動はあるはずだから、アジア各国やヨーロッパにもロサンゼルスと同じタイミングで広がってると思うんだけど」

「だよねぇ」

「アジアの中でも違うからわからないのよ。中国やインド、中東では繁殖してないでしょ。それなのにフィリピンはもうカビが広がってきてる。統一性がないから、全く以って意味が分からないわ」


 そう言って話している先から、新着ニュースが届く。今度はメキシコがアメリカとの国境を封鎖したようだ。アメリカからのカビの侵入を防ぐためだろうがどう考えてももう遅い。陸上の国境を封鎖しようが、飛行機の乗り入れを禁止しようが、もうとっくにメキシコに入っているだろう。封鎖するならシアトルがわかった時点でやるべきだ。


 同時にコロンビアがパナマとの国境を封鎖した。これはタイミングとしては評価できる。ラテン各国は既に空と海の出入国を停止している。ここでコロンビアが中央アメリカとの陸上国境を封鎖することで、ラテンアメリカはある程度持ちこたえられるかもしれない。時間稼ぎができればその間に対策がとれるのだから。


「ところで、カビの感染経路と発生源は特定できたの?」

「いや、まだだ。だけど発生源はアイスランドのブルーラグーン・ホットスプリングスとみて間違いないんじゃないかと思う。ナイロビ大の地熱発電研究チームがスヴァルスエインギ地熱発電所を見学に行ってる。その前日に発電所に隣接するブルーラグーンに遊びに行ったようなんだ。彼らは翌日発電所を見学、その頃ブルーラグーンは最初のカビを確認してる。その三日後、ナイロビ大の学生たちはゲイシールに間欠泉を見に行ってる。さらに翌日、ゲイシールでカビが確認されてるんだ」

「つまり彼らが最初に訪れたのがブルーラグーンで、そのあと彼らの行く先々でカビが発生してるってことね?」

「簡単に言うとそういうことだね。そして彼らはナイロビにもカビを運んでしまった」


 リカが「うーん」と唸りながら腕を組む。


「アラスカの方なんだけど、あっちも大体特定できた。ブルーラグーンスタッフの一人に、弟さんがアラスカに留学してる人がいたんだよね。その弟さんがちょうど帰省してたんだ。ブルーラグーンでカビが確認された日にアラスカに戻ったらしいんだけど、その時すでに家の中でカビの胞子が荷物に紛れ込んでいたか可能性があってね。こっちもほぼこれで間違いない」

「とすると、どうやってブルーラグーンでそのカビが発生したか。っていうか変異が起こったのかってことになるわね」

「それがさ、ブルーラグーンでカビが変異する理由が全く見つからないんだよ」


 そのとき、ニカイドウがふと顔を上げた。


「今、何て言った?」

「え? ブルーラグーンでカビが変異する理由が見つからないって……」

「それだ」


 ポカンとするシーグルズルに向かってニカイドウがはっきりと言ったのだ。


「発生源はブルーラグーンじゃないってことだよ」

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