第28話 シーグルズル・3

 あれからのニカイドウは早かった。その日のうちにシーグルズルの提案を総理大臣プライムミニスターに伝えていたのだ。

 プライムミニスターと直接繋がるというのもどうなんだよとシーグルズルはいろいろ疑問も湧いたが、そこは二階堂研究所だ、政府の専門者会議などには必ず呼ばれるという話だったからそういうパイプがあっても不思議ではない。

 あれから五日。世界は大変なことになっていた。

 テレビをつけても、どこにチャンネルを合わせてもカビのニュースばかり。ドラマや映画も屋外での撮影ができないとあって、先の見通しが立たなくなっている。

 運輸と観光産業も大打撃だ。まず飛行機が飛ばない。滑走路に胞子が積もって離着陸ができないのだ。電車もすぐにカビが生えてしまうという理由で座席を撤去したが、それでも乗ろうという人はまずいない。同じ理由でタクシーやマイカーも動くことはほとんど無く、さながら廃墟のようだ。

 農業にも大きな損害が出た。野菜はほぼ全滅と言っていい。フルーツも実がついた先からどんどんカビに覆われて行く。酪農家や養鶏場なども、飼育小屋の除菌が間に合わない。

 実際のところ、このカビには毒も何もないのだ。それが生えたからと言って、何一つ問題はないはずなのだ。

 だが一つの種が爆発的に増えることによって、他の種が淘汰されてしまう。

 このままでは他の動植物がたった一種類の青カビに絶滅させられてしまうのだ。

 それをわかっているのかいないのか、いや、理屈でわかっていなくても本能で察知しているのだろう、人々は正体のわからない敵への恐怖でパニックに陥る。

 学校は全て休校となり、生活に最低限必要な店以外は軒並み営業を停止した。現在営業しているのは役所、警察、消防など一部の官公庁、食料品店、ドラッグストア、病院など、数えるほどしかない。役所関連と言っても例外的に図書館は閉館したままだ。恐らく本もカビの被害に遭っているのだろう。

 SNSでは、信じられないようなデマが流れている。氷水につけるとカビが死滅するとか、オリーヴオイルを塗ったところにはカビが生えないとか。

 カビの胞子を吸い込むと死ぬなんてのは、単にカビアレルギーのアナフィラキシーショックか、喘息持ちの人が大量に吸い込んで発作を起こしたか、もともとそういうリスクを持った人に限るのだ。彼らはこのカビでなくても同じ事が起こり得る。

 物流が止まったことで生活用品が手に入らなくなると考えた人達の買い占めが始まり、そこから暴動が起こるというケースが増えて来た。アメリカでは殺人未遂にまで発展したと聞いたが、アイスランドでもいつ起こっても不思議ではない。

 初期に蔓延したとされるアイスランド、アラスカ、ケニアは完全に世界から隔離されているが、シアトルもロックダウンに入ったようだ。シアトルなんかロックダウンしても意味がないだろうに。もうとっくに胞子はアメリカ全土に渡っているはずだ。

 そして、アメリカ全土に渡ったということは既に全世界に渡っていると考えていい。その中で異常増殖が起こっている国といない国の相違点を発見できればいいのだが。

 わからないのが、あの青カビの発生元だ。今のところアイスランドのブルーラグーンホットスプリングスが発端のようだ。そこからアラスカとケニアに飛んでいる。

 報道が正しければ、ケニアにカビを運んだのはブルーラグーンに遊びに来ていたナイロビ大の学生とみて間違いなさそうだ。現在はそこからタンザニアに飛び火している。

 アラスカの方はアイスランドからの留学生。しかもこの留学生の家族にブルーラグーンで働いているスタッフがいるという。

 このブルーラグーンスタッフがカビの胞子をつけたまま家に帰り、たまたまアイスランドに帰省していた留学生がアラスカへ胞子を運んでしまったと考えていいだろう。

 更に不運だったのが、このアラスカの留学生が勉強のために働いていた水産物加工工場だ。この工場長が留学生をメディアから守ろうとして矢面に立った。だがそれによってとんでもない事実が露呈してしまったのだ。

 タイラー・ワトキンス。三十年前、NBAで『シアトルの守護神』と呼ばれていた天才だ。バスケットボール選手として最も脂がのっている時期に、あろうことか彼は交通事故で足を切断した。プレイできなくなった彼は、静かにスポーツ界から消えて行き、現在どこでどうしているのか誰も知らないとされていた。

 その彼が、アラスカで工場を経営していたのだ。

 留学生を守るために責任者として彼の代わりに表に立ったことで彼のファンが「もしやワトキンスでは?」とテレビ局に問合せ、シアトルから記者がアラスカに向かってしまったのだ。

 工場長がもしもタイラー・ワトキンスでなければこのままシアトルにカビが持ち込まれることもなく、もう少し時間が稼げたのかもしれない。

 シアトルでカビが増殖を始めた事で、すでにアメリカ西海岸はパニック状態になっていた。あっという間にポートランドまで広がり、アメリカ政府はポートランドもロックダウン対象とするらしい。

 もう遅い。今更ロックダウンなんかどれだけの意味があるのか。アメリカじゃ毎日飛行機が飛んでいるのだ。とっくにサンフランシスコやニューヨークにだってばらまかれている。未だにカビの報告が出ていないのが不思議なくらいだ。

 ここでシーグルズルはふとおかしなことに気づいた。

 最初の運び屋がケニアやアラスカに持ち帰ったのはいいとして、その日にブルーラグーンに来ていた客は他にもいたはずだ。

 つまり、あちこちに胞子がばらまかれたにもかかわらず、ケニアとアラスカとアイスランドでしか増殖しなかったということになる。

 だとすれば、その共通点はなんなのか。また、ブルーラグーンで何が起こって、カビが突然変異してしまったのか。ブルーラグーンに何か突然変異を引き起こす要因があるとしたら、それは一体なんなのか。

 噴火によるもの? ホットスプリングスそのものが原因と考えるなら、ブルーラグーンよりはゲイシール一帯の間欠泉の方がよほど可能性はある。だが、ゲイシールがカビに汚染されたのはブルーラグーンの二日後だ。どう考えてもブルーラグーンから運ばれたと考えるのが自然だろう。

 第一、例のケニアの学生たちはブルーラグーンの二日後にゲイシールへ足を延ばしている。時間的にもピッタリではないか。

 だとしたら、ブルーラグーンの一体何がカビに特殊な性質を与えたのか。

 これはもしかするととんでもない見落としをしているか、大変な間違いを犯している可能性がある。なんだ? 何を見落としている?

 その時、彼のスマートフォンが電話の着信を知らせた。

 発信者名は『Daichi Nikaidou』となっていた。

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