第24話 タイラー・3
「正直言うとな、俺はヨウンにずっとここにいて欲しいと思ってんだ。できる事ならアイスランドに帰らないで欲しいくらいだ。まあ、アイスランドの漁業に貢献したいってんなら引き留めるわけにはいかねえけどよ」
「僕は……僕もここにいたいです。でも」
お互いの希望がマッチしていても、世間がそれを許すとは限らない。ヨウンは自分のタブレット端末を立ち上げた。SNSに接続した画面をタイラーに向けて、静かに「ここにいるわけにはいきません」と告げた。
画面は何も知らない人達の心無い書き込みで溢れていた。無知と恐怖と想像力は、時に人の性質を暴力的に変化させる。
「この工場の周りでカビが発生しているから、この工場内もカビだらけだなんて、見てもいないくせに平気で書く人がいる。しかもSNSならほんのワンクリックで拡散できてしまう。根も葉もない噂で日本への輸出がストップすることになったら大打撃です。あの国は衛生管理にうるさい。僕がこれだけ毎日ピカピカに洗浄してるんだ、窯の中を見せてやったらいいんです」
力説するヨウンに、多少の苦笑いと共に「まあ飲め」と酒を勧める。
「外部のカメラマンを工場内に入れたら、それこそそのカメラマンにカビを持ち込まれることになる。それはできねえよ」
「でも、それじゃあ、ここが安全だということをどうやって証明するんですか」
「大丈夫、お前さんは心配しなくていい。ここの工場長は俺だ。それに……」
何を思ったのかタイラーはフッと鼻で笑うと酒を煽った。
「アイスランドへは飛行機が飛んでねえ。帰ろうにも帰れねえさ」
現在、アイスランドの状況を重く見た関係各国はアイスランドとの往来を次々禁止している。完全に孤立してしまうのも時間の問題であり、それはアラスカも同じである。
それどころか、アイスランド国内の交通網もマヒし始めている。
たかがカビだ。その辺にいくらでもいる青カビだ。だが、それが異常増殖を始め、ありとあらゆる場所に菌糸を伸ばし、大量の胞子をばらまく。
ばらまかれた胞子は自転車のサドルを覆いつくし、ベビーカーを青緑に染め上げる。車のシートを苗床として繁殖し、フロアマットの下にコロニーを形成する。タイヤの溝を埋め、エンジンルームに侵入し、制御不能にする。
もはや交通手段は徒歩しかないのだ。
そしてそれは既にアフリカにも渡り、ケニアの首都ナイロビをも同じ状況に追い込んでいる。
ケニアはまだ陸続きでどうにか物資も入って来よう。だが、アイスランドは島国である。閉ざされた場合、カビを完全に絶滅させない限り、人間が先に淘汰されてしまう。
「でも僕をいつまでもこうしてかくまっていたら、みんな仕事ができないじゃないですか。僕は世間に病原体とか保菌者とか言われてるんですよ。そんな人間が魚肉加工工場で働いてるなんて、工場の信用ガタ落ちです。僕はお世話になった人たちに対して、恩を仇で返す様な真似はしたくありません」
「それならなおの事ここにいろ。みんなお前さんにここに残って欲しいと思ってる」
「それならせめて、僕はメディアに露出します。メディアがここに押しかけるのは、僕が顔を出さないからだ。僕が表に出て、工場内は何も問題ないって言います」
「馬鹿言え。ナイロビ大の学生が今どんな扱いを受けているか知らねえわけじゃねえだろう」
一週間ほど前だった。ナイロビでの青カビ蔓延に伴い、ケニア政府がアイスランド渡航者の調査をした。その際、ナイロビ大学で地熱発電を研究しているチームが、研究目的でアイスランドの現地調査に行ったことを申告した。
ケニアの再生可能エネルギーに着目したエコ発電の未来を担う学生たちだ。だが、彼らの受けた仕打ちは酷いものだった。
政府は約束通り、申告に関することは一切伏せていた。にもかかわらず漏れたのだ。
ブルーラグーンで撮影されたたった一枚の写真。どこかの旅行者がSNSにアップしたその写真の背景に、明らかにアフリカ系と思われる五人の若者が写り込んでいたのだ。
そこからあれよあれよという間にその五人の身元が割れ、大学はおろか住所まで特定された。
SNSにはこの五人がナイロビにカビを持ち込んだ犯人だと断定するかのような書き込みが相次ぎ、ナイロビ大学には苦情の電話が殺到した。
五人の自宅にも嫌がらせの電話が入るようになり、家の壁や車にまで落書きやいたずらをされるようになった。
ストレスを抱えた人たちのねじ曲がった正義感が、スケープゴートを見つけた途端に暴走を始めたのだろう。それを見た他の渡航者たちは恐怖のあまり申告できなくなってしまった。その為、実際はもっといるであろう渡航者がゼロとされてしまい、彼らが全てをかぶってしまったような形になったのだ。
冷静な大学側と政府は、「彼らは何一つ悪いことはしていない」とし、差別的な扱いや誹謗中傷をやめるように呼び掛けたが、その程度で暴徒と化した自称『正義』がせっかく見つけた哀れな生贄のヤギを見逃すわけがない。
彼ら五人の心と友情をめちゃくちゃに切り裂いて、一週間経った頃には彼らのことなどすっかり忘れて次の目新しいストレスのはけ口に向かっている。だからと言って彼らが心に負った傷が癒えるわけではないのだ。
「いいか、お前さんには俺や工場の仲間がついてる。一週間耐えろ。奴らが忘れるまで」
タイラーはヨウンの目をしっかり見てそう言うと、彼のグラスに酒を注いでやった。
「僕はタイラーさんほど強くない。どうやったらそんな風になれるんですか」
「なあに、俺なんかどうしようもない負け犬だったさ。お前さんくらいの頃なんか、全てのことから逃げ回って、廃人同然だったよ。ここまで立ち直らせてくれた恩人がいるんだ。その人がいなかったら俺はとっくに野垂れ死んでたさ」
遠い目をしたタイラーが、ぼそぼそと呟いた。それはヨウンに聞かせて言うというよりは、自分に語りかけているように見えた。
「その人のこと、教えて貰っていいですか?」
タイラーはチラリとヨウンに視線を送ると、ニヤリと笑った。
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