第23話 タイラー・2
いつものように昼になるとイザベラが母バーバラを迎えに来た。ここ数日はヨウンの着替えと昼食を持って来て、洗濯物を持って帰る。工場で一人寝泊まりする彼のために、夜のコーヒーやちょっとしたスナック、本なども持って来る。
歳も近いので、何かと彼の必要としているものにすぐ気づいてくれる。頼もしい味方だ。
いつもは仕事が終わると彼女の迎えでバーバラと一緒に家へ戻り、三人で昼食をとった後、午後からは庭仕事を手伝ったり買い物に出かけたり、亡くなったバーバラのご主人に代わって日曜大工の真似事などもやっていたようだ。
それができない今、ヨウンはかなりのストレスを溜めているだろう。外に出ればどこで記者が待ち伏せしているかわからない、彼をしばらく外に出すわけにはいかない。
今日からは稼働時間を大幅に減らし、昼ですべての機械をストップさせることになっている。これから翌朝まで、彼はこの工場で仕事も無いまま一人過ごさなくてはならないのだ。
さてどうするか、と思っていると、バーバラが大きな紙袋を持ってやってきた。
「じゃあ、あたしはこれで上がらせて貰いますね。これ、イザベラに持って来させたんですよ。あとは工場長の仕事。それじゃお先!」
返事をする間もなく、タイラーの手にその袋を押し付けて、彼女はイザベラと共に行ってしまった。どうしろというのか。
仕方なく袋の中身を出してみると、まあ出てくるわ出てくるわ、ウィスキーの瓶、ナッツ、ポテトチップス、クラッカー。これは二人で飲めということか。カードやチェスまで出て来た。一晩付き合えということらしい。
確かにタイラーは独り身で、いきなり工場に泊っても誰にも何も言われない。バーバラは「工場長としてやるべきことをやれ」と無言のうちにタイラーに伝えたのだろう。何から何まで彼女には頭が下がる。
彼は心の中でバーバラに感謝しながら留学生の名を呼んだ。
「ヨウン! 仕事は終わりだ。今から飲むぞ!」
工場の二階には休憩用の部屋がいくつかあり、そのうちの一つは数日間寝泊まりできるように作ってある。キッチンはもちろん、シャワールームもついている。
いつもならこの部屋にはタイラーの私物が置いてあるのだが、数日前にヨウンのものに取って代わられた。それもこれもバーバラの娘のイザベラが、着替えや彼のパソコンを持って来てくれたおかげだ。
その部屋に、今日は珍しくいい匂いが漂っている。タイラーが料理を作っているのだ。彼のすぐそばで、ヨウンが手順を眺めている。兄にも食べさせてやりたいらしい。
「お前さん、自分がいつも作ってるスリミがどうなるか知らねえだろ」
「この前来た日本人がカマボコ作ってくれましたよね。あれ以外にもあるんですか?」
「スリミを蒸したらカマボコだ。コイツを油で揚げたやつをサツマアゲってんだ、これがうめえ」
タイラーがスリミを平らに伸ばし、どんどん油の中に泳がせていく。それをヨウンは物珍しげに眺めた。
「アイスランドにも似たようなのがあるんですよ。タラをスリミにして焼いたものをフィスキィボッルルっていうんです。でも日本人の魚の消費量には敵わない。生でサシミにして食べたり、焼いたり煮たり。こうしてミンチにしてからもいろいろ加工してる」
「竹にスリミを塗り付けて焼いたやつはチクワってんだ。出来上がってから竹を抜くと、そこだけ穴が空いて輪っかになるだろ? それで漢字で竹の輪と書いてチクワと読むんだ」
「そっか、日本には漢字があるんだ」
「そうそう。漢字には意味があるからな。さ、できたぜ。食おう」
ヨウンが皿を準備すると、タイラーがそこにサツマアゲを盛りつけた。積んだと言った方がいいだろうか、かなり豪快な盛りつけ方だ。
「カマボコの方もできてるな。出来立てを食うぞ」
「こんなに食べられますか?」
「酒飲みながらチビチビ食ってりゃ無くなるさ」
この部屋には日本の畳を敷いたスペースがある。畳は一畳、二畳、と数えるらしく、半分のものもある。この部屋にある畳スペースは四畳半、ローテーブルと座布団も準備され、ここだけ完全に日本が再現されている。
テーブルに料理の乗った丹波焼の大皿を三枚置くと、タイラーは座布団の上で胡坐をかいた。
興味深げにその様子を見ていたヨウンも同じように真似して座る。ここに数日住んでいて、畳スペースの使い方が今一つよくわかっていなかったらしい。
タイラーは二つのグラスにウィスキーをストレートで入れると、ヨウンの方だけ炭酸水を追加した。
「まずはこれを食ってみろ、旨いぞ」
タイラーがサツマアゲの皿をぐいとヨウンの方に押すと、青年は物珍しそうに一つ口にする。
「美味しいですね、これ。僕の好みの味です。日本食、好きかも」
「日本人から直接習ったんだ、旨いに決まってる」
タイラーも一つ取ると、思い出したように話し始めた。
「これな、サツマアゲってんだが、日本のサツマってところで作る揚げ物だからサツマアゲってんだ。だけどサツマの連中はこいつをサツマアゲとは呼ばねえ。そこがサツマだからわざわざサツマとつける意味がねえんだ。テンプラってんだ」
ヨウンが「あれ?」と首を傾げた。
「テンプラって衣を付けて揚げるんじゃなかったっけ」
「普通はな。だがサツマじゃ揚げ物はみんなテンプラだ。芋ならイモテン、
たまに話を盛るのでどこまで本当かわからないが、タイラーが楽しそうに笑うとヨウンにもそれが伝染する。タイラーの笑いはそれだけで周りの人を笑顔にしてしまうのだ。
「ヨウンよぉ、どうせメディアは新しい情報が入ればそっちに食い付く、お前さんのことなんざすぐ忘れる。それまであと数日の辛抱だ。外に出られないのはしんどいとは思うが」
「いえ、僕のせいでこんなことになったのに、工場の皆さんに守っていただいて。だけどこれ以上ここにいてご迷惑をおかけするわけにはいきません。もう僕はアイスランドに戻ろうと思います」
やっぱりそんなことを考えていたか――タイラーは「あとは工場長の仕事」というバーバラの言葉を思い出していた。
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