第13話 二階堂大地・3

「早速なんだがニカイドウ、これを見てくれ」


 画面の向こうで寝不足の顔を見せる男前は、彼らと同い年か若干上くらいに見えるが、実は一つ年下である。アジア系人種は欧米と比較してヴィジュアルが幼い印象を持たれることが多いうえに、二階堂自身が低身長なこともあってシーグルズルの方が年上に見られがちなのだ。

 シーグルズル・ビョルンソン。三十一歳。レイキャビク大学で教鞭を執る生物学者である。


「こっちの写真がスタート時、これが六時間後、これが十二時間後、増殖速度が異常だ。アイスランドでこの速度は未だ例を見ない。そっちだとこれくらいは普通なのか?」

「う~ん、そうだねぇ、日本の梅雨時でもこんなに早くないかねぇ」

「ツユドキ?」

「日本には雨季が二回あってねぇ、初夏と秋にまとまった雨が降るんだけど、その初夏の方を梅雨っていうんだよねぇ。平均気温二十八℃、湿度七十五パーセント前後、湿っぽいし気温は高いし、カビが一気に生育する季節だねぇ」

「こちらのサンプルの生育条件は平均七度、湿度を取り忘れたんだがこの日は晴天、場所はレイキャビク。これが日本のツユを上回るくらいの速度ということだね?」


 シーグルズルは寝癖のついたブロンズの長髪を手櫛で適当に整えると、ゴムでザックリと一つにまとめた。よくよく見ると今着ている服も部屋着というよりはパジャマのように見える。

 二階堂がそんなことを観察している間に、梨香が話に割り込んだ。


「そうね。日本で一番カビが活発になる時期を遥かに上回る生育速度だわ。アイスランドの環境下でその速度で生育するようなカビがもしも日本に上陸したら、とんでもない速度で日本列島を覆うことになるわ」

「そうなる前に先手を打っておかなくちゃならないね。日本に上陸する前にアイスランドで封じ込めが可能ならそれに越したことはない」

「とは言ってもねぇ。飛行機は毎日飛ぶからねぇ」

「そうね。それでも観光産業が大打撃を受けている今、観光目的でアイスランドへ向かう人はいないから、逆に今のうちに打てる手は打っておいたほうがいいわ」

「被害が出ている地域の写真はあるかねぇ?」

「待って、今表示する」


 彼の顔が消え、広いプールのような温泉が映し出される。音声だけはそのままだ。


「これがブルーラグーンホットスプリングス。ズームするよ。これ、周り全部溶岩なんだけどわかるかな。それで、この溶岩にシリカの結晶がついてるわけなんだけど」

「なんか変な色ね?」

「そう。これが全部青カビペニシリウムなんだ」


 二人は言葉を失った。これではブルーラグーンは壊滅状態だ。営業を再開するのは難しいのではないだろうか。


「もう駆除が追い付かなくて、デッキブラシでガシガシやってるようなんだけど、青カビをゴシゴシやったようなところにお客さんを入れるわけにはいかないんでね」

「溶岩だと多孔質だから、そこに菌糸が伸びると厄介ね」

「厄介なんてもんじゃない、駆除は不可能だ。胞子も飛んで、この辺は景色が霞んで見えることがあるよ。東アジアの黄砂みたいな感じだ」


 黄砂でも遠慮したいところだが、それがカビの胞子となると、さすがに気持ちが悪い。


「こっちがストロックル間欠泉。今はストロックルを含むゲイシール一帯が立ち入り禁止になってる。間欠泉が噴き出す度に、胞子をばらまいてるような感じだ。害があるというよりは、そこで胞子を付着させた人が他へ移動するのを防ぐために、立ち入り禁止にしてる」


 再びシーグルズルの顔が映し出される。パジャマでも酷い寝ぐせでもサマになるのが、男前のずるいところだ。


「環境相は何も言わないの?」

「僕たちが環境相に説明して立ち入り禁止にさせたんだよ……あ、ちょっと失礼」


 シーグルズルがフレームの外にいる誰かと何かを話している間に、梨香は二階堂に耳打ちする。


「ね、十日でアイスランド全土に蔓延すると思うでしょ?」

「そうだねぇ、最速でそれくらいかねぇ」

「何を悠長なこと言ってるのよ、遅くて十日、早くて七日よ」


 二人がモゾモゾやっているうちにシーグルズルが戻って来た。


「申し訳ない、妻が出勤なんだ。それで朝食にサンドイッチを作って行ってくれたものだから」

「食べながらで結構よ。落ち着かないと思うけど」

「それで、カビの分析はある程度したのかねぇ?」

「もちろん」


 彼はサンドイッチを頬張りながら話し始めた。カビの話をしながらパンが食べられることに二階堂は少々驚いたが、梨香の方は全く気に留めていない。実際彼女はどんな状況下でも食事ができるし、どんなものゲテモノでも口にする。繊細な二階堂とは正反対の性格だからこそ、この二人はなんだかんだ言って長い付き合いになっているのだろう。


「カビの種類はペニシリウム・クリソゲナム。新種でもなんでもない昔っから居るやつだ。遺伝子までは精査していないんでわからないが、特徴はそのままに繁殖速度だけが異常に速い。カビ毒も持たないし、人間に害もない。強いて言うなら所かまわず生えるのが問題なくらいだ」

「害が無いと言っても、呼吸器疾患のある人はやっぱり問題があるんじゃないかしら。喘息とかカビアレルギーとか」

「逆にそれだけなんだ。喘息やカビアレルギーの人はどこにでもいるし、このカビが影響するのはそういう人達だけ。つまり普段と特段何も変わらない。だから誰もそれを危険視しない。危険視せずにいつも通りに対処していたからこうなってしまった。どんなに害のないものでも、たくさん増えればそれだけで害になる。特定外来種が在来種を駆逐し、淘汰してしまうようなものだ」

「このカビによって種の存続が危ぶまれるようなものがあるのかしら?」


 梨香の独り言に、横から二階堂が反応する。


「絶滅してから気づくパターンかもしれないし、最悪の場合、人類が淘汰されるかもしれないねぇ」

「そう、それなんだよ。僕もそこを危惧していてね。カビの繁殖によってアイスランドで農作物が育たなくなったら、輸入に頼るしかなくなるわけだ。だけど、このカビが世界中に蔓延したら農作物はベジタブルプラントで作られたものだけになってしまう」

「野菜の価格が高騰するわ」

「こんなサンドイッチが超高級品になってしまうよ」


 シーグルズルが手にしたサンドイッチをカメラの前に掲げて肩をすくめる。その瞬間梨香の慌てる声が響いた。


「待って、そのサンドイッチ。

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