第12話 二階堂大地・2

 アイスランド側の反応は早かった。二階堂はあの後すぐに現地の友人にメールを打ったのだが、驚いたことにのんびり屋の友人が昼を待たずに返信を戻して来たのだ。

 二階堂としてはさほど急がなくても良い案件ではあったが、その内容を見て納得がいった。

 ――今すぐサンプルを送付するからどうにかしてくれ――事態は彼が思うよりも深刻だったらしい。カビのせいで観光産業が大ダメージを受けているとのことだった。


 それだけではない。それまで西側の一部の地域に発生していたカビが、東に向けて勢力を拡大しつつあるという。

 アイスランド全土にカビが蔓延するのに、恐らく三週間かからないだろうというのが現地の専門家の見立てではあるが、『カビ』というあまりにも一般的すぎる生物の特性上、誰も危機感を持っていないのが現状のようだ。


 そしてこの青カビがマイコトキシンなどのカビ毒を持たないことから人体にまるで影響しないということも調査済みであり、それも手伝って「人間に害を及ぼさないのであれば取り立てて騒ぐほどの事でも無い」という意見も出ているらしい。

 だが、増殖速度が異常に早いことなどが気にかかっており、研究を進める気があるのなら協力は惜しまない、ということだった。


 二階堂がそのメールを梨香のところへ転送すると、早速呼んでもいないのにランチタイムにお弁当をぶら下げてやって来た。

 来ることが予測できていた彼が二人分のお茶を淹れたタイミングで、いつものようにノックの音と同時に彼女は入って来た。ドアを開けながらノックするのではノックの意味がなかろうにと彼はいつも思うのだが、彼女がそれを気にするとは思えない。恐らくそれを伝えたところで「時短よ時短。時は金なりっていうでしょ」と返されるのは目に見えている。


「さっきのメール見たわよ。友人って、あのシーグルズル博士だったの?」

「そうだよ」

「彼の論文、二百本くらい読んでるわ。今度紹介してよ」

「夕方紹介するよ」


 喋りながら勝手に座ってお弁当を広げ始める彼女に「今日も愛弁当がゴージャスだねぇ」と声をかけると「今日のテーマは『森のくまさん』ね」と脳天気な答えが返って来る。彼女の夫を知る彼としては「あのゴリマッチョが作るメルヘン弁当」というだけでなんだか微笑ましい気分になるのだが。


「で、あのメールだけど。梨香はどう思う?」

「三週間なんて悠長なこと言ってられないと思うわ。アイスランド全域に広がるのに十日かからない。シーグルズル博士だって気づいてると思うわ。種子植物じゃあるまいし、菌類なんだから」

「彼にその後またメールしたんだよねぇ。直接話ができないかって。夕方五時からオンライン会議を設定しておいたからその時話そう」

「五時って、レイキャビクは朝じゃないの?」

「朝八時だねぇ。さっきのメールだって現地時間の深夜に来たんだよ?」


 日本とレイキャビクの時差は九時間。朝の十時に来た返信は、現地の深夜一時に発信されている。それだけ急を要しているということだろう。


「シーグルズル博士、家からメールして来たの?」

「そうだねぇ……オンライン会議も家からだろうねぇ」


 胡麻で目を付けたタコさんウィンナーをつまみながら「そうそう」と何か思い出したように彼女は付け加えた。


「あれから少しアイスランドの反応をサーチしてみたの。もうすでにSNSじゃカビの話題で持ちきりよ。尤もらしいのから根拠の無さそうなネタまでよりどりみどり」

「たとえば?」


 ここで彼女は何かを思い出したようにプッと噴き出した。


「傑作なのよ。このカビの胞子はインフルエンザウィルスよりも小さいからマスクの網目を通過するとか、ミントを庭に植えるとカビが寄り付かないとか。葛根湯の粉末を撒くとカビが死滅するとか。そんなわけないでしょ。ちょっと考えればわかるのに、小学校で何を習ってきたのかしら」


 いつものように大袈裟に肩をすくめる彼女に、二階堂は軽くため息をついて見せる。


「インフォデミックに発展しそうだねぇ。これはただ事では済まないかな?」

「何よ、午前中にちゃんと言ったじゃない、あたしの言うこと全然信用してないのね?」

「とんでもない。梨香が楽しそうなときは、大抵危機の前触れだからねぇ」

「ま、そうだけどね!」


 ここは是非とも否定して欲しい彼なのであった。

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