第14話 二階堂大地・4

 シーグルズルとの会話を終えて一段落ついたところで、ソファに身を投げ出した梨香がボソリと呟いた。


「ねえ所長、あたしが作ってたウィルス、覚えてる?」

「あたしが作ったって、サラッと怖い事言うねぇ」


 笑いながらも、二階堂は当然何の話をしているのか心得ている。もちろん梨香の方も二階堂がわかっているのを前提に話しているのだが。


「あれでしょ、モモの木だかナシの木だかに生えるカビの話でしょ?」

「ミカンだけどね」


 五年ほど前だった。梨香が休暇を使って夫とミカン狩りに出かけたのだが、エリアの半分が閉鎖されていたらしい。

 農園の人に話を聞いてみると、何やら木にカビが生えてしまって実が熟す前に落ちてしまうということだった。


 こんな話に食い付かない梨香ではない。その場ですぐにサンプルを貰い、持ち帰って研究を始めたというわけだ。

それからしばらくして例の農家から連絡が入ったのだ。


「同じカビが生えているのに、きちんと実のなる木がある」


 梨香は木に影響を与えなかったカビを採集し、徹底的に調べた。

 スイッチの入った彼女は誰にも止められない。当然研究費用の心配なんかするわけがないが、二階堂は彼女に好きなように研究を続けさせた。彼女は今まできっちりと結果を出してきたからだ。


 当時の二階堂は早々に陰圧ラボを一室空けた。

 ――梨香の事だ、必ず遺伝子を操作して生物を


 そして彼の勘は見事に的中した。

 季節が移り替わるころになって、いつものように「所長!」とノックしながら部屋に入ってきた彼女から報告を受けた。「ウィルスを見つけた」と。


 つまりこうだ。二本のミカンの木、A・Bがある。どちらにも同じカビが生えている。だがAは実が熟す前に落ちてしまい、Bは完熟まで実が落ちない。

 このBの木に生えているカビはウィルスに感染し、この微小な生物によって無力化させられていた、ということらしいのだ。


 その後、ミカン農家は影響の出た木にウィルスを散布してカビに感染させ、カビによる被害を食い止めた。

 ここまでは自然に発生していたものを拡散させたに過ぎない。が、ここで彼女が納得するわけがなく、そのままラボにこもって遺伝子操作を始めた。

 ここまでをセットで想定していたからこそ、二階堂はラボを一つ空けたわけではあるが。


 彼女が見つけたウィルスの特徴は『特定のカビにしか感染しない』ということと『カビを無力化する』という二点だった。

 つまり『悪さをするカビ』をターゲットにして無力化させることに応用できるのではないかと考えたのである。

 運良くというか悪くというか、彼女が試験に選んだのは青カビだった。ペニシリウム属にはカビ毒マイコトキシンを生成するものがある。それを無力化するウィルスを作ろうと考えたようだった。


 二階堂がそんなことを記憶の奥底から引っ張り出していると、「ねえ、コーヒーまだぁ?」と梨香の声が飛んできた。


「ああ、ごめんごめん。まさかと思うけど、例のウィルスを改造しようとしてるなんてことは……もちろんあるよねぇ?」

「当然でしょ。せっかくペニシリウムなんだから」


 梨香は二階堂からコーヒーを受け取ると、それに口をつけることも無く捲し立てた。


「あの増殖速度は普通じゃないわ。菌糸の成長スピードが速いのか、胞子を生成する能力が桁違いなのか、合わせ技なのか、何にしろこの目で確かめたい。それさえ突き止めれば、ウィルスを応用できるような気がするの」

「まあ、そう言い出すとは思ったけどねぇ」


 実際のところ、一刻の猶予もない事は二階堂もわかっていた。


「でもねぇ、ミカンの時はそもそもそこにいたウィルスを殖やしただけだから問題も無かったけど、今回は梨香が創るわけだよねぇ。それはラボから出せないよ?」

「安全性が確認できれば――」

「どうやって確認するの?」


 言葉も口調も柔らかいが、目は笑っていない。梨香もそんなことくらいわかっている。ここで安全性が確認されたとしても、自然界に出した途端に変異しないとも言い切れないのだ。そうなった時、最悪の場合、開発した梨香だけでなく、それを許可した二階堂も責任を問われる。バイオテロリストのレッテルを貼られてしまうのだ。

 そして、彼女の事だ、確実にそれを創ることに成功するだろう。作ったところでウィルスだ、肉眼では見えない。どこへ感染したのかわからないのだ。もちろんターゲットには感染が確認できるだろうが、もしもそれ以外にも感染したら……。


「そうね、まあそれはその時考えるとして、創るのは許可してくれるわよね? 許可が降りなくても始めちゃうけど……あっっっっつ!」


 頭の回転は速いのになぜか毎度毎度舌をやけどする梨香に苦笑いしながら、二階堂は壁のカレンダーに目をやった。


「日本にはいつごろ入って来るかねぇ」

「すぐ。もう入ってるかも」

「まあ、そうだよねぇ。真っ先に被害に遭うのは――」

「千葉県ね」


 疑う余地はない。最初にカビが持ち込まれるのは恐らく成田だ。この夏に開催予定の万国博覧会の会場が千葉県なのだ。当然海外からの観光客は成田に押し寄せる。


「今すぐ成田を封鎖できれば日本にカビを持ち込むのを抑えることは可能かもしれないけど、まずそれは無理よね」

「ありえないねぇ。とすると、千葉県知事は今、誰だっけねぇ?」

「丹下さんでしょ」


 丹下――どんな男だっただろうか、いや、女性かもしれない――海馬をサーチしていると、梨香が「上から読んでもタンゲゲンタ、下から読んでもタンゲゲンタ」と二階堂のシナプスを刺激してきた。


「あー、あの人ね。あの


 最後の部分だけ梨香とハモった。知事らしくなさも日本一なら、頼りなさも日本一、なのに人気もナンバーワンという異色ずくめの知事である。


「ちょっと所長、何考えてんのよ」

「ん? ちょっとねー」

「まさか丹下さんと取引する気じゃ」

「いや――」


 二階堂はフフフと笑って続けた。


「取引するなら阿曽沼あそぬま副知事だよ」

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