第9話 グズムンドゥル・2

 グズムンドゥルは家に戻ると、パンクしたタイヤを交換し、夕食を取った。紙に書かれていた時刻に来いという意味ならば、彼女は仲間と夕食を取った後だろう。

 彼だって今までにこんなふうに誘われたことがないわけではなかった。それでも今までの彼なら、翌日の仕事もあるし、何より誘いに乗る気になれなかった。

 だが今回は違う。彼女の事が気になって気になって仕方がないのだ。

 彼はこれを運命だと結論付けた。随分と自分に好都合な解釈ではあるが、今日という日が出勤日で、車のタイヤがパンクし、彼女に出会って、誘いを受けたことが運命でなくて何なのか。

 ほんの一時間でもいい、彼女に会いたかった。会って話がしたかった。


 指定された時間に、彼はそのホテルの部屋をノックした。

 間違っていないだろうかと、何度も何度も確認した。子供の頃に学校でいたずらをして校長先生に呼び出されたときよりも緊張していた。

 彼らのいたずらかもしれない。もしそうならとんだ赤っ恥だ。

 それでも彼女に会いたい気持ちの方が、それをはるかに上回っていた。


 自分は一体どうなってしまったんだろうか。緊張に引き攣った苦笑いを噛み殺して待っていると、永遠のように長く感じた時間の後にドアが静かに開いた。

 彼女が立っていた。


「入って」

「いいの?」

「誰もいないわ」


 素直に従うと、彼女は椅子をすすめて来た。


「なぜ来てくれたの?」

「なぜだろうな、僕にもわからない。君はなぜ僕を誘ったんだい?」

「いろいろ教えて欲しかったから」


 上目遣いにこちらを見る眼差しに心臓が高鳴った。


「いろいろね。僕は何を教えたらいいのかな?」

「ホットスプリングスのことと……他にもいろいろ。私、初めてだから。アイスランド」


 誘っているのか天然なのか、いずれにしろ大した小悪魔だ。


「他の仲間は?」

「さぁ? 今頃よろしくやってるんじゃないかしら」


 そこへ彼女が頼んでおいたらしいルームサービスがやって来て、二人はスパークリングワインで乾杯した。


「私、ワンガリって言うの。お兄さんは?」

「グズムンドゥル」

「アイスランドらしい名前だわ」

「君もケニアらしい名前だね」


 それから二人はいろいろな話をした。

 彼女の父親は火力発電所に勤めていて、タンザニアに計画されている火力発電所の建設に携わっているらしい。そのプロジェクトには、彼女の尊敬するオーストラリアナチュラリステ原子力発電所の技術者も参加しているようだ。

 だが、火力発電では二酸化炭素を排出し、原子力発電は放射性廃棄物による環境汚染の危険を孕んでいる。それにひきかえ水力・風力・太陽光のような再生可能エネルギーなら、資源の枯渇の心配もない、環境汚染の心配もない。

 中でも彼女はアフリカ東部という土地柄、地熱エネルギーに着目したのだ。

 そのために研究グループで本場アイスランドの地熱発電所やホットスプリングス、間欠泉を見て回ろうということになったらしいのだが。


 五人組のうち自分以外の四人は二組のカップルになってしまい、自分だけが溢れてしまっているという。

 ホテルの部屋も、一週間の日程中ツインルームが二つとシングルルームが一つ。男二人と女二人とワンガリで借りているが、どうせそうはなっていないだろうということだ。

 確かにツインとトリプルか、ツイン二つにエキストラベッドにすれば二部屋で済む。だがこの日程中、トリプルは一晩も取れなかったらしい。それで一人でも平気だという彼女がシングルを使うことにしたのだそうだ。


 どうやら別のお誘いかと期待した自分とは違って、彼女は実に真面目な学生のようだ。ここはひとつ、真面目につきあってやろうじゃないか。


「さっきラグーンにいたとき、東側の奥で蒸気が出ていただろう? あのモコモコしてたのが、明日君たちが見学に向かう予定のスヴァルスエインギ地熱発電所。知ってると思うけど、あの発電所を作るために地面を掘っていてたまたまできちゃったのがブルーラグーンさ。今じゃこっちの方が有名だけどね」

「地熱発電するようなところだもの、ホットスプリングスが湧いても全然不思議じゃないわね」


 彼女のグラスが空いたので、二人のグラスに絹色の液体を注ぎ入れる。こんな辺鄙へんぴなところのホテルでも、頼めばルームサービスでスパークリングワインが飲めるとは驚きだ。


「アイスランドそのものがそういう土地だからね。大地の生まれる場所だ」

「地上に顔を出している海嶺かいれいっていう存在が珍しいわ。だから研究旅行にここを選んだのよ」

「選んだのは君なのかい?」

「そうよ。ケニア周辺も大地溝帯だもの。土地の特色は似ているわ。だから参考になる部分がたくさんあるでしょ? せっかくだからこの目で見ておきたかったのよ、巨大なホットスプリングスや間欠泉を」


 これは筋金入りだ。単なる観光旅行で来た連中とは違うらしい。


「なるほどね、でもそれなら発電所の職員をこうして講師に誘えば良かったのに。僕なんかよりもっとずっと詳しいよ」

「せっかくアイスランドまで来たんだもの、どうせ教えてもらうなら、あなたみたいな素敵な人がいいじゃない? モチベーションに天と地ほどの差が出るわ」


 彼女はグズムンドゥルの下心を刺激しながらも、研究への熱意でそれを見事に打ち砕いた。

 それなら本気で議論に付き合うしかなさそうだ。痛いところを突いてみるか。


「でも地熱発電だけじゃエネルギー供給が追い付かないよ。原子力に頼ろうとは思わないのかい?」

「あ。私の前で禁句を出したわね? 覚悟してもらうわよ」


 彼女はいたずらっぽく笑った。

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