第7話 ジオンゴ・3

 イーサンから一緒にランチしないかと連絡が入った。ナイロビに来ているというのですっ飛んでいくと、五日前と変わらない笑顔が「急に呼び出してごめん」と言った。

 こっちは「ナチュラリステの職員と会う」と言えばいくらでも外出できるし、その金は経費で落とせる。願ったり叶ったりだ。


「タンザニアは楽しめたか?」

「ああ、そこそこディープに回って来たよ」


 昨夜ナイロビ入りしていたが、今日の夕方の便でオーストラリアに戻る前に会っておきたかったらしい。

 ジオンゴは自分に無い色の肌を持つ友人がタイトな日程の中で連絡をくれたことが、何よりも嬉しかった。


「タンザニアもムワンザあたりにいると忘れがちだけど、ちょっと町から離れると発展途上国だってことを強制的に思い出させられるよ。どこだったかの村で水汲みについて行ってみたんだけどさ、あれは先進国の軟弱な足腰には無理だね。川までが遠くてそこまででバテるし、汲んだ水を持って歩けない。みんな頭の上に乗せて歩いてたけど、あんなの絶対無理だわ」


 お手上げだとばかりに肩をすくめるイーサンに、ジオンゴも笑う。


「いや俺だって無理だよ。ムワンザの中心街と、少し離れたところじゃ、もう全然別の国みたいだ。ナイロビとムワンザだってかなり違うのに、パースから来たんじゃほとんど異世界だろ」

「そうだね。子供たちが勉強できる環境に無いのが可哀想だ。早く電気を引いて、全ての世帯で夜の灯りが点けられるようにしてやりたい。あの中に優秀な人材がいるかもしれないんだからな」


 確かに、毎日水汲みに行かなければならないようなところに生まれていたら、ワンガリだってそうしていたに違いない。運良くナイロビに生まれたから勉強ができて、才能が認められ、大学に行くことができている。世界は不平等だ。


「それより、その水が問題だよ。彼らはあれを飲んでいるけど、僕があれ飲んだら一発でお腹がやられる。以前酷い目に遭ったからな」

「ああ、衛生環境も良くねえしな。ナイロビ育ちの俺がダメなんだから、イーサンじゃ話になんねえ」

「ああ、全くだ。足腰筋肉痛になりながらやっと運んだ水でお腹を下したんじゃ割に合わないよ」


 ジオンゴがハハハと声を上げて笑う。


「なんだなんだ、水汲みだけで筋肉痛か。イーサンはもう少し体を鍛えた方がいいぞ。脂肪は落ちたようだが、筋肉がそもそもついてねえ」

「これでも昔はバスケやってたんだよ。下手だったけど」

「マジか。とてもそうは見えねえな」

「僕もそう思うよ。ほら、昔NBAでシアトルの守護神って呼ばれてたワトキンス選手っていただろ、自分のギャラのほとんどを森林環境保全に寄付してた人。彼の大ファンでさ。だけど彼が事故ってバスケから足洗ったもんだから、僕も子供心にショックでやめちゃったんだよ」

「オーストラリア人なのにNBAのファンだったのか?」

「野球だってMLBしか見ないよ」


 そこでイーサンは何かを思い出したように「あ、そういえば」と話題を変えた。


「ここに来る前にもう一度ムワンザに立ち寄ったんだけどさ、青カビ? なにかカビが異常繁殖したらしくて、クルア達が消毒に追われてたよ。ほんのここ数日で急に増えたらしい」


 ジオンゴは首をひねった。タイミングが合い過ぎる。


「ここもそうなんだよ。この数日でナイロビに青カビが異常発生してる。まあ、この辺でカビなんて珍しくもなんともねえが、さすがにここまで多いとちょっと気持ち悪いな」

「見た限りでは目につかないけどなぁ?」

「ま、家庭ごみなんかにぶわっと生える程度だ。一晩おくとモコモコに成長してるんで新種かなって言ってたんだが、どう見ても普通の青カビだ。地球温暖化でいろいろおかしくなってんのかもしれねえな」

「そうだな。僕もここに来る少し前にナチュラリステの視察に行ったんだけど、原発内部はカビの巣窟になってたよ」

「まあ、誰も入らなきゃそうなるわな」


 イーサンはちぎったチャパティにスクマウィキを乗せ、苦笑いしつつ口に運んだ。


「なんだかタイミング的に僕が連れて来たみたいだな」

「ははは、オーストラリアでカビが異常発生してたら、イーサンが犯人だな」

「僕の影響力はいつからそんなに大きくなったんだ?」


 二人でゲラゲラと笑っていたが、ふと、イーサンがチャパティをちぎる手を止めた。


「おい、ジオンゴ」

「ん?」

「もしかして、あながち間違いじゃないかもしれないぞ」

「何が?」


 イーサンは神妙な面持ちで、たった今ちぎったばかりのチャパティをジオンゴの方に差し出した。ポツンと青緑色の点が見えた。


「これは……」

「青カビだな」


 ジオンゴはその部分をちぎってよけると、綺麗なところを口に放り込んだ。


「おい、ジオンゴ」

「ここだけ取っちまえば食えるさ」


 胞子がついていなくても菌糸が伸びているかもしれない――イーサンの顔はそう言っていた。だが、ここアフリカでそんなことを言ってるやつはいない。ダメなところはとればいい。

 そんなことを考えている間にも、先程取った部分のカビは少しずつ繁殖していた。

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