第6話 ジオンゴ・2

 翌日、家に帰って遅めのランチを娘と一緒に取りながら、ジオンゴは彼女の質問攻めに遭っていた。


「イーサンも来ていたんでしょ? 今度、私たちの研究グループにも招待したいわ。もちろん講師としてよ。アイスランド行きがなかったら絶対来て貰ったのに」


 スクマウィキと呼ばれるケールの炒め物を食べながら、ワンガリは残念そうにブツブツ言っている。これをウガリと一緒に食べるのがこの辺りでは一般的だ。


「イーサンは天然ガスプラントと原子力発電所だぞ。地熱発電は専門外だろう」

「だからいいのよ。私たちは地熱発電、お父さんは火力発電、イーサンは原子力発電、それぞれ発電という共通項を持ちながらも別の分野の手法を使ってる。だからこそ、議論が盛り上がるのよ」


 ――いつの間にか一丁前な口を利くようになった。ついこの間、自転車に乗れるようになったと言っていたのに。

 子供はちょっと目を離した隙に大きくなっている。そして、知らぬ間に俺と同じ仕事を選んでいる。俺を見て育ってるんだ、そうなるに決まってる。


 だけど、俺はワンガリにとっていい父親だろうか?

 イーサンに昨夜言ったばかりだが、あれは自分に向けて言った言葉だった。少しでも子供のそばに居てやれ、自分の為に――そう、自分の為だ。ワンガリが知らぬ間に大きくなっていて、気づいた時には俺の手を離れそうになっている。


 もっと遊んでやれば良かった。もっと相談に乗ってやれば良かった。もっとたくさんお喋りすればよかった。そんなことに気付いたころには、娘は俺の知らない男を選んで、ここから巣立っていく――

 ジオンゴは知らぬ間にすっかり大人びてしまった娘を眺めながら、ぼんやりと考える。もっと早く気付いていればもっと手をかけてやれたかもしれない。


「ダンスバラ・モデルについても詳しく聞きたかったわ」

「ああ、少しなら聞いたよ」

「行方不明者が出なかった奇跡のモデルよ、オーストラリアなんてそもそも地震なんかそんなに起こらない国なのに、よくあれだけ機敏に動けたわよね」

「あれはフクシマが協力したらしいんだよ」


 Fukushima Daiichi Nuclear Power Station‐通称『1F』 ――あの事故は悲惨だった。地震よりもむしろ恐ろしいのはツナミだ。

 あの時、原子炉や使用済み核燃料貯蔵プールの冷却水のルートが絶たれたうえ、補助電源が稼働せず電源供給がストップした為、非常用炉心冷却装置が完全に機能しなくなったのだ。

 福島第一は当時稼働中だった一、二、三号機の燃料棒を冷却するため、急遽消防にポンプ車を出動させたらしい。

 三号機と四号機の使用済み核燃料貯蔵プールも冷却する必要あったが、この注水過程で水素爆発が起こり、放射性物質が漏れたようだ。


 この時の教訓を生かすべく、原発事故に特化した非営利団体が立ち上げられた。それが福島第一事故を経験した人達で組織された『フクシマ』である。


 ダンスバラ地震の時のフクシマは早かった。地震の第一報が入るとすぐにフクシマからオーストラリア政府に連絡が入った。そこからは時間との闘いだった。

 政府を間に入れていたのでは多くの人命が失われる――フクシマはパースとナチュラリステ原子力発電所を協力させ、窓口を一つにしたうえで次々と指示を出してきた。

 非常用電源の確保、冷却水の循環経路の確認、職員の避難、管制室の制御をリモートに変更、ポンプ車の配備、付近住民への避難準備の通達。

 そして住民を地域ごとに集め、行政の準備した避難用のバスで全員まとめて避難させた。

 住民の避難が完全に終わるまで、何が何でも時間稼ぎをしなければならない。福島第一の事故の時と同じように冷却水が循環しなくなった今、メルトダウンは時間の問題だったのだ。


 イーサンはその時ジオンゴと共にタンザニアにおり、ニュースを聞いてすぐに戻ろうとしたが、当然パースの空港は機能していなかった。オーストラリアに戻ってもナチュラリステに戻れない、更に被災地では情報が何も入ってこないとなれば、いっそここにいた方がよほど状況が正確につかめる。そう言って、あの時彼はナイロビに滞在したのだ。


 ジオンゴはイーサンの為に情報をかき集め、オーストラリア政府に直談判してナチュラリステ原子力発電所管制室と連絡が取れるように回線を確保した。家族と同僚たちの安否がわかった時の彼の安堵の表情は、一生忘れることができないだろう。非常事態に身動きが取れない彼は、見ている方も辛かった。


 イーサンはあれから「フクシマがついていてくれて良かった」と何度も言った。彼も原子力発電所の技術者として、当然チェルノブイリや福島第一の事は学んでいる。だが、実際自分がその場に立たされた時、全く情報が入らない中で当事者が冷静に判断できる確証はどこにもないのだ。

 あの事故の当時、ナイロビでイーサンについていて良かったと、ジオンゴは考えている。自分が勉強になっただけでなく、同じ技術者を目指す娘にこうやって話して聞かせることができるのだから。


「それで、仮設住宅に入っていた人たちはどうしてるの?」

「今でも仮設暮らしらしい。だが来年くらいには出ないといけないと言っていたな。イーサンはパースに家を建てたいようだが」

「お父さんの発電所は大丈夫でしょうね?」


 ワンガリの上目遣いにジオンゴは苦笑いで返した。


「タンザニアではウランは使わないよ」


 ウランは使わないけれど、火力発電だって事故が起こる時は起こるのだ。ワンガリのウエディングドレスを見るまでは、絶対に何事もあっちゃいけない。

 そしてワンガリがいずれ携わるであろう地熱発電所でも、だ。


「さーて、水着を選ばなくちゃ。ごちそうさま!」

「おい、あんまり過激な水着を着るなよ?」

「私の肌の色には白のビキニが一番似合うのよ」


 やれやれ、発電所の安全の前に娘に悪い虫がつくんじゃないかと心配だ――ジオンゴはウガリを口に放り込んだ。

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