第二章 電力会社技師・ジオンゴ

第5話 ジオンゴ・1

 ジオンゴは半年ぶりにムワンザのバーで飲んでいた。

 東をケニア、西をウガンダ、南をタンザニアに囲まれたアフリカ最大の湖、ヴィクトリア湖。その南端に位置するムワンザは、タンザニアではダルエスサラームに次ぐ大都市である。

 そのムワンザに火力発電所を作る計画が持ち上がってから三年、こうしてナイロビから飛行機を乗り継いで、年に何度かはここムワンザに仕事で来ている。


 タンザニアの現地担当職員のクルアは、大柄で陽気なジオンゴとは対照的に小柄で素朴な雰囲気の男で、ジオンゴは単なる仕事仲間の枠を超えて昔からの友人のような付き合いをしている。まだ出会って数年とは思えないほど仲がいい。


 そして半年に一度オーストラリアから来てもらっているナチュラリステ原子力発電所職員のイーサンも、この計画に最初から参加して貰っているアドバイザーだ。

 気の毒に、彼の勤めていた発電所は二年前のダンスバラ地震で倒壊し、放射能漏れの危険性があって現在は近付く事さえままならないらしい。ちょうど地震のあった時に彼はタンザニアでこの仕事をしていたために事故を免れたのだった。


 今日は久しぶりにイーサンとクルアと一緒に飲めるとあって、ジオンゴは朝から楽しみにしていた。早々に仕事の打ち合わせを終わらせて、いや、終わらなくても飲みながら打ち合わせをしたっていいじゃないか――それくらいのつもりでいたのだ。


 イーサンが火力発電所開発予定地近くのホテルを取ったというので、クルアが近所で一推しのお店を案内してくれた。酒も料理も安くて旨い。この辺りでは一番人気の店らしい。

 ケニアとタンザニアでは食文化がかなり近いのでジオンゴには馴染みの深い料理が並ぶが、オーストラリアのイーサンには食べ慣れない珍しい料理ばかりだ。

 そのせいか、三人が集まるといつもイーサンが一番食べ、ジオンゴが一番飲む。ただでさえ陽気なジオンゴは酒が入ると更に陽気になるが、クルアは全く変わらない。イーサンは何度来ても、とにかくアフリカのものがいろいろ気になって仕方ないらしい。珍しがってあれもこれもと食べたがる。


「イーサンが一滴も飲まないうちに、この店の酒、ジオンゴが全部飲んじまいそうだな」

「馬鹿言え、この辺一帯の酒、全部飲んでも足りねえよ。おい、イーサンはウガリが好きだな。先祖はシマウマか?」

「珍しくてね。毎日ベジマイト・トーストだのオート・シリアルばかり食べているとたまにこいつが食べたくなるんだよ」


 ウガリとはトウモロコシの粉を練ったもので、アフリカの主食の一つだ。イーサンは酒も飲まずに、ムチュジと呼ばれるトマトシチューのようなものをおかずにこればかり食べている。


「イーサン、ちょっと痩せたんじゃないか? 草ばっかり食ってないでサマキ揚げ魚も食えよ。この店は魚が旨いんだ」


 湖に面している土地ならではなのだろう、この店では肉料理よりは魚料理の方が充実しているようだ。


「いや、イーサンはちょっと太り気味だから、こんなでちょうどいいよ。でも魚は食っとけ。コイツは旨い、とびきり旨い」


 クルアは小柄だがなかなかに筋肉質だ。オーストラリアで『肉体労働』と呼ばれるような事でも、タンザニアでは日常だからなのだろう。

 冗談ばかり言っているジオンゴは、背が高くてスマート、底抜けに明るくていつもみんなを笑わせようとしている。


 だが実際クルアの言う通り、イーサンは二年前よりも痩せていた。もともと色白でぽっちゃり気味だったのが、中肉中背な感じになっていた。ジオンゴもそれは少々気にかかっていた。ナチュラリステの後処理で気苦労が絶えないのだろう。


「で? 今は家族と一緒に暮らしてるのか?」

「いや、まだ家族だけ少し離れた仮設住宅に入れて、僕は姉のところで厄介になってる」

「もう二年経ったんだろ? そんなに大変なのか?」

「いろいろね」


 どれだけの苦労が彼にあったのかジオンゴには知る由もないが、想像もつかないほどの事があったのだろうということだけは推測できる。ジオンゴは何度も小さく頷いて、マハラグウェ豆の煮物をイーサンの方へ「食え」と差し出す。

 それを受けて、今度はクルアが「そう言えばワンガリどうしてる?」とジオンゴに話題を振ってきた。イーサンにジオンゴの近況をそれとなく伝えるためだろう。


「イーサン、聞けよ。ジオンゴの長女のワンガリがナイロビ大で地熱発電の研究してるんだってよ。いずれ俺たちと一緒に仕事をするかも知れないな」

「へえ、ナイロビ大か。さすがジオンゴの娘だけあって優秀なんだな」


 ジオンゴは嬉しそうにしながらも照れ隠しのつもりなのか、自分の鼻の頭をつまんで「俺に似ず美人なんだぜ」と笑った。


「来週からアイスランドへ研修旅行の名目で遊びに行くみたいだ。アイスランドはホットスプリングスがたくさんあるからな。あ~あ、俺も行きてえなぁ」


 ジオンゴがのけぞりながら頭の後ろで手を組むと、クルアが「タンザニアへようこそ」と茶化す。ジオンゴはこの仕事をするようになってから、私用でもちょこちょことタンザニアを訪問するようになっているので、「ようこそ」と言われてもほぼ庭のようなものだ。

 実際ナイロビとムワンザでは最短で三時間ほどで行き来できる。移動自体が一日仕事になってしまうパースとは大違いだ。


「そう言えばこの前テレビで紹介してたんだけどよ、ダンスバラ地震の時の避難が凄かったって、『ダンスバラ・モデル』として取り上げられてたぜ」


 クルアが話を振ると、イーサンはウガリをちぎる手を止めた。


「ああ、あれな。あれは厳密にはフクシマの入れ知恵だ」


 ダンスバラ・モデル。

 住民を地区ごとに区切り、行政が準備したバスで地区ごとに割り振られた仮設住宅に移送する。それによって移送漏れを防ぎ、どの仮設住宅にどの地区の人がいるのかわかるようにする。

 このやり方のお陰で行方の分からない住民は一人も出なかった。一人も、だ。

 そしてダンスバラ東のナチュラリステ原子力発電所の職員村の住民は、全員がクロエの住むガバーダの仮設住宅に移っている。


「ああいう確かな成功例は、災害時のノウハウとしてもっと世界で共有されるべきだと思うんだよなぁ」

「人間は災害から学ぶこともあるから、その時の教訓を忘れないようにしないとな。まあ、ワンガリが大学で研究テーマとしてダンスバラ・モデルを取り上げたらしいから、ナイロビは安泰だ」

「ジオンゴは相変わらず親バカだな」


 クルアにからかわれて、ジオンゴはふと思いだした。イーサンにも小さな子供がいたはずだ。


「イーサン、子供たちはいくつになった?」

「ん? 今年で九歳と十一歳だよ」

 イーサンはンディジ揚げバナナに手を伸ばしながら「あ、待てよ? 十歳と十二歳だったっけ?」などと言っている。あまり子供たちと会えていないのだろう。仮設住宅は彼が今住んでいる姉の家からは百キロ以上離れていると言っていた。


「そうか。俺がこんな事言うのもアレだけどよ、子供ってのはちょっと目を離した隙にデカくなっちまう。ついこないだまで俺の後をついてきたワンガリが、気づいた時には大学生になっていて、ボーイフレンドなんか連れて来やがる。あと数年もすれば結婚して、子供を産んで、俺の手の届かないところに行っちまう」


 イーサンは黙って頷いた。


「なるべくそばに居てやれ。あとでイーサンが後悔しないように」

「ああ、そうだな。そうしたい」


 ジオンゴはイーサンの肩をガシッと掴むと「よし、飲むぞ」と言った。

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