第4話 オリヴィア・4

「なんですって?」

「ナチュラリステ原子力発電所の建物が倒壊したらしい。大きな声では言えないけど、放射能漏れは免れない」


 震央に原子力発電所――世界でも過去に例を見ない大惨事だ。

 それだけではない。オリヴィアの弟はそこで働いているのだ。


「なんてこと……イーサンは」


 慌てて端末を立ち上げようとするオリヴィアを娘が止める。スマートフォンはライトの代わりになる、どうせ今は回線がパンクしていて繋がらないから、電池はとっておいた方がいい、と。


 『第二のフクシマ』。

 そんな言葉が脳裏をよぎったのを察知したのか、彼女の夫は「直下型ではツナミは来ない」と小声で言った。


「マグニチュードは七・九。建物は倒壊。冷却水のルートも一部破損したらしい。消防が入って海水をくみ上げているらしいが、ほぼ絶望視されてる。原子力発電所の職員は全員避難。一部怪我をした人の情報も入ったけど、いずれも軽症」

「じゃあイーサンは無事なのね?」

「多分。むしろ放射能の方が心配だ。メルトダウンが起こればダンスバラ周辺住民は間違いなく被曝する」

「じゃあクロエたちも」


 夫の無言がそれを肯定していた。子供たちも聞いていたに違いない。それでも彼らは何も言わなかった。雰囲気で話題にしてはいけないことを察知したのだろう。


 その日は避難所で夜を明かし、翌日は家に戻ってめちゃくちゃになった家の中を片付けることになった。

 夫と息子は倒れた冷蔵庫やシェルフを起こし、オリヴィアと娘は壊れた食器や割れたガラスを片付ける作業に追われた。

 そんな中でも、戸棚の中から出て来た缶詰や瓶詰を見つけては一カ所に集め、大切に少しずつ食べた。食品がいつ届くか、誰もわからないのだ。


 それから約一週間、仮設住宅が建てられるまでイーサンの一家は避難所で過ごしていたのだが、仮設に引っ越してもイーサンだけは仕事が残っているため、ナチュラリステにより近いオリヴィア宅に身を寄せることにしたのだ。


 そんな当時の事を回想している間に、オリヴィアの運転する車はガバーダの仮設住宅に到着した。

 いつものことではあるが、オリヴィアの車の音がわかるのか、荷物を下ろしている間にクロエは家から出て来て、ハグで彼女を迎えるのだ。


「オリヴィア、よく来てくれたわ。ちょうど工場主さんからトウモロコシをたくさんいただいたのよ」

「良かったわね。トウモロコシも最近高いから。今日は子供たちの服を持ってきたの、またお下がりで悪いんだけど」

「いつもありがとう。助かるわ。代わりにこれ持って行ってちょうだい」


 おしゃべりしながら荷物を家に運ぶときに、小さな自転車が目に入った。


「あの自転車、もう小さいんじゃないのかしら」

「ええ、もうあれは小さすぎるんだけど、まだ乗れるからって子供たちが大切にしてるの。お兄ちゃんから貰った大事な自転車だからって」


 その自転車は随分前にオリヴィアの息子が乗れなくなって譲ったものだった。イーサンの子供たちが大切にしてくれていると思うと彼女は目頭が熱くなる。

 いつもながら仮設住宅は質素だ。いずれここを出ることを考えて必要最小限のものだけで生活しているのだろう。


 イーサンの仕事を考えると、家を建てるにしてもパース近郊になりそうだ。あの辺は土地が高いが、依然立ち入り禁止のままのダンスバラには戻れない。

 ナチュラリステ原子力発電所はもう回復の見込みがないのだから、さっさと見切りをつけてしまえばいいとも思うが、そこの職員というだけであちこちに呼ばれては防災の話をしたり発電所の仕組みをしたりとそれなりの恩恵があるので、辞めるに辞められないのだろう。


「イーサンは元気にしてる?」


 オリヴィアがぼんやりしていると、クロエがトレイにコーヒーを乗せて戻って来た。


「ええ、今日からタンザニア。さっき空港まで送って来たの」

「今日だったかしらね。いつもありがとう、頼りにしてるわ。今日はここでお昼を食べて行ってちょうだい。一人でランチするのも寂しいのよね。フィッシュアンドチップスとマッシュポテトくらいしかないけど」

「ありがとう、そうするわ。今日はバナナケーキを焼いて来たの。子供たちの分もちゃんとあるから一緒に食べましょ」


 なんのかんの言っても年齢の近い女性が二人集まると、それだけで少し気持ちが上がる。そこへきて甘いお菓子まで出てくると普段の疲れも吹き飛んでしまう。

 二人でランチを取りながら話す内容は決して明るいものではない。それでも一人でいるよりはこうして喋ってしまう方がすっきりするのはわかっている。


「仮設住宅も五年しかいられないらしいの。耐用年数が最初からそれくらいなんですって。やっつけ仕事で作った簡素なプレハブだものね。あと二年で追い出されちゃうから、早く家をなんとかしないといけないの」

「でも、パースに住むんでしょ?」

「そうしたいけど。助成金は出るみたいだけど、ほんの少しだから。これから子供たちもお金がかかるのに、ほんとどうしたらいいかわかんないわ」

「街から少し離れたところなら多少は土地も安いかもしれないけど」

「イーサンが冗談でネアーラバップに家を建てようかって言ってたけど、全然笑えなかったわ」


 クロエが溜息をつくのもよくわかる。パースの北、ネアーラバップには火力発電所があるのだ。イーサンがナチュラリステ原子力発電所に転職する前は天然ガスプラントで働いていたのだが、その頃に何度となくネアーラバップ発電所には足を運んでいる。顔見知りが多いのだ。

 パース近郊の電力供給がそこだけで賄えなくなって原子力発電所が作られたというのに、その原子力発電所が使えなくなった今、電力供給はネアーラバップに頼るしかないのだ。

 ネアーラバップに移り住めば、ご近所さんは多かれ少なかれイーサンを知っているだろう。同情から腫物を触るように扱われるか、放射能の心配から距離を置かれるか、いずれにしろ居心地が良いとは言えないだろう。


「ごめんごめん、辛気臭くなったわね。せっかくだからオリヴィアの持って来てくれたバナナケーキ食べましょ。最近、すぐにカビが生えちゃうから」


 クロエがお茶を淹れ始めるのを見て、オリヴィアはケーキを切り分ける。


「さっきもイーサンを送った後で、車のシートにカビが生えてるのを見つけてゾッとしたわ。イーサン、お尻にカビ付けたまま飛行機に乗っちゃったんじゃないかしら」

「ふふふ。タンザニアなんか菌だらけでしょ。気にならないわよ」

「まあ、そうよね。ここも雨季が終わったことだし、これから冬が来るからカビとはおさらばだわ。タンザニアはこれから夏だろうけど」

「あそこって四季あるの?」

「え、わかんない」


 二人が笑っているその頃、飛行機の中ではイーサンが風邪でもないのにくしゃみをしていた。

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