第3話 オリヴィア・3

 オリヴィアは車を北に向けて走らせていた。イーサンを空港へ送ったあと、彼の家族の住む仮設住宅へと向かったのだ。

 北半球が夏を迎えようとしている今、南半球のオーストラリアでは冬に向けた準備が始まる。


 事故から二年、物流は滞りなく末端まで届くようになってはいるが、仮設住宅に住む人々の不自由な生活はなかなか安定していかない。

 彼の家族はイーサンの給料があてにできるのでまだマシな方だ。発電所に見切りをつけた社員たちは、転職しようにもなかなか職が見つからず苦労していると聞く。そもそもが特殊な業種なうえ、ダンスバラから避難してきたと聞くと難色を示す企業が多いらしい。


 イーサンの妻クロエも近くの農場に雇ってもらおうとしたらしいが、被曝が穀物にどんな影響を与えるかわからないということで、農場の手伝いはことごとく断られている。

 唯一雇ってくれた機械部品の組み立て工場には、同じ境遇のダンスバラ出身者が何人もパート勤めに来ているらしい。クロエが「工場長が理解のある人で助かった」と言っていたのをオリヴィアは覚えている。


 クロエも周りと同様、切り詰められる限り切り詰めて生活しており、オリヴィアの子供たちの服のお下がりを心待ちにしているようだ。成長期真っ只中の子供を持つ親としては共感する部分の多いオリヴィアは、こうして季節の変わり目には服を、そうではない時期にはまとめ買いで安く仕入れたベジマイトや日持ちのするケーキなどを持って行くのだ。

 今日も子供たちの服と、いくらかの瓶詰を後部座席に積んでいる。


 パースからワネルー・ロードを北に向かって行くと、ノーワーガップ湖を超えたあたりから穀倉地帯に入る。四角く区切られた農地に綿花やオーツ麦を植えているところが多く、更に広いところになるとセンター・ピボット方式を採用した小麦や蕎麦の畑が出現する。


 確かフクシマの事故の時は近隣の畑で収穫した作物は全滅で、その先数年間はそこで農作物が作れなかったのではなかったか――当時の彼女は、近い将来それと同じ事が自分の身に降りかかるとは露ほども思わず、どこか他人事のようにニュースを眺めていたような気がする。


 あの日。震災の『あの日』の事がオリヴィアの脳裏に蘇って来た。

 車のディーラーで働いている夫は、子供たちとは休日が合わない。あの日もそうだった。子供たちと三人で昼食をとっていた時だった。

 テーブルや周りのシェルフが小刻みにガタガタ言い出した。前の通りをトレーラーでも通ったかと暢気に思ったその時、突然下から突き上げるような激しい揺れに襲われた。


 息子の反応は早かった。パニックになって悲鳴を上げる娘を引っ張ってテーブルの下にもぐったのだ。それを見て我に返ったオリヴィアも急いでテーブルの下に入り、二人の子供を懐に入れて抱きしめた。そこからは全てがあっという間だった。

 テーブルの下で震えているそばで、昼食にしていたスープやトーストが宙を舞った。シェルフの扉が開き、中の食器が次々と飛び出して床で砕け散り、凄まじい音をひっきりなしに立てていた。家の中のもの全てが凶器となって自分たちを襲う中、ただただ三人で固まって大地の咆哮に身を任せるしかなかった。


 揺れが収まると、一番冷静だった当時十一歳の息子が静かに立ち、ソファーからクッションを三つ抱いて戻って来た。

 父が不在の今、自分が家族を守らなければならないと思ったのだろう。恐怖のあまり声も立てずに泣いていた二つ年上の姉にクッションを持たせ、「頭を守って」と言っていたのを思い出す。

 あの日以来、末っ子として甘やかされていた息子は急にしっかりし始めた。経験は人を育てるというが、特に子供の成長には目を見張るものがある。


 その後も大変だった。

 まず飛行機が飛ばない。滑走路に地割れが発生して空港が使えなくなったのだ。これによってパースとその周辺は空輸に頼ることができなくなった。陸上輸送も道路状況を確認してからでないと再開できない。

 その状態でライフラインが完全に遮断される。

 往々にして被災地というのは情報が入ってこない。個人端末は回線のパンクで全くつながらないうえに、普段テレビやパソコンに頼っているためラジオを持っていない。あってもどこにしまってあるかわからないし、よしんば記憶の片隅にあったとしても、その場所にたどり着くのは困難を極めた。


 日本のような地震大国であればその備えに対する十分な知識も浸透しているだろうが、地震の起こらない国ではそれは非日常でしかない。当然、家具の転倒や棚の中身の飛散に気を配っている人などおらず、どの家も足の踏み場もないような有様になったのは想像に難くない。


 家の中にいられず外に出てみると、近所中の人達が道路の真ん中に集まっていた。

 けがをした人、乳飲み子を抱えて途方に暮れている人、家具の下敷きになっている家族を助けてくれと叫んでいる人、二階に取り残されて窓から脱出を試みようとしている人、我が子の名をひたすら呼び続けている母親……それらを見ても何もできずにただ茫然としていた。


 しばらくして、余震の心配があるから近くの小学校に避難するようにと、市内の消防の人達が言って回っているのが耳に入って来た。危険だから家の中に荷物を取りに戻ったりしないようにということだった。


 夕方になって、避難所に夫が帰って来た。道路の陥没などがあってまっすぐ帰って来られなかったようだが、それでも車で戻って来られたのは運が良かった。徒歩で七キロ歩いて帰って来たという声も聞こえた。

 オリヴィアは子供たちもそれなりに大きいし、夫も無事に車で戻って来られたのだからかなり幸運な方だろう。周囲には家族の安否がわからない人も大勢いるようだった。

 だが、帰ってきた夫の第一声は耳を疑うものだった。


「震源地はダンスバラ北西、ナチュラリステ原子力発電所の真下だ」

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