第2話 オリヴィア・2
翌日イーサンはタンザニアへ向かった。
オリヴィアは内心、少しだけホッとしていた。同じ家に住んでいるのに、子供たちがいろいろと理由をつけては一緒に夕食を取りたがらないからだ。
彼らはイーサンが被曝していると考えており、自分に影響しないように同じ空間にいることを避けているのだ。
学校で広がるデマのせいだろう。「被曝した人と一緒にいると放射能がうつる」などと子供たちの間でいろいろなうわさが飛び交っている中、彼らが神経質になるのも無理はない。
イーサンは事故当時タンザニアにいて被曝のしようが無かった。そしてその後は発電所にも行っていない。そんなことは子供たちだって百も承知だ。
どれだけ説明しても意味はないのだ。目に見えないものへの恐怖は、言葉で説明したくらいで拭えるものではない。
もちろん子供たちも表立って態度には出さない。毎朝元気に「イーサンおはよう」と挨拶するし、彼は帰って来れば笑顔で「イーサンおかえり」と迎える。
だが、そのまま自室に入る。表向きは勉強していることになっているようだが、それが理由ではないことくらいその場の空気でわかる。
こうしてイーサンが出張になると、本人を含め、全員がホッとするのだ。
今回の出張もあの事故の時と同様、タンザニアへの技術協力である。
あの当時はタンザニアに初の発電所を作るという計画が持ち上がり、イーサンはその初期段階からオブザーバーとして呼ばれていた。
彼はもともと天然ガスプラントで働いていたが、二人目の子供が生まれたばかりで生活が苦しくなり、給料のいいところへと転職を考えていた。そこにちょうどナチュラリステ原子力発電所の人員募集があり、これ幸いとばかりに転職したのだ。
そのため彼は原子力発電所の職員でありながら天然ガスの知識も持っており、タンザニアで天然ガスを使った火力発電所の計画が立案された際に白羽の矢が立ったのだ。
その当時から何度か会議を重ねているタンザニアの現地担当クルアも、ケニアの電力会社担当のジオンゴも、今回の会議のメンバーになっている。彼らとは既にツーカーの仲であり、歓迎されていないオリヴィアの家にいるよりはこうして同じ方面の技術の話で盛り上がれる仲間と一緒にいる方が、イーサンとしても気が休まるのだ。
その空気はオリヴィアも感じており、イーサンを空港へ送る道すがら、どう声をかけていいものか悩むのだ。
息抜きして来るといいというつもりで「ゆっくりしておいで」と言えば、まるで帰って来てほしくないかのように聞こえてしまいそうだ。だからと言って弟にはたまにはのんびりと羽を伸ばす時間が必要だということもわかっている。
結局、当たり障りのない会話しかできないのがオリヴィアにはもどかしい。
「今回の出張はどれくらいなの?」
「一週間くらいかな。早く終わっても少しのんびりして来ようかと思ってるんだ。せっかくのタンザニアだしね。大自然を満喫して来るよ」
「そうね。ここのところ働き詰めだったから、少し観光するのもいいわ」
そう言いながらも、タンザニアの観光地などオリヴィアは知らない。知っていてもせいぜいンゴロンゴロ保全地区とヴィクトリア湖くらいだ。単に草原があって沼地があって湖があって山がある程度だろうというイメージしか、彼女には無い。
「しばらくオリヴィアのパイ・フローターやポトフが食べられないのが少し寂しいけどね」
ポトフ。そういえば昨日のポトフは勿体ないことをした、と彼女は思い出した。
「一昨日の晩ポトフを作ったでしょ? あれ、残った分を昨日お昼に食べようとしたら、もうカビが生えていたの。びっくりしたわ」
「へぇ。まだ暑いからね。そういえば一昨日ナチュラリステの後処理に行ったら発電所の中が青カビだらけだったよ。まあ、これから冬が来ればカビも生えなくなるさ」
「タンザニアは衛生環境が悪そうだから気を付けてね」
「そうだな。クルアと同じ感覚でいたらお腹を下すってことだけは、前回学習したから大丈夫だよ」
これだけ技術が進歩しても、先進国と発展途上国の差は縮まらない。日本で最高の性能を誇るスーパーコンピューターが五十兆桁もの円周率を計算している同じ時に、タンザニアでは大都市から少し離れれば毎日水くみに数時間かける生活を送っている。
もちろん電気の通っていない村では日没とともにその日の生活は終わり、日の出とともにまた水汲みからスタートだ。
タンザニアの子供たちが等しく勉強できる環境を整えるのには、まだまだ時間がかかるのだろう。
今回建設される火力発電所も、実際にそこで作られた電気を使うのはタンザニアのごく一部の人達だ。タンザニアは広範囲にわたって少数ずつ村が点在しているため、隅から隅まで電線を引くのは容易ではない。
空港に到着し、荷物を下ろすと、イーサンは「見送りはいいよ」と言った。もう何度も行っている『勝手知ったるタンザニア』ということらしい。「帰りにまた迎えに来て欲しい」とだけ言うと、軽くハグを交わしてすぐにロビーへと向かった。
オリヴィアは弟の後姿をしばらく見送り、再び車に乗り込んだ。
家に着いて車から降りようとしたそのとき、オリヴィアの視界につい最近見たような青緑色のものが飛び込んできた。
イーサンが座っていた助手席のシートに生えていた青カビだった。
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