如月芳美

第一章 主婦・オリヴィア

第1話 オリヴィア・1

「現在もナチュラリステ周辺は立ち入り禁止になっており、仮設住宅へ移り住んだ人達は家に荷物を取りに戻ることもままならない状態となっています」


 オリヴィアは洗濯物を畳みながら、テレビに耳を傾けていた。


 ――あれからもう二年も経ってしまったのね。


 日々の雑用に忙殺されている間に月日は流れて行き、幼いばかりだと思っていた二人の子供もティーンエイジャーになっている。


「ではここで発電所内の様子を見てみましょう。こちらは発電所の内部に入ったロボットからの映像です。これは……カビでしょうか、ロボットが動くたびに胞子が舞い上がっているようですが」

「そうですね、カビみたいですね」

「こちらはどこでしょうか」

「管制室ですね。その左側の壁、それがモニターなんですが、わかりますか?」


 司会者の問いに答えている大柄の男はイーサン・ホワイト、オリヴィアの弟だ。彼はここオーストラリアの西の端、ナチュラリステ原子力発電所で現場を仕切っていた技師だが、事故当時出張で出かけていて難を逃れたのだ。


「ここで皆さん働かれていたわけですね。町からは随分離れていますが、職員の方はどうやって通勤されていたのですか?」

「当時の職員はみんなダンスバラ東に造成された職員村に住んでいました。例外的にナチュラリステの近くに住んでいる人もいましたが、ほとんどの職員が職員村に家を建てていたと思います。特殊な業種なので、転職を考える人があまりいなかったのが要因の一つでしょう」

「ホワイトさんもですか?」

「ええ、私もです」


 その家にはこの二年、全く帰っていないのが実情だ。そもそもナチュラリステ周辺には近寄ることさえ許可されていない。入れるのはごく一部の職員とロボットくらいだろう。


「現在は皆さんどうされていますか」

「辞職して別の仕事に就いた人がほとんどです。ご覧の通り、発電所はもう使い物にならない巨大なゴミとなってしまいました。あとは残った一部の職員が始末をつけるだけです」

「ダンスバラ近隣住民には避難命令が出ていますが、残った職員の方たちはどうしていらっしゃるのでしょうか」

「避難命令が出た地域の人達はパースの北百キロ以北に点在する仮設住宅に順次移り住んで行きましたが、我々はあまり離れすぎると現場に戻れないのでパース近郊に残っています。家族だけ仮設住宅に移って、職員自身は残るというパターンもあります」


 そこまで言って、彼はテーブルの上で組んだ手を二、三度こすり合わせた。これは彼が何か気になっていることを言う時の癖で、姉だけが気付ける唯一の仕草だった。


「私がそうですね。家族を仮設住宅に住ませて、自分はパースの姉の家で厄介になっています」


 オリヴィアは何度もイーサンの家族のところへ物資を届けに行ったことがある。

 家からは何も持ち出すことができなかった彼らは、日々の生活物資にすら困っていた。

 幸いオリヴィアには娘と息子がおり、男女それぞれのお下がりをイーサンの子供たちに回すことができたが、震災当時は全く物資が届かず、着替えやタオルを調達できない人達もいた。


「ツナミが来なかっただけまだマシだったのかもしれません。日本の震災ではフクシマの発電所がやられただけでなく、ツナミによる物理的な被害も相当なものでしたから」

「あの震災の後に作られた発電所なので、耐震性は十分だと言われていましたが」

「そうですね。ただ、オーストラリアではそもそも地震があまり発生しません。ここは大丈夫という驕りがあったのかもしれません。都市直下型の地震は世界中どこでも起こり得ますが、まさか発電所の真下で発生するとは予想だにしていなかったので」


 洗濯物を畳み終えたオリヴィアは、コーヒーを淹れてダイニングに落ち着いた。

 弟がこうしてテレビに出るのは何度目だろう。当時の技師たちを束ねていた現場の責任者として様々なインタヴューに答え、事故の全容を説明し、これからの発電所に提言する位置づけへと知らず知らずのうちに役割が固定化されていた。


「何より怖いのは風評被害です。フクシマの時がそうでしたが、ただでさえ地震でひどい目に遭っているのに、逃げた先で子供たちがいじめに遭ったり、不当な差別を受けたりしていたのは記憶に新しい。同じ過ちを繰り返さないためにも、人々は放射能を正しく理解することが必要です」


 実際イーサンの家族に限らずダンスバラから仮設住宅に入った人達は、様々な偏見に苦しんでいた。弟が敢えてそこに言及した気持ちも、オリヴィアには痛いほどわかる。彼女の子供たちも、あからさまな態度は取らないものの、イーサンとはなるべく同じ場にはいないようにしているのだ。


 テレビを見ていると気が滅入る。オリヴィアはランチにとトーストを焼いた。確か昨夜のポトフが少し残っていたはずだった。

 鍋を火にかけようとして、彼女の手が止まった。何か様子がおかしいような気がした。

 顔を近づけてようやくその違和感の正体に気付いた彼女は、意図せず小さな悲鳴を上げてしまった。


 昨夜作ったばかりのポトフに青カビが生えていたのだ。

 彼女は慌てて鍋の水を切り、中身をビニール袋に入れて口をきつく縛った。


 ただの青カビだった。だがカビを生理的に受け付けない彼女は、中身の見えない色付きの袋で二重に包んで捨てた。

 ふわふわと胞子を立たせながら糸を引いて落ちて行くジャガイモやキャベツを思い出して吐き気を催し、一気に食欲を失ってしまった彼女は、その日、昼食を取らなかった。

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